まずは毎日新聞のこの記事を読んでみましょ。
<引用開始>
<大阪市の学校給食>おかず冷たい 食べ残し7割
◇橋下徹市長の肝煎り政策 不満噴出
大阪市で昨年4月から、市立中1年生を対象に仕出し弁当を配る方式での給食が始まった。全国最低だった大阪府内の公立中給食実施率を改善しようと、橋下徹市長が府知事時代から掲げていた肝煎り政策。しかし「おかずが冷たい」などと生徒から不満が上がっており、7割以上の生徒が食べ残している。2016年度から全学年を対象とするが、保護者からは家庭弁当との選択制に戻すべきだとの声も上がる。一方、食べ残しを出さないために「ふりかけ」を持参させるというアイデアを巡り、教育行政のあり方まで議論になっている。(毎日新聞)
<引用ココマデ>
で、ヤホーのニュース見てるとコメ欄は食べ残した生徒に対する罵倒が多勢を占める。
もちろん食育において大切なことは「感謝の気持ちを育む」ことだと思う。そこには食材になるために捧げられた命に対する感謝が第一義であると思うので、食べ残すという行為そのものは命への冒涜であるには違いない。
禅寺では食事において食べ残し厳禁、修行僧は贅沢を離れ質素な食事で日々を営むというのがある。
が、同時に「典座教訓」などに見られるように贅沢を戒め、質素な日常の食事の中でも、相手に美味しく食べていただくようにすることが大事と説かれているではないか。
このニュースを読む限り、給食を提供する側から生徒たちに美味しく食べさせようという工夫がさらさら感じ取れない。
与えることより受け取ることばかり追い求めるようになった現代日本人の精神の歪をただそうにも、受け取ることより与えること、不満を述べるより感謝を抱くことを教育したいなら、まずは教育者の側から与えることを始めずに、教え子たちに感謝の念を教えようなどさらさら無謀な企てとしか思えない。
橋下のおっさんの食育普及の志そのものは否定しない。
しかし、現場がおいしく食べることのできる給食を提供する環境も整わないうちに一律全員給食にして、まずいものを食わされても、あとに残るのは悪い思い出と怨恨ぐらいなものであろう。
とても食を通じて教育がなされているとは思えない。
相変わらず橋下のおっさんの人間の軽さの一端が浮き出たこの出来事。
時に大阪都構想で吸い込まれそうな堺市は中学校での給食を導入してないそうだが、もしこの騒動を見て私が堺市民の子を持つ親の立場なら都構想に真っ向から反対することであろうw
毎日¥300*の自己負担、援助の出所は税金で自らの子息がまずいものを毎日食わされて、ほとんど食べ残して、飢えて帰宅するとなったら、親たちがこの政策に不満を抱かない方が不思議としか言いようがないことであろうww
<追記>
ヤホーの※欄見てたら
>嫌なら、食べなきゃ良いだけ。
ってのがあった。
まったくもってその通り!!
生徒たちは空腹を我慢してでも嫌だから食べなかったのである。
これが親が早起きして作った弁当をそのように粗末に扱うなら我儘なガキと罵ればいいと思う。
が、一食に300円も保護者に負担させて、200円も税金を投入して、
肝心の生徒たちが空腹を我慢する以上に食べることが嫌だと思わせるような食事しか用意しないで
食育だ!などとうそぶく橋下のおっさんが無能なだけの話だと思う・・・・