2022・10・9
今回の街道歩き3日目最終日です
この日の歩きはじめは太田の渡しからです
ストレッチをして
GO~~です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/b8/f706262a44477f8b89da03a94944ce5d.jpg?1665736210)
古井一里塚 江戸から98番目
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/70/0466c5d21f1233214a20658d674f0c09.jpg?1665736210)
祐泉寺
太田宿の入り口にこの寺があります
北原白秋やら芭蕉やらの歌碑がありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/f8/222f34cbf45f97a2a061e4812ac212a3.jpg?1665736210)
播隆上人の墓碑
槍ヶ岳に初登頂して開山した僧との事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/b4/6d51852c27bcebb742de30953cc6d971.jpg?1665736210)
滋賀重昴(しげたか)の墓碑
地理学者で木曽川をドイツのライン川に見立てて
「日本ライン」となずけた人
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/9f/bf7205a2c6918fdc53ee5f33ba6dc477.jpg?1665783184)
旧旅篭 小松屋
伊勢参りに行く旅人が多く利用したとの事
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b8/2b8245ae578d534acb7991d8b8d1b494.jpg?1665736210)
太田宿
本陣 1
脇本陣 1
旅篭 20
太田の渡しを控えた宿場で
行政・文化の中心として発展した
飛騨街道と郡上街道との分岐点
宿場は木曽沿いに沿って続いている
脇本陣
母屋は1769年の建築
中山道随一の脇本陣遺構
国の重要文化財
母屋は今も林家の住居です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/4d/3732b82c8384b173c3a9d65bc28ca96d.jpg?1665736719)
母屋は見学できませんが
隠居家は見学出来ました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/4f/e52e29a0a8fb313f4b58e64105e41bfb.jpg?1665736719)
本陣
街道に面し
表正門が残るのみ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/cb/590fdd58bc133c2be139af1c2f64117a.jpg?1665736756)
太田宿中山道会館
トイレ休憩で寄りました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/33/bb14792fc1ea241aeb043800b893e345.jpg?1665736794)
会館には江戸時代の太田宿を再現した空間なども
ありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d6/a65008c4aa0ae748580015c95de73c3b.jpg?1665737023)
宿の西の出口には
坪井逍遥が少年時代遊び場だった
お堂があります
堤防に上がる手前にありました
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/78/355fcf37894e031ee0f3d40e47d8f2be.jpg?1665737073)
日本ライン沿いに歩を進めました
添乗員さんに促され
後ろを振り向くと
恵那山がはるか後ろに見えました
妻籠宿で目の前にみた恵那山が
はるか後方に
あそこから
あここから
歩いてきたのよ
すごいなぁ~~
私の足・・・
1っ歩1っ歩ってゆうけれど
ほんと、少しづつだけど
進むことできているのね~~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/06/3e/e203d40f15aeb6633eb1b7f733e1c6a1.jpg?1665737731)
岩倉観音
江戸時代、建築の観音堂に向かいます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f2/f296a814de210b43c312427c9dccb0b9.jpg?1665737731)
村人や旅人に厚く信仰されていたそうです
私も旅の安全を祈ります
ここからの日本ラインの眺めも良かったです
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/a3/2b20e68446ed6ac4edbaf6222e45988a.jpg?1665738933)
JR高山本線と国道をトンネルでくぐり
うとう峠に向かいます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3b/91cb1247a32cac123e6972306259fd14.jpg?1665737731)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/3b/91cb1247a32cac123e6972306259fd14.jpg?1665737731)
うとう峠
木曽川沿いの道が危険だったため
うとう峠を越えて鵜沼宿へ行く
中山道が1651年に付け替えられました
うとうは疎い(うとい)
「不気味」「不案内」などの意味が
考えられるとの事です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/72/3a9bd107c731985037abb454fa8b3955.jpg?1665737733)
うとう峠 一里塚 江戸から100番目だよ~~
中山道って1里塚って全部で何個なんだぁ~~
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/39/2ad7d98de6482a9355b9e3054e822376.jpg)
中山道
碓氷峠・和田峠・十三峠・琵琶峠
木曽路の登ったり下ったりの
名前もわからない峠を
幾たびか越えて来ました
うとう峠
あれ~~
こんなもんですか
楽勝~~
楽勝~~
なんちゃってね
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7e/a2250338bdc6950d73b69c95380d6b25.jpg?1665737920)
うとう峠を越えたら鵜沼宿の東の見附です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/6a/d01a324bf4f1c5c3a01eac8dbf9f5bc6.jpg?1665738216)
鵜沼宿に入って行きます
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/9f/6492deb33bc82108f2853f95cf3d92a8.jpg?1665738217)
鵜沼宿でこの日の昼食です
どんより空で峠を越えるまで降らないでとの
願いが叶いました
鵜沼宿に入った頃から
ぽつり・ぽつりと降ってきました
からっ風母さんのブログを読ませて貰うと街道歩きを楽しんでいることが良く分かります。
雨の中を歩く。
そんなのも、街道歩きの1ページですね。
最終日の出発地点。
あの場所は、かつてライン下りの出発地点で、中の島乗船場だった所です。
2012年8月にライン下りをしました。
https://blog.goo.ne.jp/gifu2212/e/e4d7b584094fff2c13080c5d69cbedab
こんなライン下り。
今ではライン下りが廃止となってしまいました。
鵜沼へ到着した後、犬山城に寄られたと思います。
城から川越に見える各務原市。
恐らく、お城に上がっても、犬山の街を楽しめなかったのでは無かったでしょうか。
最後に。
街道歩き、お疲れさまでした。
楽しめて良かったですね。
うとう峠っていうのがあるんですね~^^
いや、うちの妻の旧姓が『うとう』なもんでグッと来てしまいました
うとうは、山と山の間っていう意味があるみたいですね、いつか妻と一緒に越えてみようかな…
引き続き 街道歩きガムバってください!(^^)!
2日目のゴールでもありましたが
家族ずれや若い人たちでにぎわって
いました
てっきり、今でも
ライン下りやってるのだと
思いました
日本ライン沿いは景色が良くて
気持ち良く歩くことができました
納得です。
昔の人もナイスネーミングをしますよね
見たまま、感じたままが地名になっていたりしますね
のりさんも子育てが済んだら
是非、奥様とうとう峠越えをしてみてください