二度咲きだか、返り咲きだか知らないが、リンゴンベリーが咲き進む。好き勝手に咲き進む。こうなったら、もう止められない!
とは言うものの、この先どうなるかは想像がつかない。いくら暖冬が予報されているとはいえ冬は冬、「日ごと、寒さが募ります~♪」ということだから、この時期花が見られたことを僥倖と思い見守っていこうと思う。
今年、1メートルほどに成長したスズカケソウを頂戴した。夏、酷暑のせいなのだろうか、先端部分から一枚、二枚と葉が枯れ始め、如何ともし難い状況に。
そうだ、いまのうちに長く伸びている茎を切断し、挿し木をしたらどうだろうかと考えた。所詮、素人の発想だから上手くいくとは思わなかったが、残した本体は鉢で成長を続け脇芽を出し、挿し木の方も3本ほど根付いたようなので地植えにした。
ほらっ、下手の考え休むに似たりとは言うものの、瓢箪から駒が出た感じかな。いまのところ、なんとなくだが息づいているようである。
秋の深まりとともに葉を落とし、冬を迎える頃地上部は枯れるのかと思っていたが・・・・・・。いつまでも青々としているので、つい先ごろ、図鑑などを参照してみて初めて「常緑」なのだと分かった。迂闊なものである。
昨年、農産物直売所で「キバナイカリソウ」を買った。なぜかは知らぬが、ついぞ花を見たことがない。ネットでは、キバナの方は常緑だとの解説が付されていた。
今春、やはり農産物直売所で「イカリソウ」とだけ付されて名札を見て購入した。こちらは、ちらほらと花を付けてくれた。しかし、ネットで「イカリソウ」を検索すると、「メギ科イカリソウ属の落葉多年草」とある。同じイカリソウでも、落葉と常緑があるのだと初めて知った次第である。
そうであった、トウゴクサバノオは二年草なのであった。大阪の師匠に頂き十分に花を堪能したのだが、その後、体調を崩したようで表情がよくない。そこで、いつもの通り、地植えにしてしまった。
すると、今年、なにやら萌したと思ったら、どうもトウゴクサバノオの実生苗のようなのである。ずっと、葉も枯れることなく年を越しそうだ。そう、来年がその二年目となる。どうだろう、咲くかな?
ショウジョウバカマである。こちらは、常緑の多年草となるようだ。もう、4~5年になるだろうが、いっかな花穂を付けない。
多年草でも、冬ともなると地上部を枯らすモノ、青々とその姿を留めるモノ、いろいろなんだね。
あっ、いや、そうではないようだ。園芸の世界では「常に葉を茂らせているものを多年草」と呼び、「地上部を枯らすものを宿根草」と呼ぶようだ。
すると、「常緑の多年草」という表現は過ちなのか? どうも、この辺の表現に関しては、結構さまざまなようなのである(サイトを見た限りでは・・・)。
「多年草とは、数年に渡って枯れず、毎年花を咲かせる植物の総称です。宿根草も多年草に含まれますが、その中でも根だけが残り、生育期が終わると地上部が枯れてしまうものを宿根草と区別します。また、常緑で地上部分が一年中枯れないものを多年草と呼ぶこともあります。」(ホルティ by GreenSnap)--これが一番わかりやすい解説なのかな。
山野草の類は、けっこう多年草との表記も多い。一例として、我が家のチチブシロカネソウも多年草との表記を見る。ということは、常緑ということであろう。ちなみに、チチブシロカネソウの地上部は消え果ている。
この時期、多年草で地上部を枯らしているモノは、もう☆彡になってしまったということなのであろうか? さて、我が家の多年草とされる山野草の一つであるチチブシロカネソウは、☆彡になってしまったのか? 取り急ぎ、チェックしないといけない。
冬青--さて、なんと読むのだろうか? 「ソヨゴ」と読む。何度も、何度も、真っ赤に熟れた実を撮っているが、いままでこの漢字を記したことがなかった。迂闊だったね。
