明日は明日の風が吹く

明日の事を今日悩んだって何にも解決しない
まぁ何とかなるさ!

日本最大の情報機関とは・・・

2024-11-19 21:04:44 | 歴史

先の衆院選で大躍進を遂げた国民民主党の党首 玉木氏の不倫が報じられてますけど、巷のうわさ通り情報を撒いたのは財務省でしょうね。

財務省こそ最大の情報機関となりうるのは主計局が予算編成を通じて役所の情報を、主税局が徴税を通じて民間人や企業の情報の取得をかなりやばい方法で取ってくることを古来から認めているからなんですね。

官僚を指揮する政治家だって選挙でえらばれるもとはと言えば民間人、税務の調査を通じて情報を集められて財務省の意にそぐわない施策を実行しようとしたら脛のキズを晒してやっつけようとすることぐらい朝飯前でしょう。志があって施策をよく勉強している政治家でも財務省に正面切って喧嘩が出来る政治家が極端に少ないのも無理なからぬこと。かといって財務省主計局の意向に沿った岸田政権が国民に評価されない状態が続いていることも国民だってそろそろ財務省エリートのやり口の汚さを分かっているからなんでしょう。

 

ところで・・・

国民民主党と言えば先の総選挙で惜敗した伊藤ななこさんに言っておきたいのは、同じ選挙区でこの方より得票が少ないれいわの候補が惜敗率のトリックで復活当選したこともショックでしょうが選挙を振り返ってのコメントと票を投じてくれた有権者へのコメントはしてほしいところ・・・

個人の問題である電験2種取得とは訳が違うんだってことは自覚しておいてほしいと思うんです。敗戦しても次にどうつなげるかをしっかり有権者にアピールしなくっちゃならない。電験3種の自己採点のようにライブで出題者に悪態をつくってのは選挙では通用しないってことです。

電験2種は私も落っこち続けたので、試験当日の心境ってのは

明け方・・・今年こそは電験2種を取るんだ!

昼下がり・・・頭の中が真っ白ww

夕刻・・・出題者ぶっ〇ローす!! ← 自分の不勉強と理解の悪さではなく出題者に呪いの言葉を吐く時点でそりゃ落ち続けるわなwというツッコミはいったん忘れてください

って変化するのが6年間のルーチンwでしたがあくまでも私個人の問題で、私が受かろうが滑ろうが日本人のほぼ総人口に匹敵する人々にとってはどーでもいい事です。

しかし、選挙ではあれだけの票を集めたんです。落選してもどう次につなげるかというのは全国何百万人の有権者とやがて有権者となる次世代の人々が関心を寄せているはずなんだってことを自覚してほしいと思っています。

 

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レマゲン鉄橋と櫻井よしこ

2024-01-22 20:41:09 | 歴史

櫻井よしこさんのX投稿で「あなたは祖国のために戦えますか」が物議をかもしてますね。

この人の言ってること自体は正しいのです。一国の独立と主権は軍事力の裏付けなくして守れるものではなく、国防は国政の根幹です。また、自分たちで戦おうとしない国民をどこかで誰かが善意で守ってくれるわけでもありません。

しかし、そのことを自分はぜーったい弾が飛んでこないところから声高に叫ぶ政治家とその取り巻きを国民が忌み嫌うのも当然なことなわけです。

レマゲン鉄橋という映画を見られた方は良く分かると思いますが、自分はぜーったい弾が飛んでこないところから突っ込め~!と命じる上官ってのはみんなの怨嗟の対象にしかならない。第二次世界大戦中にライン川にかかるレマゲン鉄橋をナチスが爆破するまでに占領しなければライン渡河が大幅に遅れて相手に息をつかせることになる。一方でナチスはライン川に架かる橋を次々と爆破して最後の撤退路にこの鉄橋が残っている。焦る軍部はライン川の西側にいる兵士を残して爆破することを前線に命じる。

マクロな視点から見れば命を賭してでも戦わなければならないことは明白なんですが、無理に占領を急がせたり前線の兵士の退路を断とうとする上層部に対して最前線にいる人たちが「だったらお前がやれよ!w」と反発するのも当然な話です。

