遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『平安貴族とは何か 三つの日記で読む実像』  倉本一宏  NHK出版新書

2024-02-07 15:06:42 | 歴史関連
 平安時代の貴族の実像・実態など殆ど知らない。「百人一首」を介して平安時代の有名な貴族の名と和歌を知り、瀬戸内寂聴さんの現代語訳『源氏物語』や関連書籍あるいは『源氏物語』関連講座などにより、物語を介して平安貴族をイメージしてきただけだった。
 新聞広告で本書を知った。「光る君へ」の大河ドラマが始まった。著者は、たしか時代考証の立場でこのドラマに関わりをもたれているようだ。「三つの日記で読む実像」という副題に興味を抱いたことが、読むきっかけになった。平安時代を知るのに『御堂関白日記』と『権記』が役立つかと思い、著者による現代語訳の文庫版を手許に持っているが、時折参照するだけで殆ど眠っている。読み方の手ほどきを得られるかもと思ったことも読む動機づけになった。

 本書は2023年10月に新書が刊行された。しかし、本書を通読した後に、「おわりに」を読んで知ったこと。本書のルーツは2018年にあるそうだ。NHKラジオ第2放送の「カルチャーラジオ歴史再発見」という番組が「日記が明かす平安貴族の実像」という内容の放送を企画。著者が台本やテキストなしに事前に6回に分けてその話を収録したという。それが13回に分けて編集され放送されたそうだ。その収録を元に本書ができたという。大河ドラマの放映予定が出版の機会を作ったようである。

 三つの日記とは、藤原道長の『御堂関白記(ミドウカンパクキ)』、藤原行成の『権記(ゴンキ)』、藤原実資の『小右記(ショウユウキ)』。著者はこの三つの日記の現代語訳を為し遂げている。これらの一次資料(古記禄)で、著者は平安貴族を知るための読み解きを行う。時代の変転、長い歳月を経てかなりの部分が失われたとはいえ、現存するこの古記録から、重要かつ読者の関心を引きそうな事象の記録を抽出して、該当箇所の現代語訳を提示し、その記録内容から、平安貴族の思考と行動、時代状況などを読み解いていく。道長が実に素っ気なく書いている短文が、その背景に重要な意味を内包している!! おもしろくもない一行が、俄然注目の対象になる。日記の読み方がやはりあるようだ。それを感じることができた。

 <序章 古記録とは何か>で、平安時代の日記がどういうものかが理解できる。
 まず最初の著者の問いかけは、なぜ平安貴族の多くが日記を書き残したのか。
 日本では、延喜元年(901)に編纂された『日本三大実録』を最後に正史の作成を辞めてしまったことに起因すると著者は読み解く。そのため、貴族各自が日記をつけ、各家で日記を継承して行くことが必然化した。公事(政務や儀式のこと)にどのように対処したかを記録に残すことが日記の目的。その記録が今後同種の公事をどのように処理・対応するかの根拠となるからだそうだ。それを当たり前のように行っていた経緯が分かりやすく説明されている。公事を扱うノウハウを己と己の一族のために書き残すことがねらいだったとか。
 
 そして、日記をどのように書いたか。書くべき事とは何だったか。詳しく書いてはならないというのが基本だったという。日記は具注暦と呼ばれる暦に記された日の余白に書いたとか。「ただし中世になるまで、日付と日付の間に余白のある暦はあまりありません」(p27)とのこと。日記を書くためにどういう方法をとったかまで推定し説明されているところがおもしろい。

 この後の本書の構成をご紹介し、感想を付記してみたい。
[第1部 道長は常に未来を見ていた]   まずは『御堂関白記』。実質100ページ。
 <第1章 「自筆本」の価値>
 道長が権力者の座に押し上げられた経緯を著者は説明する。『御堂関白記』の自筆本が全部で36巻あったと記されているものが、今では近衛家所蔵の14巻だけになった経緯についても語られる。近衛家がどこにこの自筆本を保存していたかの諸説も論じられている。自筆本がご神体のようなものとして扱われ、古写本を実用に供し、新たな写本をほとんど作らず、摂関家で日記をほぼ独占していというところが興味深い。なお、当時の日記は求められれば、人に見せたり貸したりするというものでもあったそうだ。同時代の人に読まれることが最初から想定されていたという。

 道長の自筆本は、日記の表と裏を書き分けていたということを本書で初めて知った。
 「裏に書いたもののなかで一番多いのが、儀式を行なった際の参加者への禄(お土産)に関する記述です」(p53)とか。『御堂関白記』を部分参照したときに、なぜ出席者名や禄のことを長々と書くのかと疑問を抱いていた。「おそらくは政治的なセンスとして、『こいつは俺の味方なのか、敵なのか』を知るためのものだと思います」(p54)という読み解きになるほどと思う。
 著者は道長の運の良さを認めるが、その裏に道長なりの思惑や策略があったとみている。やはり、道長はチャンスをうまくつかむための準備をしていたのだ。

