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N003の実事求是な日々

基本はゲームの事、後は気になったニュースとか人生観とか
自分の病気の事とか実事求是な記事を書きたいと思っております

自分との対話が少なすぎる現代人

2016-08-28 23:40:20 | 日記
その原因の1番とも思えるものは「情報社会」であろう(特にインターネットの存在)
自分以外からの情報が多すぎて、それを整理するだけで精いっぱいなのだ
そのせいで、ゆっくり自分と語り合う時間も暇も無くなっている

そして、それは俗にいうKYの元の1つでもある
KYというのは(他人との人間関係の中で)空気が読めないという意味だが
自分を理解していない人がよりなりやすいのでないかと推論する

自分を知るという事は他人を理解するきっかけになるからだ
人間という存在を最も身近に感じるのは自分だ、他人を知る為の第一歩は自分を知る事だと思う

まず自分という人間がどういうタイプなのか知る事で
世の中にいる人間の種類の一部を理解する
それによって少しずつ人間を知り、似た部分違う部分を更に知る事で他人のタイプを分類する

この人は余り騒ぎたくない人なんだな、とか
この人は自分の世界を強く持っている人なんだな、とか
最初はそういう大雑把なモノから

そして「空気が読めない」の「空気」の部分は人間の社会(2人以上)によってできるものだ
相手がどういう人間なのか知っていれば、空気を読めなくなることもなかろう
それができれば社会の中でKYな存在として浮くこともだいぶ減ると思う

俺も22歳ごろまではそのKYの一部だったのだが運よく(?)引きこもったおかげで自分との対話ができた
半年間たった一人でゲームをし続けていた過去があるのだが、この時に俺は人間として進化したと思う
勿論ゲームをしていただけだったのなら間違った方向に進んでいたのだが・・・
そこは母親に恵まれた部分だと思う
その半年は本当に誰とも遊ばずに(電話は愚かメールすらしてない)、家を出るとしたら外食と近くの小さいスーパーだけ
母親は昼間は仕事、今は亡き祖母とは階層が違った為に本当の一人

その時に自分はなぜ存在しているのか、命とは何なのか、どうせ死ぬのになぜ生きるのか
自分の価値ってどこにあるのか、これからどうしたいのか、何のために生きるのか
ということを、海が近かったので毎日夜になると堤防に一人佇み延々と考え続けた記憶がある

勿論自分との対話はKYにならないようにするだけではない
自分の中で芽生えた答えのない疑問を考え、自分なりの答えを見つけたとき人は進化する
と、今はそう思えるからだ

俺の人生の中に他人から見たら明らかに無駄な数年間が存在する
しかし、その数年間の間に「普通に」生きていたら絶対に到達できなかった場所に到達したと俺は考える
普通に仕事して、普通の休日を過ごし、普通の恋人と結婚し、普通に子どもを作り、普通の楽しい人生を送り、普通に死ぬ
全てが普通

それを否定はしない、ただ「俺は」普通にだけは成りたくなかったのだ
少なくともその普通の無限ループからは脱することができたと思う

普通な人生は幸せだと思う
だけど、俺は普通では幸せになれないある意味不幸な人間なのだ