戦場で戦わずに済んだ高齢の人が若者に国のために命を賭して戦え!というのは、自分は弾が飛んでこないところから愛国節をほざいている連中はともかく、実際に戦場に行かなければならないかもしれない若い世代の反感を買うのは当然のことでしょう。

 

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落とし穴をほじくる労力を惜しまない人々

2024-01-16 21:19:50 | 歴史

自分自身と他人の幸福と不幸を軸に人間性を区分けすると・・・

①他人を蹴落としても自分の幸福を求めようとするエゴイスト、とは言っても私を含め大半の人間はこの属性になってきます。

②自分も他人も幸福になろうとする人。

③自分を不幸にしてでも他人を幸福にしようとする献身的な人。

④自分を不幸にしてでも他人の不幸を追い求める人。

の4種類になりますね。今回は④の属性のいわゆる落とし穴をほじくる労力を惜しまない人の話です。

時は平安時代、藤原北家が権勢を極めた時代の人で名は藤原兼通って言います。

大河ドラマに出てくるクズっぷり全開の藤原道兼の叔父にあたります。この人は弟の藤原兼家と激しい権力争いの末、関白になったとだけあって弟の兼家とはひどくいがみ合っていました。

ですが、お迎えは兄の方が先に来たと見えて死に至る病の病床に臥せっていました。そんな寝たきり兼通の屋敷を兼家の牛車が通りかかる。兄の死が近づいて今度こそ自分が関白にと宮中へ参内しようと兄の屋敷の前を通り過ぎていきます。

これを知った兼通は病で苦しかったんでしょうがそれを押して起き上がり、身支度を整えて牛車を弟より早く宮中に着くようにと急がせます。

そして弟に天皇の前で降格人事を言い渡してザマミロと心の中でガッツポーズをして向こうの世界へ旅立っていくのです。

病を押せば自分が苦しくなるのに、そうしてまで弟を不幸にして死んでく藤原兼通こそ落とし穴をほじくるための労力を惜しまない人の典型と言えるでしょう。

 

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語族で見ればどうなのか

2023-10-29 11:21:18 | 歴史

またまた杉田水脈さんが叩かれてるみたいですけど、この人に抱く感想と言えば「馬鹿に付ける薬はない」でしょうね(笑)

それはともかくとして、このバカを擁護する言論の中に「そもそもアイヌ民族は存在しない」なんてのがありましたけど、アイヌ民族は確かに存在するでしょう。言語で見れば日本語とアイヌ語は別の系列の言語です。

また、アイヌ人が文字を持っていないことなどをもって文化や宗教が低レベルなどとのたまう向きもありますが、シャーマニズムだって立派な宗教であり自分の信仰を他人様にバカにされる謂れは無いはずです。

確かにアイヌ語は文字を持たず、すべては口頭で伝達されていきました。ですので優れた文学作品や宗教文学が発達しなかったのは仕方がないところもあります。

日本語もアイヌ語も単立の言語とされていますが、当然近い語族というものは存在するもので日本語はトルコ語・モンゴル語・満州語・朝鮮語に近いアルタイ語族ってことになる。ではアイヌ語はというと北欧のゲルマン系の言語に近くインド・ヨーロッパ語族の系列ってことになります。

言語単体では日本語の方がアイヌ語より優れた文学作品や宗教書を生み出していますが、語族という観点ではアイヌ語に近いインド・ヨーロッパ語族からは圧倒的に優れた宗教書が生み出されています。

解釈は完全に私の主観なので真意は怪しいですがインド・ヨーロッパ語族で書かれた宗教書に思いをはせてみますと・・・

例えばお寺へ行けばお経が読まれますが一番有名なのは般若心経でしょう。このお経のみならず法華経・無量寿経などの大乗経典の原典はサンスクリッド語でインドヨーロッパ語族の言語で書かれています。一部を抜粋してみますと・・・