 <第2章 「一帝二后」成立の裏側>
 長保2年(1000)正月の道長の『御堂関白記』の記録をとりあげ、舞台裏を含めて「一帝二后」制を確立した経緯が読み解かれていく。この箇所は日記の記録だけ読んでいてはほとんどその状況を理解できない。背景情報の知識が読解に必要だと強く感じる。
 記録の途中にある墨を塗り消された文字の部分を調べた経緯も推論が記されていておもしろい。

 <第3章 書き方や消し方からわかること>
 寛弘元年(1004)2月6日の『御堂関白記』の表の記録と裏に記された和歌を事例としして採りあげ、著者は裏書の意味を読み解く。ここでは和歌の含意の謎解きをも著者は試みている。背景知識をどこまで持っているか、それを駆使できるかどうか。そこに読み方の深浅を感じる。
 
 <第4章 女(ムスメ)の懐妊祈願に決死の参詣>
 寛弘4年(1007)8月に道長が「金峯山詣」を実行した。その記録を事例にして、当時の状況が読み解かれていく。道長はかなりの強行軍で霊山詣でをしたようだ。この時に道長が山上ヶ岳に埋納した経の経筒を京都国立博物館で見たことがある。『御堂関白記』の記事と経筒を見たこととが、初めてリアルなストーリーとしてつながってきた。

 <第5章 権力を恐れない者・伊周>
 寛弘5年、中宮彰子が敦成親王を出産する。後の貴族はこのときの様々な儀式を「寛弘の佳例」と呼ぶようになった。それは道長の時代が終わった後に生まれた言葉。「実際に道長の家系が権力を握ったのはほんの一時期で、長くは続きませんでした」(p101)ということの裏返しだとか。
 ここでは、敦成親王誕生後の「百日の儀」の時に、道長の長兄の息子である伊周(コレチカ)が列席して起こした問題行動が題材になる。藤原実資が書いた『小右記』の記録と道長の書いた記録を併せ読みして、その問題行動の背景と状況が読み解かれていく。
 
 <第6章 常に未来を見据えて>
 一条天皇が亡くなり、既定路線として居貞親王が即位し三条天皇となる。一条天皇の崩御の前に、敦成親王を次の東宮にするための画策が『御堂関白記』の寛弘8年6月の記録から読み解かれていく。 
 一条天皇の辞世の句に複数のバージョンがあるというのが興味深い。著者はその理由を読み解いていく。

[第2部 子孫繁栄のための苦悩]  ここから藤原行成の『権記』に。実質55ページ。
 <第7章 赤裸々な記録の意図>
 藤原行成が祖父と父の早世により、引き立ててくれる人がなく、地下人として不遇の時代を長く過ごした。24歳で蔵人頭に抜擢されたが、有能であるが故に一条天皇が手放そうとしない。それで出世が遅れた。行成の最後の官職が権大納言だったので、彼の日記が『権記』と呼ばれた。これらのことを初めて知った。
 「しかし別の見方をすると、『権記』という名前には『大臣や大納言になれなかった男の日記』という意味があったのかもしれません」(p142)と、著者が深読みしている点がおもしろい。
 本章を読み、上記の日記はくわしく書いてはならないという基本の説明に反し、行成は王権内部の秘事、公言してはならないような秘密を赤裸々に『権記』に記録に残しているということを知った。「自分が聞いた秘密や、秘密裡で行動したことを書き記しておくことが、自分の子孫にとってプラスになると考えたからでしょう」(p139)という読み解きはおもしろい。だが、それなら『権記』は人に見せたり貸すということをしなかっのか、という疑問が出てくる。
 この章では、著者が『権記』の特徴を具体的に説明している。お陰で、『御堂関白記』より『権記』の方に興味が出て来た。

 <第8章 次期東宮をめぐる苦悩と策謀>
 道長の孫、敦成親王を東宮にする画策に、行成がどのような関わり方をしたか。当時の一条天皇の周辺状況を語った上で、『権記』の該当記録を著者は読み解いていく。
 摂関政治時代の宮中の舞台裏が良く理解できる事例。行成の行動には政治の乱れを回避するという意図もあったことがうかがえる。

 <第9章 平安貴族は何の夢を見たか>
 夢と宗教をテーマとして、『権記』の記録が読み解かれる。行成が熱心な密教信者、それも不動明王信仰から、浄土信仰へと宗教的転身をしていく側面が読み解かれる。夢を基軸に日記に書き残している箇所が事例としてここで採りあげられる。
 平安貴族が夢をどのように受け止めていたかの状況がわかる章である。

