番場宿
近江の中山道の中で1番小さい宿場町
四方を山に囲まれています
本陣跡 標柱
問屋場跡 標柱
宿場には、こんな風に「○○跡」みたいな
新しい立派な標柱がありました
なんだか、立派すぎて趣がないように
感じましたが
宿場によっては、木の標柱すらなく
本陣はあのあたり・・・
みたいな宿場もあるので
趣なんぞなくても、
ここに本陣があったんだな~~
と、想像できるだけで、有難い・・・
蓮華寺 れんげじ
1300年前 聖徳太子が建立
法隆寺と称していた
1333年
足利尊氏におわれ鎌倉を目指して
敗走する
六波羅探題・北条仲時一行432名が
ここで、力尽きて自害した寺です
山門前は除雪されていましたが
432人が自害した本堂前庭は
雪に埋もれていました
この時の住職が深く同情して
432名の姓名・年齢を過去帳におさめ
供養の墓碑を建てて冥福を祈ったそうです
墓碑は本堂の裏手にあり
この日は雪が多く裏手まで行くことが
出来ませんでした
過去帳は重要文化財としてこの寺に
所蔵されており、一般開放も
されているようですが
この日は、コロナ対策で見せてもらうことが
出来ませんでした
「番場の忠太郎」という戯曲を書いた
作家の長谷川伸さんは
この過去帳に書かれている
15~16歳の少年将兵の名前に
感銘を受け
忠太郎の故郷を番場にしたのではないか・・・
って、説明してくれた寺の方が言ってました
摺り播峠 すりはりとうげ 一里塚
江戸から118番目
さて、摺り播峠を越えますぞぉ~~
名神高速道路わきを
峠に向かいます
神明宮
ここらあたりが、摺り播峠の頂上らしい
番場の忠太郎の家も
ここら辺・・・
寒い日でしたが
峠の登坂で身体は暑くなり
皆さん上着、脱いでました
登りきったら、下らなければ・・・
落ち葉が湿っていて、滑ります
慎重に・・・
慎重に・・・
昔の旅人は、登山靴とか履いてませんわ
こんな道、どんなふうに
越えたんだろうか
途中からは、あまりにも悪路にて
講師の先生
旧中山道のすぐ脇にある
舗装された道を歩いたわけですが
街道を歩くツアーの皆さんは
中山道へのこだわりが強く
なぜに、中山道の旧道を歩かぬ
悪路でも、旧道を歩きたかったと
感想を述べる
ツアー友がおりました
摺り播峠、無事に越えました
鳥居本宿に向かいます
瞼の母って・・・
番場の忠太郎って・・・
ほんわか頭の片隅で、聞いたことあるけど
なに???
どんなお話なの???
YouTube先生に教えてもらいました
ふぉぇ~~
こういうお話なんだぁ~~
蓮華寺のかた
女優の五代路子さんが「瞼の母」を一人芝居した
ご縁で、毎年、蓮華寺にお参りくださるって
言ってました
境内には、五大路子さんの写真とか
飾られてました
瞼の母 三波春夫
番場と聞くと「忠太郎」を思い出します。
先に六波羅探題の北条氏一行を思い出したかった・・・。
ご一行のお墓もここにあったんですね。
いつの日かお参りしたいと思います。
でも、やっぱり忠太郎ですね。
番場の忠太郎って
聞いた事ありますが
話の内容は知りませんでした
YouTubeで、
いろいろ説明されていたので
見てみました
実は紙芝居が
1番わかりやすかったです
北条氏一行の供養墓碑は寺の
後ろにあるようですが
この日は雪が多くて
行くことができませんでした
パンフレットには
写真が載ってましたが
小さな墓碑がたくさんあるようです
430もあるのでしょうか?
お天気の良い日に歩かれたら
是非
よく見てきてください