直指人心は禅語で悟りとは言葉や文字ではなく心で導くものってことらしいです。
人に何かを伝えよう、何かをさせようってときに相手を心から動かしたいときは自分自身の行動と姿勢で示さなければいくらむなしい言葉や文書の文字列を示し続けても、相手は表面的に結果を取り繕うようにしか動かないでしょう。
私も無駄に齢を重ねると、一応部下や後輩って呼ばれる人がいるわけです。こんな上司や先輩にあたるなんて災難としか言いようがないなwってツッコミはいったん忘れていただくとして、何かをさせようってときに自分が面倒と思うことをマルナゲドンして尤もらしい説を垂れることがありますが、当然相手は反感しか抱くことはありません。
どうせ年末に一年を振り返ると、標語と逆を行く一年だったwとなることは分かりきってはいます。ですがせめて年始の志として、言葉や文書ではなく自分の行動や姿勢で相手に示していく。めんどくさいことは自分も行うようにする。相手にめんどくさいことをさせるときには、たとえ自分が若い時に経験した事であっても自分がしてきたからと突っぱねるのではなく相手の述べることにも耳を傾けて少しでも自分がしてきたときよりマシな方法を一緒に探す。って姿勢を心がけたいと思います。
自分が語ることより、自分が傾聴すること
自分が熱く思いを述べる前に、自分が行動すること
に価値があるってことは心がけておこうと思います。
傾聴してやらない相手に自分がいくら語ったり文書を出しても、相手はその言葉を適当に流すことでしょう。
行動を見せずに何かを命じても、相手は適当に取り繕って形にすることしか考えないでしょう。
分かってはいても、ついつい自分が楽な方に逃げてしまうってことも反省点として直視する必要があります。
どうせ、年末はダメだったぁwとほざくんだろうなwとは思っていても・・・