[第3部 共有財産としての日記]  最後に、藤原実資の『小右記』。実質55ページ。
 <第10章 日記に見る実資の大望>
 まず知ったことは、藤原実資の『小右記』、藤原宗忠の『中右記』、藤原定家『明月記』が、三大古記録と呼ばれていること。そして、実資が後に小野宮右大臣と呼ばれたことから、日記が『小野宮右大臣記』と呼ばれ、それが『小右記』と称されることになったということ。日本では何でも短縮してしまう特徴がここにも出ているようだ。
 ここでは、実資の人物像がまず説明されているのでわかりやすい。実資は「儀式の権威」とみなされる地位を確立したそうだ。「これはひとえに養父である実頼の日記を全て受け継いでいたからです」(p193)という説明で、日記の実利性と役割が頷ける。
 実資が己の日記をもとに「部類記」を作ろうとして、果たせなかった経緯が説明されていく。

 <第11章 出世レースに破れても>
 『小右記』も『権記』と同様に夢の話を多く記録しているという。先祖のように己が権力の座に就く夢も記録しているそうだ。また、己よりも有能ではない藤原道綱が後から中納言になり、先に大納言に出世したことへの怒りを日記に記録しているという。それも、道綱の名前を「通綱」とわざと間違った字で記しているというからおもしろい。そういうところは古記録を直に読む面白さかもしれえない。現代語訳では間違った字をそのまま使用し、注記するのだろうか。あるいは、その逆での注記だろうか。
 ここでは、「刀伊の入寇」という大事件において藤原隆家が活躍した時の報償問題が事象として採りあげられ、読み解かれている。
 『小右記』の記録について、「つまり、摂関が天皇をないがしろにしてことさら権力を振るおうとしたときにだけ、彼は牙を剝くのです。だからこれは正当な批判であると思っていいでしょう」(p225)と著者が論じていることで、実資の人物像が彷彿とする。

 <第11章 「奢れる道長」という虚像>
 著者は章の冒頭を「藤原実資が日記を書いた最たる目的は、儀式や政務を後世に正しく伝え、そのスタンダードを作ることでした」(p226)という一文から始めている。
 『小右記』の記録をもとに、三条天皇と道長との確執を読み解いていく。そして、道長の「この世をば」の和歌が後世に残ったことが、一人歩きして「奢れる道長」という虚像を作った点を読み解いていく。先に読んでいた山本淳子著『道長ものがたり 「我が世の望月」とは何だったのか-』(朝日選書)とアプローチのしかたは異なるが、虚像という結論は両研究者で同じである。和歌が詠まれた当日、満月だったかどうかの見解は違うが。
 この歌自体がなぜ、どのようにして残ったのかという経緯を具体的に読み解いているところがおもしろい。

 序章を入れて、本書は合計13章にまとめられている。ラジオ放送された時のままなのか。新書版にするにあたり、再編集されたのかどうかは知らないが・・・・。

 平安時代の日記の読み方の一端を知るのにも役立つ。私は古文書が読めないので、現代語訳で読むことになるが、日記の表書と裏書という側面があることを知っておくことの意義を学べた。日記の記録文言と歴史的事実としての背景情報を重ね合わせて読むことが如何に重要で必要かということも実感できた次第。そして、やはり、日記には書き手の人柄や考え方、生き様が自ずと表れているということを興味深く思った。
 一つ残念だったことは、上級貴族のことは、少し理解が進んだが、平安時代の下級貴族の実像がどうだったかは、本書では分からない点である。三つの日記で読むという枠外になってしまう領域になるのだろう。

 ご一読ありがとうございます。

補遺
藤原道長  国史大辞典  :「ジャパンナレッジ」
[京の国宝 知られざる物語 vol.13] 藤原道長の日記「御堂関白記」~摂関家、権威の象徴           :「紡ぐ JAPAN ART & CULTURE」
御堂関白記    :「国書データベース」
金色に輝く藤原道長の経筒 :「京都国立博物館」
藤原行成     :ウィキペディア
権記       :「国立公文書館デジタルアーカイブ」
藤原行成の書   :「東京国立博物館」
藤原実資     :ウィキペディア
小右記      :「京都大学」
藤原実資が道長と紫式部から一目置かれた「理由」  :「歴史人」

 ネットに情報を掲載された皆様に感謝!

(情報提供サイトへのリンクのアクセスがネット事情でいつか途切れるかもしれません
その節には、直接に検索してアクセスしてみてください。掲載時点の後のフォローは致しません。
その点、ご寛恕ください。)

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