照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

全ての現象や心身の思うところや行動や体の状態などに実体がないことを悟るときに人はすべての苦しみから解放される。

あると思うところは実は実体がなく、すべて実態があると思ってすがるところから苦しみは生じる。しかし、空や無の境地というのは在るものによって構成され在るものを知ることなくたどり着くことはできない。完全に無であろうとしてもなんらかの有とかかわらないわけにはいかない。悟りが仮に一文でこういうことなんだと記されると仮定しても、特定の偏った拘りに書かれた○○という訳でもないとなってきますので最終的にたどり着く人のあるべき形は空であり無であるとなってくる。

 

教会へ行けば新約聖書が読まれますね。新約聖書はギリシア語で書かれていますのでやはりインド・ヨーロッパ語族ということになります。新約聖書がギリシア語で書かれているのは翻訳されても伝わってきまして、フランシスコ会訳聖書より見てみますと、

わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。始まりであり、終わりである。(ヨハネの黙示録22-13)

フランシスコ会訳聖書のロゴに書かれているA Ωは決してアンペアとオームではなくギリシア語アルファベットの最初とアルファAと最後のオメガΩです。

では新薬聖書に書かれている人の在り方について抜粋してみますと・・・

愛は寛容なもの 慈悲深いのは愛 愛は、妬まず、高ぶらず、誇らない。

見苦しい振る舞いをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数え立てない。

不正を喜ばないが、人とともに真理を喜ぶ。

すべてをこらえ、すべてを信じ、すべてを望み、すべてを耐え忍ぶ。(コリントの人々への第一の手紙13-4~7)

例えば身近な人が間違いをしているときに友情のひびが入ったり厄介なことになるのを恐れて何もしないってのは自己中心的な考え方です。かといって相手の非を言い立てることで自分の正しさを示そうというのも自己中心的な考え方です。少なくとも誰かに指摘するときは相手を自分の下などと思いあがらず、相手がそうするのにも理由があるんですから相手について何かを決めつける前に理解するように努め相手のために指摘をすべきでしょう。とは言っても相手のためを思ってということに固執するとこれまた自己中になる。

結局人間が自己中を脱してあるべき姿になっていくには何らかの思いや考えだけで行動に現れることがなければ実っていないことになる。かといって人間は自分の行動をよりどころに自己中から脱しようとしても行動にすがることから自己中に囚われる。自己中を抜け出すには神が自分自身を良いものとして創られたことに信頼を置くことで初めて行動という実りに結び付く。

 

実に人間が自己中を脱してあるべき姿を極めるってのは仏教もキリスト教も難しい教えなんですね・・・

ま、全く別の宗教や対立する概念として語られたりそのように施策が行われた歴史を見てきたわけですが、人の苦しみってのは外的な災難か内的な自己中が原因となってくる。外的な災難はお互いに支えあって時間の流れが不幸を希釈する側面がありますが、内的な自己中による苦しみは放っておけば時間が濃縮してますます人を苦しめる。その囚われからの解放などには単に自然法を超えた両者の共通点を見出すことになる。

そして、その聖典が同じ語族に属する言語で原典が書かれ、その語族は日本で古来より暮らしてきたマイノリティーの民族の言語に近い言語で書かれていたというのも不思議な話です。

 

 

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ヒートアップした議論には加わらないのが賢明

2023-09-03 00:46:16 | 歴史

何かを述べるとき忠実であるべきは思い入れや思想信条ではなく、ただただ事実関係に対してのみですよね。

関東大震災での朝鮮人虐殺事件をめぐってメディアとネトウヨがいろいろ述べ合っていますが、当時の資料などから類推できる二次的な情報をもとにしていて、確実に事実と断定できることをもとにしているわけではありません。ですので、こうした議論には加わらないのが賢明というものでしょう。

事実がはっきりしているなら、愛国心や平和への思いや差別の根絶なんて思い入れは事実の前にはどうでもいいことになってくる。思想信条は人によって違うし正義の基準はころころ入れ替わる歴史を私たち人類は眺めてきた。

