珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

祈り2

2019-06-28 | S教団関係
私は祈りというものは、尊く力があると思っている。

祈ったら通じた。
それはAの信者にとっては「Aのお陰であり、Bではありえないことだ」と思う。
Bの信者にとっては、それは「紛れもなくBの力で、Aでは起こらないこと」と思う。

無神論者の人は、起こったことを宗教のお陰と「こじつけている」とか、或は「プラシーボ効果」と思うかもしれない。
それもあると思う。

私は、特定の宗教を信じている人には不快な意見かもしれないけど(※自論ですので)、
Aという宗教に祈ってもBという宗教に願っても、それが作用しているのは、実はAでもBでもない「何か」と思っている。
でもそこまで強く信じ切って祈るには、AとかBとか何らかの宗教を信じている人の方が強いと思う。
特定の宗教を信じている人の祈りに、無宗教の人の祈りは敵わないと思う。

だから宗教はバカにできないし、「どんな新興宗教であれ」そういう信者は尊敬する部分がある。

「信じるものは何だっていい」というと、宗教の根幹である教義をバカにしているようで不快かもしれないけど、強く信を有むための教義なら、信者にとってそれはとても大切なもの。
そこは理解しているつもりである。

その強いを生むためのものが一定の人にとっては教義であり、教義そのものではなく、そこから確信を得た強い祈りこそが力を生む。

宗教とはそういうものではないかと、私は考える。
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