珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

嘘は損

2020-12-29 | 日記
某議員さんがコロナで亡くなった報じられているけど、私は記事通りには信じていない。
いや本来、人の生死の理由なんていうものは、他人が踏み込む領域ではないと思っているど、
でも残念ながらこの国の政治家も官僚もマスコミも、そういう良心はとっくに捨てて、ズケズケと好き放題デッチ上げることを実感しているからである。

6月に「死因は問わないから、コロナが原因の死亡を報告して下さい」(今は消されてしまった)という通達をしていた事実を見てしまった以上、私は政府もマスコミも一切信用していない。
人の人生をも左右する報道にインチキをした以上、でもこの先も「モノによっては信じる許容」は、私にはないな。ごめんなさいね~( ̄∇ ̄) 

何度も嘘をとんでもないつくと、後でどんなに事実を叫んでも信用してもらえないのは、童話を通じて小学校で習ったのでは?

誠実は「誰も見ていない地味な言動」の積み重ね。
正体を隠し、七変化しながら圧倒的な言い逃げを繰り返した挙句の、もっともらしい「自称、必死の蘊蓄やファクト」のご高説など甘ったるすぎてさ……(笑)
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私は歓迎2

2020-12-29 | S教団関係
何度か書いているように私個人の嗜好は、意思表示や何かの表明は、全般にはっきりするのが好みなので、
「徐々に徐々に」とか「気づいたらいつの間にか」とか「うやむやの空気を察して」みたいなのは好きじゃない。(むしろズルイと思ってしまう方)
あくまで私はですよ、それが好きじゃないんだけど、でも世の中の?日本人の?大半はこれが好きなんじゃないかなあ?とは思う。

S問題で、教義や指導が「時代と共に変わった」が気に入らないと意見に対して。
じゃあ希望通り「目の覚めるような」ある日突然の掌返しのような変化があったら、それで文句が出ないのかな?と思う。
(私は大歓迎だけど)いやいや出るね(笑)

なので私は「世の中ってそういうものだ」と思って、目の覚めるような切り替えは
他人には期待しないで自分がやろうと思っている。

進路相談で娘の中学に行った時、バイリンガルである担任が書いた、廊下に貼られていた自己紹介のプリントに
「楽しみは誰かが与えてくれると待ってないで、自分で見つけにいこう」というメッセージが書いてあった。
待つことが、よくも悪くも苦手な私には心に響いた一言だった。
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