しかし、事実は覆せないですよね。時がたてば隠せる事実もあろう。しかし、故意に事実を曲げて伝えることは罪である。

確実に分かりきっている事実を他の人が知らないのをいいことに偽証によって曲げようとしても、他の人はごまかせても自分自身の良心に照らし合わせれば恥を受ける。ここで、偽証して自分の良心にすら恥じなくなれば人間として終わっている。すべての人には一人一人の人間を設計した方により自分自身の良心が組み込まれていると信じたい。偽証をして心に疚しさが残らないところまでくれば神を畏れないその姿勢はある意味立派ではある。

しかし、神を畏れず人間の英知をよりどころにする人々の没落や虚しさを歴史は教えてくれる。

事実が見えない以上、この問題について何かを尤もらしく語るのはやめた方が身のためというもの。

 

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ファラオの話の補足その1

2023-06-24 18:11:31 | 歴史

さてさて、映画「十戒」のせいで実像より小さく醜く人物像が伝えられてしまったファラオ ラメセス2世の話をしましたが、聖書に書かれているエジプトに降りかかった10の禍について地球物理学の視点で述べてみましょう。

まずは、10の禍を順番にリストアップしてみましょう。

1.ナイル川が血に染まる

2.多量の蛙がナイル川から上がってくる

3.ぶよ、蚊の大量発生

4.蠅、虻の大量発生

5.家畜の疫病

6.腫瘍に人々が悩まされる

7.巨大な雹が降り、人・家畜・農作物に被害が出る

8.蝗の大量発生で農作物が壊滅的なダメージを受ける

9.暗闇

10.長子の死

となってますね。旧約聖書が古代ヘブライ人の視点で書かれていますからヘブライ人にとっては奴隷から解放される神の奇跡なんでしょうけど、古代エジプト人にしてみればこんだっけ酷い目に遭わされたらたまったもんじゃないでしょうw

竹内均氏もシムカ・ヤコボビッチ氏もサントリニ島噴火による火山活動の影響を原因として挙げています。何が起こったかと言いますと・・・

ナイル川上流で火山ガスの噴出があり、地中の酸素と結合していない鉄分が川に混ざりこむと水中の酸素と一気に結合していく。鉄と酸素の結合は早く、労働安全衛生法関連で酸素欠乏等防止規則のなかでは船底でバナナを熟成させるのと並んで鉄板などが閉ざされた場所に置かれているときは酸素濃度を測定して労働者を酸欠から守ることが義務付けられています。水中の酸素と噴出した鉄分が結合することでナイル川は血のような色と臭いになり、溶存酸素の欠乏は魚などの水中生物を死滅させます。ですが、蛙は川から上がることが出来るので活路を求めてナイル川沿いのエジプトの諸都市で上陸して人々を不快にさせたことでしょう。ですが他に河川がなく降水もほとんど望めないエジプトでは川から離れた場所では蛙の死滅は時間の問題です。

魚と蛙の死滅は川の中のボウフラやぶよ・蚊の捕食者が居なくなることを意味します。そうなるとぶよの大量発生が起こる。魚や蛙の死骸からは蛆が湧き蠅が多量に飛び交うことになる。そんな不衛生な状態が続けば蚊や蠅を媒介にした病原菌により家畜や人体に健康被害が出るのは当然です。

聖書ではファラオの頑なさが禍の連鎖を招いたとされていますが、ここまでは一度河川への鉄分の溶出が起こればファラオが頑なであろうと心を入れ替えたって避けられないことであるのは見てわかると思います。

次にそこそこ火山灰を伴う噴火が起こり急激に日照が少なくなる、そうすると上空の寒気に急激に冷やされることで雹が発生する。とは言っても雹で農作物はダメージを受けますが壊滅的にまでなることはないでしょう。まるで楽しみは次に取っておくと言わんばかりに・・・

急激な気候変動などがあるとサバクトビバッタは環境変異を起こして異常発生して周辺の植物を食い荒らしては活路を求めて次々と飛び去って行く。蝗害は現代でも人類の重大な脅威です。日本では幸いエジプトやエチオピアなどから飛来する飛蝗はヒマラヤ山脈に阻まれてやってきませんが、在来種による蝗害は深刻な飢饉をもたらしてきました。

