遊心逍遙記その2

ブログ「遊心逍遙記」から心機一転して、「遊心逍遙記その2」を開設します。主に読後印象記をまとめていきます。

『ブツダ最後の旅 -大パリニッパーナ経-』 中村元訳  岩波文庫

2023-06-25 14:25:40 | 宗教・仏像
 仏教の開祖ゴータマ・ブッダ(釈尊)の最後の旅路から死までを伝える経典。上座部仏教系のいわゆる涅槃経。大乗仏教系の涅槃経はまた、別に存在する。本書は、中村元先生がパーリ語の原文から邦訳されたもの。手許にあるのは、2010年4月第42刷改版。その頃に購入し、部分的に読んだり、参照することがあったものの通読することなく、書架に眠っていた。先日、松原泰道著『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』(祥伝社)を読み終えて、本書に戻り通読する動機づけになった。

 本書は6章構成になっていて、各章は4あるいは5のセクションに区分されている。その各セクションはパラグラフ毎に通し番号が付されている。
 漢文訳の経典は「如是我聞」で始まる。こちらも同様に「わたしはこのように聞いた」という一文から始まっている。
 
 王舍城の<鷲の峰>にいて、修行僧に教えておられた釈尊が、若き人アーナンダを同行者にして、最後の旅に出られる。己の死を迎える最後の旅の経緯が記述されていく。旅のプロセスの記述が中心なので、邦訳の内容は読みやすく、何が記されているかの大凡はわかる。185ページの邦訳文に対して、161ページの訳注が詳細に付記されているので、釈尊の教えに出てくるの用語の意味も理解しやすくなっている。

 この経典の冒頭は、鷲の峰に居る釈尊の許に、マガダ国王アジャータサット(付記:阿闍世王、アジャセオウ)の指示を受け、大臣でバラモンのヴァッサカーラが訪ねてくる場面から始まる。国王がヴァッジ族を征服し根絶しようと考えていることについて、釈尊の意見を尋ねさせたのだ。釈尊は、ヴァッサカーラの質問に直接には答えない。釈尊はヴァッジ族について聞き知っていることを、背後にいるアーナンダにそれが事実かどうか問いかけるという方法をとる。アーナンダは釈尊による確認の問いかけにその通りと返答する。その問答がくり返される。ヴァッサカーラは釈尊とアーナンダの問答を全て聞き、その内容を国王に伝える。アジャータサットはヴァッジ族の征服を断念する。釈尊は大臣の質問には直接答えないで、答えるという方法を採った。実に興味深いやり方である。
 大臣でバラモンのヴァッサカーラが立ち去った後、釈尊は王舎城の近くに住む修行僧全員を会堂に集合させて、衰亡を来さないための7つの方法を教える。さらに興味深いのは、その内容である。釈尊がアーナンダと問答した時の内容そのものなのだ。

 この後、釈尊は最後の旅に出かけることをアーナンダに告げ、若き人アーナンダが釈尊に付き従う。これがいわゆる釈尊80歳で故郷をめざす旅立ちである。
 この経典を読む限り、釈尊は王舎城を去った後、次の経路を旅して行く。
 アンバラッティカー~パータリ村~コーティ村~ナーディカ村~商業都市ヴェーサーリー~ベールヴア村~バンダ村~ボーガ市~パーヴァー~カクッター河~ヒラニヤヴァーティー河を渡る~クシナーラー
 クシナーラーのマッラ族のウパヴァタナの地の二本の沙羅双樹の間が釈尊の涅槃の場所になる。

 この経典を読んでいき、次の諸点について、学びまた気づくことになった。
1.クシナーラーまでの途中の行先は、その都度釈尊がアーナンダに告げる。

2.各行先へは、「多くの修行僧の群とともに」移動する。この修行僧たちが入れ替わるのか、最後まで同行するのか、具体的には触れていない。同じ表現がくり返される。

3.最後の旅の過程で、釈尊は同行したアーナンダと修行僧たちに教えを語る。何を教えたかについて、教えの内容が記述されてえいるものと、ただ教えの項目を記すだけのものとが出てくる。たとえば、次の事項が記されている。
 内容に触れた教え:七不退法、4つのすぐれた真理。法の鏡。4つの大きな教示。
 教えた項目の明記:戒律。精神統一。智慧。心。四念処。四正勤。四神足。五根。五力
          七覚支。八聖道。          
 その内容を知るのに訳注が参考になる。詳細は別の経典等を読む必要がある。

