遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『仏教 第二版』  渡辺照宏  岩波新書

2023-10-17 17:37:53 | 宗教・仏像
 仏教書を系統的に学ぶという形が取れず、関心の赴くままに行きつ戻りつという形で読み継いで来た。著者の名はかなり以前から知っていたが、著書を読んだことがない。『ブツダの方舟』(中沢新一・夢枕獏・宮崎信也共著、河出文庫・文藝コレクション)を読んだことが、本書を読む契機になった。
 仏教の入門書・基本書に立ち戻るよき機会となった。著者は1977年に鬼籍に入られている。本書は1974年12月の刊行であり、手許の本は2012年11月第51刷である。現在も市販されているので、増刷は続いていて、まさにロングセラーの一冊なのだと思う。
 
 「まえがき」の冒頭に「仏教とは何か、という問いに答えるのが本書の仕事である」と著者は記す。その次のパラグラフで、本書執筆への著者のスタンスが明言されている。これを転記するだけで、一つの紹介になると思う。

「本書を通読すれば仏教についてひととおり基本的な知識が得られるように工夫する。どうしても必要なテーマを落とさないように注意する。叙述をできるだけ平易にして、予備知識なしに読めるように気をつける。それと同時に、内容については専門学者の批判に耐え得る水準を保ち、学問的に責任の持てることのみしか書かない。仏教において人生の指針を求める人びとの手引ともなる。学生や研究者の参考書としても役に立つ」と。
 
 この冒頭での宣言、通読して期待を裏切らない説明とまとめ方になっていると思う。読みやすいし、学問的な視点での説明も要所要所できっちり論じてあるように受け止めた。「学問的に責任の持てることのみしか書かない」という宣言が特に惹かれるところである。 「ひととおり基本的な知識が得られる」という視点は、目次の構成に反映されていると思う。本書の構成は、次の通りである。
    Ⅰ 仏教へのアプローチ
    Ⅱ 仏陀とは何か
    Ⅲ 仏陀以前のインド
    Ⅳ 仏陀の生涯
    Ⅴ 仏陀の弟子たち  -出家と在家-
    Ⅵ 聖典の成立  -アショーカ王の前と後-
    Ⅶ 仏陀の理想をめざして  -ボサツの道-
    Ⅷ 仏陀の慈悲を求めて  -信仰の道-

 今まであまり意識しなかったことで本書で知ったことの一つは、ヨーロッパやロシア等における仏教研究の一端に触れられている点である。それは、サンスクリット語、パーリ語による聖典からの直接の仏教研究というアプローチである。私が今までに読み継いできたのは、漢訳経典から出発した研究を踏まえた仏教書が多かった。「日本では1300年以上のあいだ、もっぱら漢文資料によって仏教を学び、研究し、実践し、これによって信仰を形成した。鎌倉期においてさえも中国仏教の型から脱出したことはなかった」(p36)と著者は指摘している。日本においては「明治の開国によって、漢訳仏典の原典の存在が判明した」(p36)という。そういう意味で、異なる仏教研究のアプローチが進展している状況に触れたことは、遅ればせながらいい刺激になった。仏典解釈を相対化して客観的に受けとめる視点ができる。
 さらに、著者が、「インドの仏教はどのようなものであったか」という歴史的な考察が基本にないと、日本における仏教の考究もできないし、「仏教とは何か」という問いにも答えられないと論じている点も、刺激剤になった。
 仏教について、漢訳経典中心ではなく、違った次元から視野を広げるのに役立つ基本書と言える。
 仏陀以前から説き起こし、仏陀の生涯を説明しながら、仏陀の思想がどのように形成されて行ったかの説明が織り込まれていく。それが読みやすさ、わかりやすさになっている。
 最後に、仏陀の理想をめざすアプローチとして3つの道を説明する。仏陀の教えを忠実に守り、厳しい戒律に従い、出家教団の中で解脱の道をめざす第一の道。仏陀の理想をめざし、衆生の救済を志す第二のボサツの道。一般の大衆にはそのどちらも困難である。そういう人々のための第三の道が信仰なのだと著者は言う。
 ”「私は仏陀に帰依する。私は法に帰依する。私は教団(サンガ)に帰依する」という文句を三度繰り返して唱えるだけで信者となることが許された”(p185)そうである。
 その上で、三宝(仏・法・僧)への帰依という形から、仏陀の死後、人々にとって信仰の対象がどのように多様化して行ったかの事実を著者は概説している。

 通読して、仏教の考えについて著者が説明する基本的な要点を覚書としてまとめておきたい。その具体的な説明は本書でお読みいただきたい。
*仏陀はサンスクリット語”ブッダ”を漢字で音写したもの。原語は”目覚めた者、最高の真理を悟った者”という意味で、完全な人格者のことである。 p3-4
*仏教もまた当時の諸宗教と同じく輪廻説を前提とし、解脱を目標とする。 p4
*仏教の基本用語が日本ではまったく別の意味で使われるようになった側面がある。p5-7
  成仏:鎮魂思想にもとづく使い方になった。
  ほとけ:死者を亡者という代わりにほとけと一種の婉曲語法で使う。死者≠仏陀
  往生:死ぬという意味で用いるようになった。
  念仏:阿弥陀仏の名号を口に唱えることが念仏になった。
     唱名を念仏と同一視するのは中国人の発明である。中国の浄土教。
*仏典の用法 死没:一つの生涯を終えること
       往生/来生:その後に新しい生涯を始めること。仏国土での新しい生涯。
             原語には往生・来生の区別はない。
       往生は成仏(仏陀になる)ための手段である。   p6
*念仏というのは本来は仏陀を思念しそれに精神統一することをさし、心的作用である。 p6
*仏教とは、シャーキャムニによって説かれた教え。仏陀が説いた宗教。仏教とは仏陀を信仰する宗教。というようにとらえ方が複数ある。  p46-50
*仏教は中道を説いた。八つの部分からなる聖なる道[八正道]を説いた。p74-75
*すべての苦悩の根源は根本的無知にある。「根本的無知によって[縁]、生活活動その他が生ずる[起]」という。”縁起説”として知られるこの考えが仏教思想の出発点となる。
 根本的無知から老死まで十二支分あることから十二因縁とも称される。 p90
*人間苦の解決は、”四つの聖なる真理”[四聖諦]を知ることと説いた。 p97-102

 また、「過去において日本人の精神形成に仏教が重要な役割を果たしたことは明白である」(p3)、「日本ではほとんど最初から中国の宗派仏教を伝えているが、インドにはこのような組織はなかったのである」(p10)、「中国において成立した浄土教では往生を終極的な目的と考えている」(p6)、「日本にも、初期の仏教は西域→北魏→朝鮮→日本という径路で来た」(p11)、「今日の原典批判の立場からみれえば、玄奘訳が必ずしも正しいとは断言できないのである」(p14)、「中国仏教は必ずしもインド仏教の忠実な模写ではないのである」(p15)と諸点にふれてはいる。
 しかし、本書は「インド仏教に重点を置き、それ以外は必要ある場合に触れるにとどめる。中国や日本における独自の形成は別の書物にゆずる」(p19)と一線を画している。

 インド仏教を重点にして、「仏教とは何か」を説く基本書・入門書として最初に読むのに適した一冊。やはりロングセラーになるだけの価値はあるなと思った。

 ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。

『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』  中村元訳  岩波文庫
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社

「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊



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