思えば山口県光市の母子殺害事件における弁護団の詭弁への疑問からブログ(当時はiza!)を書き出した。
山口県光市の母子殺害事件で被告人に死刑判決が確定したわけであるが、
大月孝行死刑囚の生まれてきた意味とはなんだったんだろうか?
まさか、、絞首台に吊るされることにのみ生きてきた価値があったというわけでもあるまい。
人が生きる意味とは、あとの人に何を残したかということが重要なファクターになると思うが、
第二の福田孝行にならないために、人の判断の分岐点はどこにあったのかということを、
生い立ち、犯行時の判断の分岐点、何故あれだけの卑劣な犯行を犯した挙句無反省でいられ、何故弁護団のアホ丸出しの弁論に乗っかったのか?
刑の執行までの残された時間を使って、後世の人たちへの警告として、
すべてを書き記してはどうだろうか?
そうすれば、彼には確かに生きてきた意味と価値があったと言えるのではないだろうか。
人間の心には必ず悪徳がこびりついている以上、誰でも凶行の被害者にも加害者にもなりうるということを踏まえたうえで・・・