「柄の長い葉が風に揺れて音を立てる(=そよぐ)ことから、ソヨゴと命名された。」と、「庭木図鑑 植木ペディア」には記されている。
では、なぜ「冬青」と記述したのだろう? やはり、同サイトには、「漢字表記の『冬青』は冬の間も葉が青々と美しいことにより、・・・」とあった。
その葉がそよぐから「ソヨゴ」、冬でも葉が青々としているから「冬青」、なるほど、見たまんまを音に直し、漢字に充てたということなのだろう。
「具柄冬青」--日本語では「ぐがらとうせい」と読み、本来、中国語で「ソヨゴ」を表すようなのだが、「冬青」としたのはこの語彙に拠るのだろうか。
おやっ、黄葉が美しい木だなと見上げたものである。おや、おや、こんな近くにあろうとは! そう、よく立ち寄る平野の森にあったのだよ。
こちらは、ムクロジのようだ。「無患子」と表記する。「ムクロジが家にあると病を知らない、あるいは子供が病を患わないとして「無患子」(むくろし)と呼ばれるようになった」などというという説があるらしい。この実、縁起物として羽付きの玉などにも用いられていた経緯がある。
同種に、モクゲンジ(木患子:ムクロジ科モクゲンジ属の落葉広葉/高木)がある。別名を「センダンバボダイジュ」といい、「数珠」などに用いられている。あっ、こちらは写真の通り、真っ黒の実なのだけどね。
この二種は、やはりよく立ち寄るS台中央公園で見ることができる。一つはイイギリのようだが、もう一つは何? クロガネモチとかかしら。
しばらくすると、イイギリは葉を落とし、その真っ赤な実ばかりがひときわ際立つようになる。鳥も啄むことが少ないのだろうか?
さて、もう一枚の方だが、こちらは常緑のようである。やはり、クロガネモチなのかな。
今朝(12/6)、頭が重く感じたので、床屋へ出掛けた。もう、5~6年、丸刈りにしていたが、この9月から伸ばし始め、以来二度目の散髪となる(そう、それ相応の年になってきたので、記憶に残る写真を撮っておかねばとの心積もりもあってね 笑)。
最近はいいね、1,000円でカットしてくれる床屋が増えて。拙宅の周辺にも、徒歩圏内に4~5店舗ほどある。だが、このところの経済環境を反映してか、ちょっと値上げをしてきているようだ。僕が通い出したのは、予約が出来て2,000円ぽっきりという店だ。さすがに、1,000円カットハウスとは異なり、裾や眉毛なども丁寧にあたってくれる。
帰途はちょっと歩数を稼ごうと遠回りをしてウォーキング。こちらは、通りすがりの空き地に稔っていたマンリョウである。この実を間近に見ると、年も押し詰まったと感じるね。
徐々にだが、今年一年の草木の撤収作業を進めていた。あるものは花柄を摘み、またあるモノは根元から茎を切り取ってしまう。変に枝に葉っぱを残しておくと、落葉し、かえって手間がかかることがあるからだ。
それでもヒメノコンギクなどは、負けるもんかとつぼみを膨らませ、限りあるエネルギーを振り絞って開花まで漕ぎ着けるやつもいる。
消えゆくものと、萌し始めようとするものと、・・・・・・、錯綜する思いがぶつかりあう小さな空間。
あとふた月か、いや、三月かもしれないが、それまで、こんな味気ない光景を見続けなければならないとは・・・。
フツーの雑草ならある程度分かる。ぷっくらとした葉、スベリヒユの仲間か? いや、いや、多肉の赤ちゃんのようにも見える。なんだ、こいつは。こんな奴植えた覚えなどない。どこかから浮遊してきた雑草なのだろうか。
そして、もう一種、こちらはスミレ系なのか? こんなのも、植えた覚えないのだがな~(近頃、かなり忘れっぽい。自信はないけど・・・)。
そりゃ~、引っこ抜いてしまえば事は簡単に済む。だけど、ちょっとした下心も湧いてくる。ひょっとしたら見目麗しい花が咲きはしないかなどと。まぁ、どうせ閑散とした庭なのだから、このまま事の帰趨を見届けるとするか。
