珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

ニャンコ先生4

2020-12-17 | コロナ騒動
政府の腰巾着ではなく、ウイルス学の本当のことを、圧力に屈しないで言う専門家で、
本当のことが伝わらないくやしさのあまり、国民の前で男泣きした唯一の専門家、宮沢孝幸さんのツイッターが、京都大学からの圧力で停止させられたようである。

私はこれをもって、先日、私とブログでやり取りした方の元Sの方のコメントを思い出した。

正役職を受けて反発すると変な人扱いを受ける。
信心の
おかしい人、というレッテルを貼られる。
ほとんど活動しないのに文句を言ってる人は厳しい人として対応する。
あまりに面倒くさい人。 
集団行動で全体を見ずに自分勝手な理論をかざすのは、スケールの小さいレベルの話。
自分勝手に怠けている分を他の信者に
負担かけている。
間違いなく面倒くさい人扱い。

そういうレッテルを貼られてしまったんでしょう。

そしてそんな大学は
組織や集団での行動においては、他人に迷惑をかけないという最低限の責任を遂行しただけで、
宮沢氏の主張は、単なる願望であり、実現不可能な、ありえない話なんでしょう。
そして本人の前では言わずとも、居ないところでは好き勝手にもっと言われているんでしょう。 

私は応援するけどね。



コメント (7)

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2020-12-17 | S教団関係
今回は、個人的に興味のある「同調圧力」をこの際に堀下げたくもあって、ここを真向、書こうと思う。
「Sの打ち出しは、その場に立たされてみないとわからない、拒否権なんてものは、戦時中の特攻隊員のように最初からないもの(対話ブログの意見参照)なのですか?」

これは「Sはそんな強制的なところ」と他責にしていますが、
これこそが、自分が信じる、信じないの「自分次第の権化」と、私は思っている。

Sを嫌になった人は、過去は涙してまでいた歌がダサい軍歌に聞こえたり、真剣に読んでいた本がしらじらしく思えたりする。
でも、歌も本も一字一句、一音も半音も変わっていない。
変わったのは自分で、要は、全く同じものでも「自分が変わると別物に見える」ということですよね。

すっかり覚めたあとで、じゃあ口酸っぱく言う「その場に立たされてみたら」
かつての「拒否権なんてものは最初からないもの」なんて、蜃気楼でケロリとかわすことができる。

そんなものは最初からなかった。

全部、自分が作り出したものだった。
だって実際に、当時からケロッとかわして何の問題もなかった人はいっぱいいた。(見なかっただけである)

本気で辞めようとした時、その「拒否権なんてものは最初からない」なんてものはあっただろうか?
なかったから、辞められたんだよね?
そんなものが実在するなら辞められないよ(笑)

私はそう思う。
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