遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『西行 歌と旅と人生』   寺澤行忠   新潮選書

2024-11-08 17:40:59 | 歴史関連
 若い頃に購入した『山家集 金槐和歌集 日本古典文学大系29』(岩波書店)が手元にある。たぶん西行の歌に関心を高めていたときに入手したのだろう。時折、参照する程度で完読せずに今にいたる。不甲斐ない・・・。もう一つのブログで日々の雲の変化を載せいたとき、2023年5月に西行法師が雲を詠み込んだ歌を抽出して併載する試みをしていた。これが直近で『山家集』を久しぶりに参照した記憶である。
 今までに、断片的な西行についての記事等を読んだことはあるが、西行の人生そのものについてまとめられた書を読んだことがない。昨年、『山家集』を拾い読みしていたせいだろうか、タイトルが目に止まり、サブタイトルの「歌と旅と人生」に惹かれた。
 本書は今年、2024年1月に、新潮選書の一冊として刊行されている。

 本書を手に取り、初めて著者を知った。「おわりに」と著者プロフィールによれば、1942年生まれ。慶應義塾大学名誉教授。文学博士。専攻は日本文学・日本文化論。文献学・書誌学の領域に入り、「私の研究も文献学的なアプローチをとることになった。実際、研究を始めてみると、西行歌集に関する文献の整備がきわめて遅れていることを痛感し、図書館・文庫・個人の所有者などを訪ね歩いて、写本や版元の調査研究をするようになった」(p227)という。現存する写本・版本はほとんどすべて閲覧・調査されたそうだ。その研究は『山家集の校本と研究』『西行集の校本と研究』二書として公刊されている。
 私にとっては本書が西行研究者とのラッキーな出会いとなった。

 本書は読みやすい。教養書という位置づけで執筆されているからだろう。
 「はじめに」の末尾に、本書執筆のスタンスが明記されている。「本書は研究者として長年西行に親しんできた者が、実証に基づきつつ、文化史の大きな流れの中で改めて光を当て、新しい西行像の彫琢を試みたものである」と。
 つまり、実証ベースで西行の歌や旅の軌跡、西行を取り巻く史実としての系譜、人間関係が織り込まれながら、西行の人生が、読者には読みやすい形でまとめられている。
 本書全体は、ほぼ西行の人生の時間軸に沿う形でまとめられている。年代記述ではなく、西行の人生のフェーズを取り上げ、テーマを設定し、そのテーマに関連する形で、西行が詠じた歌を集めて、実在する資料を援用し、西行の思考や心を浮き彫りにしていくというアプローチが試みられている。取り上げられた歌は、原歌と歌意の訳文がセットになっているので、歌の意味がわかりやすい。ここでは個々の歌の鑑賞だけではなく、そこに集合させた歌のまとまりを介して、西行像が実証ベースで描き出される。
 西行の歌と西行が研究者の視点でどのように論じられているかという点にも触れられていて、様々な見解があることもわかる。また、歌の相互関係の分析から西行の意図や心について推論が加えられていて、著者の思いが述べられていく。なるほどと思う論述を楽しめる。

 全体の構成をご紹介しておこう。
 1. 生い立ち 2. 出家   3. 西行と蹴鞠     4. 西行と桜   5. 西行と旅
 6. 山里の西行  7. 自然へのまなざし      8. 大峰修行   9. 江口遊女
10. 四国の旅   11. 地獄絵を見て  12. 平家と西行   13. 海洋詩人・西行
14. 鴫立つ沢   15. 西行の知友   16. 神道と西行   17. 円熟
18. 示寂     19. 西行と定家   20. 西行から芭蕉へ 21. 文化史の巨人・西行

