以前に導関数を算出するという行為を微分するって説明しましたが、この導関数ってものがどんな性質をもつものか述べてみましょう。
一言でいえば変化の法則です。変化の仕方が刻々と移り変わっているときにどのように変化させようとしているかを刻々と表しているわけです。
導関数が0になるところでは接線の傾きが0すなわち水平になる。この場所を「極値」って言いますが例外があるってことをあらかじめ言っておかないと数学がある程度わかっている人から見たらでたらめ書きやがってwってことになりますね。ただ、多くの場合は極値つまりは山のてっぺんになるか谷底になるわけです。
では導関数の導関数ってのは?ってことですが、これを求めることを二階微分って言います。なんか日本の今の政界のボスを細かく切り分けてゴミ箱に投げ捨てるという実現すれば爽快間違いなしみたいなネーミングですが、やってることを微分を2回するってことです。算出される関数は2次導関数と言います。
2次導関数がプラスの時は変化が増え続ける。接線の傾きは大きくなっていく。そうなると元の関数は下向きに凹む形になります。逆にマイナスになるときは変化が減り続ける。接線の傾きは小さくなり続ける。元の関数は上に凸の形になります。2次導関数が0になるときに凹凸の境目となり、この点を変曲点と言います。
こうすると、導関数と2次導関数が0になるところが重ならない限り、導関数が0になるところで2次導関数がマイナスだったら山の頂(これを極大といいます)になり、2次導関数がプラスなら谷底(これを極小といいます)になる。2次導関数が0になるところを境に凹凸が入れ代わる(これを変曲点と言います)。
このようにして微分法で導関数と2次導関数が0になるところと、その時に縦軸の数値を算出すれば関数のおおよその形を描くことが出来るわけです。
人生山あり谷ありとは言いますが、関数ってのは人生に通じるものがあるようにも思えます。私の場合はなぜか不思議なことに人生谷あり崖あり谷底には落とし穴wって気もしなくはないですがとりあえずそのことは置いておきましょうw
上り坂でも上り具合が小さくなってくれば頂点が近く、それを過ぎれば下り坂になるから用心すべし。下り坂も下り方が小さくなればやがて底をついて上り調子になるから希望を持とう。運勢の絶対量と上り運、下り運ってのはよく見ますが上りと下りの変化を見ると運勢の変曲点ってのも見逃さないようにしたいものです。とは言っても私ぐらいの年齢になればこの後、極大・極小・変曲点もなくって棺桶まっしぐらな気もしますが・・・
変化が0になるときに極値にならないのは導関数が0でさらに2次導関数が0になるとき、その時に2次導関数が前後で符号が入れ代わると極値ではなく変曲点になる。符号が入れ代わらなかったら極値になる。
そういえば昔電磁気学で2階変微分方程式であるラプラス方程式の解は極値を取らないってピンとこなかったんですが、こうやって書いていくと確かにそうだなぁと思えます。結局電磁気学は若いころ良く分からなくて、今となっては昔分かってたことすらわからなくなってる。電気系の技術者の資質は電磁気学の理解程度を見ればいいって言われたことを今もって痛感しますね。電気に関することってたった4つの公式の上に積み上げられたもので電磁気学をしっかり学べば多岐にわたるように見える電気工学・電子工学は根底でつながる基本理論の上に成立しているから、基本を抑えられる人は応用が利く。私が応用が利かない大したことのない電気技術者になってしまっているのも若いころの怠惰のツケなんでしょうw
で、運勢の関数がy=-x^3なんて人生が一番最悪で、x=0で傾きは0になる。やっと下りが終わったかと思えば更なる下り運でトドメを刺されるなんてのもあったりする。
数学はそんな森羅万象を抽象的に映し出す鏡みたいなところがあって、だから算術も糞オモロナイんですけど、数学となるとそこに絶望が加味されてますます嫌になったんです。
とことん数学が嫌いだって話の次は累積の法則である積分について述べることにしましょう。