6月には春のあおりいかをいつものごとく内浦湾へ狙いに出かけたわけだが、ことごとくボーズを喰らってご機嫌斜めな私であるが、
私よりかはマシな腕前を持っておられるであろうエギンガー・ヤエン師の皆様はいかがお過ごしのことでしょうか・・・
で、排水口近くの筏を陣取り、張り切っていたのはいいけど、原電は停止中で例年の潮とは全く違うパターンになり、アタリもなく、サビキで20cm程度の鯵を釣って気を紛らわしていたわけですが、
高浜原電の岸壁には六ヶ所村からの船が接岸されており、「何か」を搬出しているところをぼーーっと眺めてました。
さて、隣の大飯の原電の再稼働が無事スタートしたわけですが、いつもは閑散としている原電前の一帯が頭の悪さ全開のデモ隊で騒然としているニュースを見ながら思うところを述べてみましょう・・・
結論を先に述べれば日本国民で原電の恩恵を全く受けることなく生活した人など存在しないということである。
これは補助金云々の話ではなく、さらに言えば電気を使わなければいいという話でもない。
多くの商品は電力を用いて作られており、ホームレスのダンボールハウスひとつをとってみても電力抜きには成立しない。
これを「自分たちが使っているのは原電とは関係ない発電によるものだ」などという屁理屈は当然成立しない。
脱原発をいま行うなら、そうした経済のループをブチブチに破壊されて単に節電や停電のみの不便さにとどまらない形で生活に響く。
モノを買いたくても国内の生産が減少、そして連鎖反応で他の産業へも悪い影響が波及し続ける。
毎日新聞などなど脱原発を掲げるメディアは脱原発を指向するならそれだけの覚悟をもって述べるべきではないのだろうか・・・
で、福島原発の事故を通じて分かったことは、単に民主党政権が危機対処の能力に事欠くということだけでなく、原発を推進してきた連中が重大事故に対して事後対応について何一つ準備していなかったという事実であろう。原子力を推進してきた産経などのメディアが事故後に読むに堪えない姑息なコラムを連発してもこの事実は白日の下にさらされており、原子力政策を続行するにあたって再び同じようなことが起こった時に対処法が何一つ未だ確立されていない不信感が周囲のヒステリックな反応の一助になっているので、「放射脳」などと彼らを嗤うのも天に唾する行為かと思う。
ババクジを引かされた福島県民の生活の再建に税金が多量に投入されるのも、今まで電力を消費して経済活動を行ってきた日本国民全員に責任がないわけではないからに他ならない。
自然エネルギー云々ももちろんエネルギー源の多様化のためにも進めるべきであるが、地熱発電以外は太陽光も太陽熱も波力・風力・潮汐いずれもベース電力を安定するのに不向きであり、今までベース電力を担ってきた原電の停止でミドル部分を担い計画的に出力を調整してきた発電所がフル稼働を余儀なくされ、それがガバナフリーで需要にリアルタイムで対応する発電形態にも影響を与える電力不足への懸念に対する答えになりうるとは到底思えない。
別に毎日新聞や産経新聞をはじめとする原子力にいろいろ述べているメディアが潰れても私には惜しくもなければ痛くも痒くもない。
だが、電力に関わる問題、原子力GO! OR NO!どちらの意思表示をするにも覚悟を問われるべきであろうし、かといって無関心でいることも許されないように思える。