その後、さらに大規模な噴火が起こりもっと多量の火山灰が成層圏近くまで噴出されることで太陽光が絶望的に地表に届かなくなる。メカニズムを知る現代であっても火山活動による日照の減少は脅威であるのに、メカニズムを知らない古代エジプト人は震え上がったことでしょう。

そして、長子の死。竹内均氏はこの禍以外は火山活動によるものとしていますが、当時の長子は現代とは比べ物にならない特権が多く与えられていて、その風習の何かが原因であることは容易に推測が付きます。古代より睡眠というのは神聖視されていて、眠った人の魂は体を一旦離れて地下の神々の国に入り、目覚めと共に地上の体に戻ってくると信じられていたようです。まぁ、食事と睡眠を大事にせずにろくろく食事も睡眠を取らずに何かをしようとしても、逆に過剰に食事や睡眠を貪ってもツケは必ず自分自身に還ってきますね。長子は地下の神々の国に近い床の上のベッドで寝ることが許されていました。一方で次男以降は荷車やハンモックなど地表から遠いところで寝ていました。

そこに比重の重たい炭酸ガスが多量に噴出したなら・・・

地表で寝ている長子はひとたまりもなかったでしょう。一方次男以降はB級映画ばかり上演してるような安上がりの天井の低い映画館などで体験できる寝苦しさこそ感じることはあっても、その高さでは炭酸ガス濃度は命には別条なくなっていたことでしょう。臭いのある毒ガスと違って空中に拡散されると痕跡もなくなって、それこそ長子だけを狙い撃ちで殺害されたように見えたことでしょう。

エジプト人にとっては災難としか言いようがありませんが、ヘブライ人にとっては奴隷解放のために起こった奇跡だったわけです。この前日に無発酵パンと羊の焼き肉で食事を行ったことが「過ぎ越しの食事」と呼ばれ現代でもユダヤ教の最も重要な祭りとなります。過ぎ越しの食事を共にするというのは特に重要で親しい人が相手で、かの有名な最後の晩餐でキリストが「私はかねてから貴方達と過ぎ越しの食事を共にしたいと願ってきた」と述べたのは、少なくとも磔刑以前ではキリストが最も苦境にさらされ人々の離反と孤独を感じたその時もキリストから離れずともにいた12人の弟子、裏切ることになってもその時はキリストと共にいてキリストの友であったイスカリオテのユダをも自らの受難を前にした過ぎ越しの食事を共にしたいと願っていたからなのでしょう。

過ぎ越しの食事が立食で徹夜で行われたことで濃度の高い炭酸ガスを吸わずに古代ヘブライ人は禍を過ぎ越したという説もありますが、古代ローマの占領下で彼らの風習に倣って過ぎ越しの食事も寝転がって食べていたようです。ダビンチの最後の晩餐では椅子に座ったスタイルで、それだとイエスの愛している弟子が「誰が裏切るのか」を聞くときにキリストの胸に寄り掛かるシーンは甘えたしぐさになってきますが、寝転がっての食事となると何かをひそかに聞き出そうとするときは自然に胸に寄り掛かって聞くことになるんですね。

 

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映画「十戒」にいたく名誉を傷つけられたファラオw

2023-06-21 20:04:37 | 歴史

映画「十戒」を見てると古代エジプト第19王朝ラメセス2世って滅茶苦茶印象が悪くなりますが、実際のところはどうなんでしょ?

映画ではユル・ブリンナー氏があくどいくせにやられ役全開のファラオを演じておられましたね。スキンヘッドの悪役を演じるとスキンヘッドが快感になるのか、インディー・ジョーンズ魔宮の伝説のモララムの如く生涯を通じてスキンヘッドでしたね。スティーブ・マックイーンと共演した西部劇「荒野の七人」でもスキンヘッドでした。

ラメセス2世が悪役とされるのは世界のベストセラーである聖書が原因でしょう。ですが、聖書はヘブライ人の立場で書かれたものであり、古代エジプト人には彼らなりの立場と言い分があるはずです。さらに言えば出エジプトが行われた時のファラオはどうやらラメセス2世ではないという説が強い。