あっ、赤だか、緑だとかの微細なペレットは、フマキラーの「カダン お庭の虫キラー」である。ひと月ほど前、坪庭に、ナメクジの這った痕跡を見つけたので撒いたところ、翌朝、十数匹を退治することができた。ダンゴムシやワラジムシ、ムカデなんかにもよく効くのだよ。しかし、強力なだけに、ちょっと心配ではあるのだが・・・。
5,000歩ほど歩いてこようと思った。なに、毎日、毎日、1万歩も歩く必要はない。週2日以上、1回30分程度で十分だという研究結果もある。
サライ.JPの記事「高齢者医療の名医が教える、70歳すぎても歩ける体になる方法」(2022/10/9)によると、『15万人診た高齢者医療の名医が教える 70歳すぎても歩ける体になる!』(安保雅博、中山恭秀 著、だいわ文庫)を例にあげ、「1日2,000歩歩くと、寝たきりが予防できる」という。まぁ、詳細は記事を参照していただくとして、正直なところ、1万歩も歩くのが辛くなってきたのかもしれないな。
帰宅後、ベランダの鉢植えをチェックする。甘木リンドウ 心美シリーズの舞がまだ咲いている。それどころか、もう一つあったつぼみもふくらんできた。
今朝は、当地方でも零度を記録した。この子にとっては辛い条件だろうが、あまり気張らずに自然体で暮らしてほしい。来年に響くと困るからね。
その後も、リンゴンベリーの花期のことをチェックし続けている。しかし、この時期に花を付けることなど、ここ数日サイトを見た限りでは記述されていない。判で押したように、「花期は、6~7月」との記事ばかりなのだ。
そして、今日(12/2)、株立ちの周囲を眺めていたら一粒の実を見つけた。花がほころび、受粉をすれば、実が稔っても不思議ではない。そう、でも、一般的な果期は、8~10月なのだよ。どうなっているのだろうこのリンゴンベリーは?
つんと花茎が伸びてゆき、その頭頂部にはぷっくらとしたつぼみが育まれていく。これが正しいバイカオウレンの開花の姿ではないのか。
時間軸というか、季節の移ろいというか、なにかが錯綜しているとしか思えない猫の額の鉢物たち。
まだまだ駆け出しで、花たちの生態に詳しいとはいえない。このリンゴンベリー、返り咲きって珍しくないのだろうか。
覚えてるこの写真? バイカオウレンのつぼみじゃないかなと申し上げたあの写真である。
「つぼみであってくれたらと思う反面、えっ、一つだけかよとの思いもある。」--その時、こんな言葉を添えたっけ。
11月ににょきッと萌した一茎、そして、その下にまたまた萌したつぼみらしき異物、それが「らしきもの」ではなく、「そのもの」だったようなのである。
あの朝ドラ「らんまん」の第5回、月は明示されていなかったように思うが、雪が舞っていたように思う。幼い万太郎が病床の母を元気づけようと「バイカオウレン」の花を探しに行き、ついにその花を一輪発見した、なかなか感動的なシーンであった。雪が舞う時期、たとえ一輪であってもバイカオウレンは花開くものなのだと思ったものである。
それをいま目の当たりにしようとしている、のかな? どう、花被片ばかりでなく、しべが見えないかい、米粒のような雄しべの形状が。
毎年見ていた花が潰えてしまう。やるせない思いが去来する。それが、たとえたった一茎であったとしても花を付けてくれた。見届けたいと思って、今日も撮っていた。北側の外塀に立ち上がっているフェンスの辺りである。
おや、道路側のその塀が、ぽつぽつと汚れが目立つ。なんだろうと凝視すると、蛹のようなのだ。ナミアゲハの蛹かな? 虫の知識などこれっぽっちも持ち合わせていないので、左右から糸状のナニモノかで体を見事に維持してこびりついている様は、なんとも感動的であった。そう、いままで、気にしたことがなかったので、これほど間近に見たのは初めてかもしれない。。。