珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

わからなかったこと(改定)

2019-06-03 | S教団関係
以前、対話ブログで私は「非活」より「退会」にこだわった。
そのたびに「くれぐれも状況が許す方は」と※付で添え書きをしているにも関わらず、それにはあっさりシャッターされて、
「それじゃあ波風が立つだろう!!」とかなり険悪にネチネチネチネチ迫られたことがあった。

だからくれぐれも状況が許す方はって書いてるじゃんo(T^T)o
難しいなあと思った。

この辺りからこういうのが面倒くさくて、アンチにも細分化を強く考えるようになった。

私がなぜ退会にこだわったか。(※状況が許す限り、ですよ)
退会すると「統監」から名前を消してもらえるからである。
新聞は、活動家or非活に関わらず、統監の
1.5倍の鉄壁のノルマがあると聞いたからである。
役職者はこれに苦しんで、こっそり自腹を切ってそれを愚痴りながら、「マイ聖教」なんて偽善的な言い訳をしていたからである。

家庭訪問さえ無理。
「してはいけない」という申し送りがなされる。
本人には物理的に会えないのに「お飾り」のように名簿に名前がある。
移転や担当者が変わるたびに
実質、悩みの種やお荷物になるそれら。
貴重な時間をさいて集まった人たちが、グチグチ愚痴るはするけど、その根本的な解決の行動にはなぜか誰も腰を上げようとしない。
そして「腫物にさわるようにそこには触れず、その人の分のノルマにだけかっちり触る」ミステリー。

私はそんな形だけや不合理が何より嫌いで、不思議でならなかった。

一度はっきり当人を捕まえて脱会の意思を確認するか、
それができないなら、そのふざけた意味のない数字に縛られるのやめればいいーじゃん?
なぜそれをしないの?

とはっきり言った。

 でもそんな声は
変な冷笑の下、曖昧のうちに消されるのである。

思考の二極は危険と思う。
それは強く思う。
白と黒の間にはグレーがある。

でも意思表示ははっきりした方がいいと思う。

なぜ幽霊会員を分母にカウントして新聞の数を合わせる必要があったのか?
なぜそれを訊いたら曖昧にごまかされたのか?
これが最後までさっぱりわからないことだった。
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コメントの感想

2019-06-03 | 日記
先日某ブログに「人の生死を揶揄してアンチコメントを書くのはどうか」という投稿をしたら
「自分の偏った正義感や薄っぺらい思考法に気づかず、未だにこのブログの事が気になり持論を展開し、火をつけるようなOB」と書かれてしまった。

そっかー、そういう印象も受け取り方もあるんだなあと思った。

それは確かに私の正義感だろうと思う。
身内でもない人の生き死にをどうこう言う人を散々見てきたから、例えどんな思いからでも同じことをするのは嫌だと思った。
これはやめた方がいいと、声に出そうと思った。

おっしゃる通り「持論」です。
個人の感想です。

薄っぺらい思考法かは、自分ではわからない。

「未だにブログの事が気になり」
何か悪いことでもしているような言い方だけど、ダメなのかな?
Sには嫌悪や後悔という意味では無関心だけど、関わったことなので関心はある。
数年前とはいろんな感情が異なったこともあって、読み方は変わった。
正直殆どはとばして、「興味をひく部分」のみの拾い読みである。
気になる内容も読み方も人それぞれと思う。

火をつけるような?
(灯をともすような、だったらよかった(笑))
「アラシ」とか「火をつけるような」は、単純に悪意がある言い方だなあと思った。
私は一つのコメントに対して意見を書いたに過ぎず、ブログ全体に何かモノ申したわけではないし、決して荒らしたわけでもなかったと思う。

※率直な感想であり、別に気を悪くしているわけではありません。
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