珈琲一杯分の話

2018年2月26日スタートのただのボヤキカフェです。
毒とユーモアを楽しんで頂ければ幸いでございます。

タイプによっては役に立ちません

2022-01-03 | 日記
S問題を書いている時、組織のおかしさだとか矛盾だとか、そういうことを書くだけなら簡単だった。
悩ましかったのは「そうは言っても、しがらみがあってやめられない」とか「同じ立場にいないから人の気持ちがわからない」とか、そういう簡単にはいかない「人の行動に関わること」だった。

皆が皆、理に適っているかどうかを、行動の最優先にしてるんじゃない。
割り切れないことでも、うまく折り合いをつけて、周りとうまくやることを大事にするとか、損得を基準にするとか、そこが人それぞれなのにね。

私は損得とか、人にどう見られるとかはあまり気にならないのに、無駄なアクリル板の設置みいなものがめちゃくちゃ気に障る。
そこまで厚顔ならアクリル板くらいスルーすればいいのに、そういうところは過剰に気になる。
だからこの騒動でも、ここがオカシイみたいな理屈を言われたらストンと落ちるけど、そこに立ちはだかる人間関係の摩擦みたいなものにはある意味、鈍感と思う。
なので「騒動の中にあって、分断しないでうまくやるコツ」とか「職場での圧力を上手くかわす方法」とかを求めている人に、気の利いたことは書けません。

以下は、「理屈がそのまま行動にいくタイプの人向き」です。
このPCR検査が探知しているという、中国共産党の配下にある論文の遺伝子は既に消されていることをお忘れなく。

そんなことより、世の中とうまく渡り合っていく処世術の方に関心がある人は、このブログは何の役にも立たないです(笑)
今年はそれを明確にしておきます。


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言葉3

2022-01-03 | 思うこと
「ご理解とご協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願い致します」

何気に耳にしているフレーズだけど、何と繊細で、たおやかで美しい言い回しだろうか。

「理解」や「協力」という単語に「ご」とか「お」とかいうただの一字を付け足すだけで、言葉の棘を取り、
「致します」とか「賜ります」にみられる、「致す」「賜る」という動詞に「ます」という助動詞をつけることによって、人の心は劇的に左右される。
人というか日本人は、こういう言葉の機微をキャッチするセンサーを持っているのだ。

この言葉一つに想定外の力があることを、欧米人は知っているのかな?と私は思う。

「やれ!!」という、力尽くの言葉より、何の強制力もない「お願い申し上げます」の方が、圧倒的な力を持つニッポン。

この国はそういう意味で、世界に例を見ない国と思う。

もし、この文化も民族性も異なる世界で、この騒動に、日本人の「お願い致します」を利用するとしたら、私は悲しい。
本当に悲しい…
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