4.釈尊がこの最後の旅の途中で教えることは、重なる部分がありながらも広がっていく

5.この経典は最後の旅路と涅槃の経緯を主題にすることに重点があるようだ。
 どの地においても、釈尊が「心ゆくまでとどまったのちに」次の地に移るという記述が毎回でてくる。この表現にも意味が込められているのだろう。

6.釈尊は、ベールヴァ村にて、一度病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話すら行ったという段階があったことを通読して初めて知った。第三章は、釈尊が旅に病んだときのことを具体的に語っている。

7.その後、釈尊はパーヴァーに赴いた時に、鍛冶工チュンダから食事の布施を受ける。その時きのこ料理を食べた。経典の記述では、釈尊自身が用意された料理の中から、きのこ料理を選び、「用意された他の噛む食物・柔らかい食物を修行僧たちにあげてください」(p116)と言っている。
 釈尊は「チュンダよ。残ったきのこ料理は、それを穴に埋めなさい。・・・・・世の中で、修行完成者(如来)のほかには、それを食して完全に消化し得る人を見出しません」(p116) と指示したとも記されている。
この箇所を読む限り、釈尊はきのこ料理に問題があることを事前に察知していたと読める。

8.同じことを3回くり返して記述していくというパターンが要所で使われている。
 中国に三顧の礼という有名な故事もあるが、3回には人間心理の普遍性があるのかもしれない思いがする。

9.第6章の冒頭が「23、臨終のことば」である。釈尊が修行僧たちに述べた最後のことばは、「さあ、修行僧たちよ。お前たちに告げよう。『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成なさい』と。」(p168) である。
 「自灯明。法灯明」について語られた言葉は、臨終の時では無い。それは、釈尊がベールヴァ村にて旅に病んだ時に、修行僧が自分に何を期待しているのか、と釈尊が自問し、アーナンダに対して、語りかけた言葉だった。この時、釈尊は己の年齢を「わたしはもう老い朽ち、齢をかさね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。」(p65)と語った上で、
 「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(p65) と。
 ここで自灯明・法灯明について語っている。先に読んだ松原泰道著に寄れば、釈尊は舎利弗の病死と目連の事故死を知らされたときにも、自分自身を諭し励ますように、この言葉を語ったそうだ。

10.釈尊の死後、その遺体の処理について、マッラ族の人々がアーナンダに質問し、アーナンダが答えていることを知った。
 「ヴァーセッタたちよ。世界を支配する帝王の遺体を処理するのと同様なしかたで、修行完成者の遺体を処理しなければなりません。」(p179)と。
 だが、この答え方は第5章の「18、病い重し」の中で、アーナンダが釈尊に問いかけた。その問いに釈尊が答えた内容である。第11パラグラフに記されている(p141)

 通読して初めて知り、かつ疑問に思うことが少なくとも一つある。それは、釈尊がベールヴァ村で旅に病み、命を捨てる決意をし、悪魔との対話もした後で、アーナンダが釈尊に「尊師はどうか寿命のある限りこの世に留まってください」と懇請した時の会話に出てくる。釈尊は「お前は何故、三度までも、修行完成者を悩ませたのですか?」と尋ねる。その後で、釈尊は「アーナンダよ、これはお前の罪である。お前の過失である」ということを例を挙げてくり返し語っている。なぜ、釈尊がアーナンダの罪であり、過失であるとこの箇所で語るのか。不敏にして今ひとつ理解できていない。課題が残った。

 ちょっと、関心を引かれたことが一つある。沙羅双樹の木の傍で釈尊が臨終を迎える直前に、遍歴行者スバッダが現れ、釈尊の最後の直弟子になったという描写がある。このスバッダは、その後どうなったのか。他の経典に登場してくる弟子になったのだろうか。ただ、釈尊が臨終の間際まで教えを語るという行為を行ったという事例として名を残した直弟子ということなのだろうか。

 上座部仏教系の涅槃経をやっと通読できた。一歩、涅槃経の世界に踏み込んだに過ぎないが、部分読み、部分参照するだけでは分からなかった「ブツダ最後の旅」の全体イメージをつかむことができた気がする。本書の細部はいずれまた読み返す機会を持ちたい。釈尊の生涯を知るには、欠かせない一冊である。
 
ご一読ありがとうございます。


こちらもお読みいただけるとうれしいです。
『ブツダの方舟(はこぶね)』 中沢新一+夢枕獏+宮崎信也 河出文庫文藝コレクション
『釈尊最後の旅と死 涅槃経を読みとく』  松原泰道  祥伝社
「遊心逍遙記」に掲載した<宗教・仏像>関連本の読後印象記一覧 最終版
                      2022年12月現在 43冊


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