 詳細は本書をお読みいただくとして、西行像を知るうえで本書から学んだことを覚書として、引用と要約で記してみたい。
*西行の家系は藤原秀郷を祖とし、その子・千常系の子孫。俗名は佐藤義清(ヨシキヨ)
 曾祖父公清から父康清までは、左衛門尉かつ検非違使だった。
*西行生年の記録はない。藤原頼長の日記『台記』の記述から生年が推定できる。
 元永元年(1118)生まれ。平清盛と同年の生まれ。→ 時代をイメージしやすい。
*18歳で任官し、ほどなく鳥羽院の北面武士として出仕。この頃、徳大寺家藤原実能の家人となる。実能の妹が、鳥羽院の妃・待賢門院だった。
*『台記』によれば、西行は在俗時より仏道に関心が深かった。「出家を促す要因が他人から見て少しも見い出されないにもかかわらず、出家という行為を敢然と実行した西行に、人々は称賛を惜しまなかった」(p26)義清、23歳で出家。出家の要因に恋愛問題(?)
 西行には、実家に荘園の経済的バックがあったことを指摘。
*西行が桜を詠んだ歌は、詠出歌全体の1割以上。西行が眺めていたのは山桜。
*出家により仏道修行と作歌修行をめざす。両修行は密接不可分。和歌仏道一如観。
 出家直後は、都の周辺で庵をむずび、修行。
 高野山の真言宗で長期間修行。ここを活動の拠点にした。
 その初期、西行は壮年期に大峰山にて修験道の修行も行う。
 1180年に高野山を去り、伊勢に移住。足かけ7年を過ごす。神道に対する信仰も厚い。
 中世における大日如来本地説の立場を西行は先行していたと思われる。
 西行という法号自体は浄土教のもの。
*「西行自身は、生涯にわたり作歌の道に精進を重ねてきたにも拘わらず、いわゆる歌壇と直接交渉を持とうとはしなかった。当時盛んに行われた歌合の場にも出席しなかった」(p200)
*「人生無常の思いは、西行の歌に流れる通奏低音である」(p220)
*「西行は、日本の思想史を貫く無常の自覚と、それを乗り越える『道』の思想の発展において、きわめて大きな役割を果たしたのである」(p221)
*西行の行動範囲:都、高野山、大峰山、吉野山、伊勢、熊野、二度の奥州行脚、西国・四国への旅

 「おわりに」で、著者は、『山家集』の写本で、京都の陽明文庫所蔵の写本が最善本とされ、その本文がほとんどあらゆる西行歌集のテキストに用いられていることに触れている。その写本自体にも誤写の箇所があることを文献学的見地から事例をあげて指摘されている。「本文が間違っていれば、その解釈も当然おかしなことになる。書物というものは、転写が繰り返されるごとに誤写が拡大していく運命にある。したがって西行が詠んだ歌の本来の姿を見定めることは、極めて重要なのである」(p229)
 なるほどと思うと同時に、最新の研究成果を取り入れて校注された西行歌集にも目を向け、数冊対比的に参照して、読むことが必要だなと思う次第。

 西行の詠んだ歌自体を主軸に鑑賞しながら、西行像に多角的な視点からアプローチしていける。西行の世界へ一歩踏み込みやすくて役立つ書である。
 
 ご一読ありがとうございます。


補遺
吉野山と桜   :「吉野町」
高野山真言宗総本山金剛峯寺 高野山  ホームページ
崇徳天皇白峯陵  :「宮内庁」
崇徳天皇 白峯陵 :「新陵墓探訪記」
悲運の帝『崇徳上皇』 :「坂出市」
世界遺産 大峰 ホームページ :「奈良県吉野郡 天川村」
波乱の人生のひととき、伊勢・二見浦にやすらぎを求めた僧侶 西行  :「お伊勢さんクラブ」
円伍山西行庵  ホームページ
西行は待賢門院璋子と「一夜の契り」を交わしたのか――日本文学史最大の謎を追う :「デイリー新潮」
若くて、お金持ちで、前途有望だった西行はなぜ出家したのか――「潔癖すぎた男」の選択  :「デイリー新潮」
「出家するなんて、許せない」――天才歌人・西行に対して、高名な評論家が言い放った「驚きの評価」 :「デイリー新潮」
天才歌人・西行が見せた源頼朝への「塩対応」――貴重な贈物も門前の子供にポイ :「デイリー新潮」
「清廉な西行」と「貪欲な清盛」はなぜウマが合ったのか――正反対の二人を結びつけた「知られざる縁」 :「デイリー新潮」

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