珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

なぜというなら5

2019-06-13 | S教団関係
先日、私がカラーコピーもお寺の曼荼羅も差が全くわからなかったと書いたら、お寺の人から初めてアンサーが来た。
「教学がなけば(本門の本尊に対する信・行一体の題目でなければ)それは、単なる呪文なのですね。
鏡に向かって、テクマクマヤコンとか言ってるのと何も違わない。
それが分からないのが笑うしかないですな。笑うと言うより呆れます(笑) 」 


いーえ、私は、
そんな教学などさっぱり知らなかった小学生で上げた題目も、辞める直前までの題目も、題目の違いなんてただの一度も何も感じなかった。
全く同じだった。
 祈りは最初から最後まで、ちゃんと通じたなあと思った。


「偽書だから」とか「カラーコピーだから」とか「ホンモノだから」とか「教学を知っていた知らなかった」とか「教学を求めていた求めていなかった」で、題目を上げて違いなど
全くなかった。

偽だろうと、教学を知らなかろうと、間違ったものを教えられていようと、途中で捻じ曲げられようと
「これこそが正しいと言われたことを露ほども疑わずに、素直に純粋に祈ったら」全部素晴らしいと思ったし、力になったよーーーーーーんv('▽^*)♪

だから私は信じるものは何も否定しない。

いーや、何もかもではないんです。教学を求めて勉強して、これは信じていい教えだけど、これは邪教だから信じたら害毒なんです
ということを
素直に信じたら信じた人には、それもその通りになると思う。

「教学の意味がわかっていないと曼荼羅に題目を上げてもそれはただの呪文でテクマクマヤコンと言ってるのとかわらない」
そう信じる人には、断固こうなるでしょう。

そうとは信じなかった当時の私には、テクマクマヤコンと題目は違った。

再度この言葉を。
「信じる者は救われる」
合掌( ̄人 ̄)
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嫉妬2

2019-06-13 | 娘と夫の話
以前、何かっていうと「男の嫉妬は酷いんだ」と、しょうちゅう説明された。
それはお偉い先生の言葉だったが、正直私には何のことやらさっぱりわからなかった。

少し前に「男の嫉妬」をテーマにした映画を見た。
仕事でのやっかみから、親友と思っていた男が狡猾に人を陥れていく様子を見て「なるほど怖いな」と、ようやくうすぼんやりとはわかった気がした。

そして最近、夫がこの手のことで少しナーバスになったこともあって、やっとこさ現実味を感じた次第である。

それは嫉妬する方ではなくて「される方」だった。
仕事で何かしらのチャンスがくると、それはタダではなくて、払う代償があるもんなんだなあと思った。
がそんな時、そういうものだとさっさと割り切る私と違って、男はというのか、夫はというのか、スパンとはいかないようである。

ああでもないこうでもないと思い悩んでは、言ってどうにもならない愚痴を延々語る。
あっさりとはいかないし、ドライなことはできない。
方々に気を使いながら、ショートカットではなく、少しづつ、少しづつ、時間をかけてできるだけやんわりと事を見ていきたいんだと思う。

「何をそこまで悩むの?あなた何もわるくないじゃん」
「そうなんだけど、男には縦社会ってものがあって、そんな簡単なもんじゃないんだよ」
いかにも彼らしい、これは性分と思う。

これは私の足りないところと思うけど、どうしようもないことの愚痴に付き合うのは苦手である。
夫いわく
「こういう時は、ただ、そうね、そうねと包み込むようにきいてくれるお姉さんのような相手が必要なんだ」
「じゃあそんなお姉さんに聞いてもらえば?いい歳したおっさんの、そんなめんどくさいことに辛抱強く付き合ってくれる人がいるならどうぞ」

「そんなお姉さん」に嫉妬しない私はヤバイのだろうか( ̄∇ ̄)

嫉妬…これもなかなか厄介な問題と思う。
人はそれぞれタイプは違って、書かれてないこともいっぱいあって、対処法も様々。
私もネットで少しは学んだが、「これが正解」も「達人」もなく、誰しもが同じように悩んでいることを改めて伝えたい。
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