ラメセス2世は第19王朝のファラオですが、出エジプト記に出る禍は火山活動で説明がつき、このあたりの大規模噴火と言えばサントリニ島大噴火があげられるんですが、この噴火は第18王朝の時のもので、第19王朝もそこそこ進んだ時代の出来事ではなさそうです。

フランシスコ会訳聖書の分冊は数ある翻訳聖書の中でも学術的に優れた注釈が施されていますが、ここでは圧政者ファラオと脱出時ファラオを第19王朝のセティ1世とラメセス2世という推測を有力視しています。ここで言及されているのはモーセの後継者ヨシュアによって攻め落とされたラキシュという都市の滅亡の年代が発掘調査とC14からおおよそ分かっているということです。

ちょっと聖書から引用してみましょう。

「ヨシュアは全イスラエルを率いて、リブナからラキシュに進み、陣を敷いてこれと戦った。主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので、二日目にこれを取り、町とその中のすべての人を剣の刃にかけて討った。」<フランシスコ会訳聖書 ヨシュア10・31~32より引用>

ここで記されているのはヘレムと呼ばれる住民を全員奉納物として滅ぼす戦い方です。通常はおとなしく降伏してくれば住民全員の生命と財産を補償する代わりに強制労働を課する、寛大ならば税を納めるだけで済むことでしょう。戦いに及べば戦闘員である野郎は殺害、女子供は奴隷として売り飛ばすがビジュアルが優れた女子は奥ちゃま・妾・召使として迎え入れる、家畜は山分けってのが一般的です。ですが、特に手こずらせた都市や節目の重要な戦いでは住民全員を殺害する、家畜は山分けが認められるが特に重要な戦いでは家畜も滅ぼすことが義務付けられる。

ここで聖書に限らず古典を読むときは、当時の知識・価値観・倫理観をもとに書かれていることを踏まえて読む必要がある。現代社会において聖書無謬論に立って聖書の世界観・価値観・倫理観を全面的に適用するのは馬鹿げた行為としか言いようがありませんが、かといって現代人の価値観で一方的に聖書などの古典を断罪していいものとも思えません。まぁ、ヨシュア記の額面通りひたすらヘレムが行われたとは考えにくい。非戦闘員の虐殺が繰り返されると兵員の間には厭戦感が広がってくる。実際にナチスは銃殺などでは親衛隊員の心理的負担が大きいからガス室を導入して実質作業を囚人にやらせたわけですから。ヨシュア記で強調されるのは神への信頼の元に厭戦感にさいなまされることなく戦い抜いたってことを強調したいようですが、史実はやはりヘレムは要所に限られていたようです。

そしてラキシュの調査では聖書の記述通り非戦闘員に対する虐殺行為が行われたことが分かるのですが、同時に年代もラジオアイソトープC14からおおかた分かってくる。そこから聖書に記述されるヘブライ人が放浪していたとされる年月40年を差し引くとラメセス2世の時代となりますが、計測は必ず不確かさを含み、荒れ野を放浪した40年という切の良い数字も信頼を置くわけにはいかないでしょう。

そんな中で高校時代に竹内均さんが「科学が証明する旧約聖書の真実」という著作の中で地球物理学者の立場からサントリニ島の大噴火が出エジプトを引き起こしたという考え方から第18王朝後期に出エジプトが行われたという説を述べてたのを読みました。ずっと後に見たシムカ・ヤコボビッチ氏の説では第18王朝前半のアフメス説を取り入れています。ここではヒクソス人の元でヘブライ人は既に奴隷状態にあるという説を取っています。紅海の奇跡だって地殻変動に原因を求めたほうが分かりやすいですし、荒れ野で得られた天から降ってきた不思議なパンことマナも火山活動から考えたほうが分かりやすい。砂漠にすむカイガラムシの系列の昆虫は樹液を吸った後、ミネラルバランスを保つため余剰炭水化物を空中に噴射する。これがテントに凝固してマナになるわけで、フランシスコ会訳聖書の分冊でも竹内均氏の著作でもこの昆虫への言及があります。多量に得られたことを奇跡とする考え方もありですが、火山活動に伴う気象異常で考えると、この昆虫の異常発生によって多量に得られたという説も説得力があります。

高校時代に読んだ竹内均氏の著作はこの本と旺文社の「基礎からよく分かる物理」でしたね。後者は完全に学習参考書です。まぁ、難しい公式の暗記に走らず現象を図解・写真などで説明しているのが特徴です。物理学ってのは何が起こっているか現象のメカニズムを説明するもので、最終的には定量的な数学を用いた解析をしなければならないんですが、現象が分からないままに公式を暗記すると必ず半ツブレになってしまいますw。実際に高校時代に「そんな参考書では受験問題は解けないぞ」などと抜かして参考書マウントをかけてきた連中は結局難易度の高すぎる参考書についていけずに公式の暗記、酷いのになると過去問の解法の暗記に走って半ツブレになってましたw。同じ問題が必ず出る保証があるならそれでいいのですが大学受験やそれなりに権威のある資格試験は出題者だってバカじゃないんですから過去問の解法の暗記で何とかなるような出題をするはずがないww

高校時代に竹内均さんから学んだことは、古典に出てくる突拍子もない奇跡譚は完全な作り話ではなくて古代人が何らかの自然現象を目撃した体験をもとに記述されたと考えたほうが良いということ。学習参考書は自分が分かったと実感できるようなものを選ぶべきで、程度が低すぎれば分かりきった話の羅列に辟易とさせられるし、高すぎれば内容についていけないけど頑張っているという気分に浸りたくなって表面的な学習をどんどん進めて、時間をかけて勉強する割には何もわかってないって状態になるってことですね。

そして、年月を経て聖書を読むときの視点は今でも生きてるんですが、学習参考書の選定ではつい数年前にバカをやってしまいます。そう、思い出せばトラウマがよみがえる電験2種です。リセット食らって3年目はやたらいろいろな参考書や問題集に目移りして本棚にインテリアじゃなかったw参考書と問題集を増殖させます。そして4年目はほぼ無気力、5年目に原点に立ち戻り基本をしっかり学ぶことをやり直しますが付け焼刃で何とかなるわけがなく、6年目でやっと免状取得という運びになります。

十戒に出てくるファラオも懲りない奴なんですが、この時の自分を見ると脱出時ファラオの事を嗤えません。高校時代の私が今の私を見れば「懲りねえ野郎だなw」と笑ったでしょうし、社会人になってそこそこのダメ人間全開な私だったら「そもそもそんな厄介な試験を受けなきゃ苦しんだり悩んだりせずに済んだやろw」とこれまた笑い飛ばしてそうですw

 

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南禅寺なんだね

2023-05-28 09:49:00 | 歴史

細川護熙元首相が南禅寺に自筆の襖絵を奉納したみたいですね。

細川氏と言えば応仁の乱の時期の細川勝元のイメージが強く、細川氏と言えば龍安寺をイメージしてしまうのは私の歴史に対する視野の狭さと言ったところでしょうか。

細川元首相は室町時代末期から江戸時代初期に活躍した細川藤孝・忠興の血筋ですが、本来傍流であったこの血筋が表舞台に出てくるのは本流の細川政元が明応の変で権力を掌握するものの暗殺されて京兆家が没落してからなんですね。

 

細川勝元・政元親子が管領としてまるで評価に値しない人物であるように、総理大臣あるいは元首相としての細川護熙氏はまるで積極的な評価をするに値しない人物ですが、歴史的な背景を背負った文化人としてみるならば、なかなか味のある襖絵を描ける風流人としては評価をするの値するんじゃないでしょうか。

 

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どこで廃れて途絶えたか

2023-05-13 15:57:21 | 歴史

古代エジプトのイシス神殿の遺跡から仏像が発掘されたみたいですね。

もともとマケドニアのアレクサンドロス大王がインドからエジプトまで制圧したことから仏教がエジプトまで伝わっていても不思議ではないと思ってましたが実証される発掘があって何よりです。

アレクサンドロス大王自身が東征で最も大きな敵であったアケメネス朝ペルシアの被占領地をそのまま統治することになりアケメネス朝の宗教的に寛大な政策を継承してますから仏教が西へ伝搬すること自体は不思議なことじゃない。

アポクリファのマカバイ記でアレクサンドロス大王がこき下ろされているのはアンティオコス4世エピファネスによるギリシア同化政策以降に書かれたからで、それ以前に書かれていればもっと良い評価を得ていたことでしょう。事実のちに第2神殿を破壊したのはティトゥス率いるローマ軍で、ユダヤ人がローマの支配下にはいったのは共和制末期のポンペイウスによるエルサレム占領で、それ以前に書かれたマカバイ記はローマ人を実に好意的に記しています。

西方に細々入った仏教は遊牧政界では非殺生の戒律など好ましくないように映ったのは想像に難くなく、さらに地中海の北側はキリスト教、南側はイスラム教と言った具合にオリュンポスの神々を始めとする比較的寛大な宗教文化はヘブライの神の前に駆逐されることになります。それ以前に細々と入ってきた仏教はヘブライの神の前に容易に消されたことでしょう。

一方でキリスト教ですがネストリウス派の流れを引く宗派は唐の国まで伝播して景教と呼ばれます。遣唐使が長安の都にやってきたことでしょうから一部の日本人は奈良時代にはキリスト教の存在を知っていたことになります。ですが、なぜか景教は日本に伝わらずキリスト教の伝来はずっと後の天文年間室町戦国時代のフランシスコ・ザビエルによってもたらされることになります。

天橋立の知恩寺には地獄絵図が、フランスのシャルトル大聖堂には地獄の彫刻が刻まれて、洋の東西を問わず人間の考えることって似たり寄ったりと思いがちですが、ヒンディーや仏教などインドの宗教やユダヤ教・キリスト教・イスラム教と言ったヘブライの神を奉じる宗教が天国と地獄とか地獄極楽みたいな二元論的な死生観を受け入れるのはゾロアスター教を奉じるアケメネス朝ペルシア以降のことです。それ以前はインドでは輪廻の思想がユダヤ教では死ぬ時の楽しみや苦しみがそのまま冥府で継続されると信じられていたわけですから。

知りたいのはオリエント世界で仏教はどんな風にとらえられて結局受け入れられずに滅んでいったのか、景教はどうして日本に渡らなかったのか。遣唐使が持ち帰らなくとも景教の僧侶が遣唐使船に乗ろうとしても不思議じゃない。今でこそ大陸からは黄砂・爆買いや犯罪あるいは不法就労などを目当てに渡ってくる人々など大陸から渡来する者には碌なイメージを持ちませんが当時は隋や唐の文化を学ぶために日本人は命がけで海を渡ったわけですし、大陸からも鑑真和上など優れた人物が渡ってきて日本に優れた文化を伝えていたわけですから。

 

そして不思議なことに今の日本のキリスト教はカトリック・プロテスタント・東方教会など欧米経由で伝わってますし、欧米の仏門に帰依する人って日本経由の仏教を奉じてるんですね。

 

 

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その後のお香マイスターの運命

2023-04-25 21:46:13 | 歴史

以前にお香の達人こと聖書に出てくるニコデモの話を書きましたが、今のネットツールの時代ならニコデモのファリサイ人仲間のLINEのグループチャットやSNSは炎上、メル凸の嵐はやまないことでしょう。仲間内で磔刑ザマァwなんて盛り上がってる最中にキリストの埋葬に間に合うように没薬のキロ買いに奔走してたわけですから。当時はもちろんAmazonやアラビア雑貨のネットショッピングなんて無いわけですから、キリストの磔刑の日にこの人がしてた地味な苦労は想像に難くはありません。

 

なんてことを思ってたら、リアルな世界ではこのお香マイスターはファリサイ人の仲間内からメッタ打ちにされて命まで取られてたらしいです。

 

で、8月3日に聖ニコデモの日なんてのがあるらしいです。

 

この日にニコデモのアロエと没薬の調達を偲んで、アロエヨーグルトを食べながら新しいお香の試し焚きをしてみますか。

 

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