明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

傾き始めた帝国

2010-06-27 19:26:17 | 歴史


バシレイオス2世の元で栄光を極めたビザンツ帝国だが、屋台骨となる税収の安定には皇帝自身の力によるところが大きかったのである。
栄光の時代の水面下で進んでいた危機とは農民の間に貧富の格差が広がり、納税の義務を果たす能力のないものが増えてきたことにあった。しかし、バシレイオス2世は納税を社会の連帯責任とし、貧農が滞納した税を金持ちや貴族に強制的に払わせていた。

ズイブン強引な方法であるが、皇帝自身の軍事的な成功がそれを可能にしていた。

ところが、彼の後継者達は至って無能であるから、このような無茶な政策を維持できず、国家の屋台骨である財政が早くも傾き始める。

おおよそ指導者が有能であるときは多少の強引な施策も民衆が呑み、それが国家の安定をもたらすが、ひとたび無能になると強引な施策の反動から却ってコトは悪い方向へ転ずるものである。

専制国家においては有能な指導者が現れるとその才能を如何なく発揮できるが、無能な指導者がオノレの能力を省みず無茶をすると止める力が働きにくく、トンデモナイ状態になることが多い。

現代社会において民主制が発達した理由とはひとえに愚かな指導者が現れても専横に牽制を掛けやすく、暗君に退場を容易に求められるように民意に諮ることでリスクを低減させることにある。もちろん、これは名君が指導力を発揮しようとしても周囲に足を引っ張られてしまうというデメリットとセットになることは避けられないのであるが・・・・

かつてのプリンケプスの時代に元老院・軍人・民衆に足を引っ張られて危機に陥ったローマ帝国が見出した答え、すなわち強力な権力をもった専制君主によって足を引っ張られることなく施策が出来るという方法はユスティニアヌス帝の大遠征やバシレイオス帝の強力な帝国は実現したが、もはやこの成功のモデルの限界と短所は顕であった。

また、格差の放置は貧困層の労働意欲の低下を招き、牽引するはずの富裕層もこれを支えきれなくなり国力の衰退をもたらす。

だからといって金持ちからふんだくって貧乏人に配ると言うのが下策であることは論を待たない。当然そんなことをされては働くことがあほらしくなる。

貧困層が自力で境遇から脱せないときに、テコ入れして這い上がれる環境を整えることこそ国力の基盤である税収の安定をもたらすことが出来るのではないだろうか・・・

そして、内側から崩れ始めた帝国に新しい敵が現れる。

ビザンツ帝国の後半における宿命の天敵、トルコ人である。

もともとアルタイ山脈のふもとで遊牧を営んでいたトルコ人はやがて彼らの支配者である柔然に反旗を翻し独立を勝ち取り、突厥帝国を築く。やがて東の方で隋朝末期の混乱を制した唐帝国は白村江の戦いで百済・日本連合軍を新羅と組んで破り、さらには高句麗を滅ぼし東方の安定を確保する。唐帝国は北方の東突厥を支配下に治め、遂には3代目の高宗皇帝の代に西突厥を支配下に治める。

そんな祖国が唐の支配化に入ったトルコ人の一部は西方に移動しアラブ人の傭兵になるが、彼ら自身が中東に王朝を造るにいたる。

セルジューク朝トルコである。

そしてセルジューク朝との対外関係、さらにはセルジューク朝がモンゴルに滅ぼされた後もビザンツ帝国を呪縛し続けることになるのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする