かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

移民には反対です

2018-11-02 19:39:14 | ブログ記事
今日のお昼の鬱は何とか収まりました。

疲れもあったようです。気を付けなければ。

さきほどいただいたコメント返しにも書きましたが、
あまりハイにならないことが、鬱を避ける極意だと思います。

まだ本調子ではありませんから気を付けないといけないのですが、
とりあえず収まったから、またブログを書いています。


書きたいことがあったから。



*

いまNHKニュースを見ていましたら、
外国人の人材の受け入れを云々とやっておりましたから、

これに異を唱えておきたいと思います。

いったん入れてしまったら、簡単には出ていってもらえないことは自明の理です。

ドイツが現在どうなっているかは、ニュース等を見ていればわかりますよね。

私は外国の人を差別する気持ちは毛頭ありませんが、

しかし、日本でも、過去、

隣国から渡ってきた人たちが住みついて、

そのために大きな負担を強いられていることは大きな問題になっています。

私は、個人的に、隣国から来た人たちに知り合いもいますから、
できるだけ穏便にとは思っていますが、

しかし、大きな社会問題であることは確かなことです。

隣国の人たちは、徴用されたとか駆り集められたとか言っているようですが、

実際は大半の人たちが不法入国だと聞きます。

そのように密入国した人たちが居ついて、現在の日本に負担を強いています。

これが、それ以外の、その他の国々からも大挙して押し寄せて来られたら、
これからの日本は立ち行かなくなるかもしれません。

日本の同胞が減って、異国の人たちが闊歩するようになれば、

どんな状態になるか、私たちはもっと想像力を働かせなければならないと思います。

後で気づいても、文字通り、後の祭りですから。

現在は、アメリカだけじゃなく、あらゆる国が「自国ファースト」の時代ですから、

ぼやぼやしていると、本当に乗っ取られてしまいます。

日本には、こういうときのためのよい言葉がありますね。

そう、

庇を貸して母屋を取られる

です。


*

私は心底書くことが好きみたいで、書いているうちに鬱が軽減してきました。

が、無理は禁物です。

鬱に入ったようです

2018-11-02 12:06:24 | ブログ記事
昨日から訳もなく涙が出ます。

晩秋は鬱になりやすい季節です。

今日は、朝から出かけようと思っていましたが、その元気も出ません。

それで、やっと郵便局と図書館に行ってきました。

その足で、大阪の住吉大社にでも行こうかと思っていましたが、
とてもその元気はありません。

家に帰って一人になるのも、ちょっとと思うのですが、
仕方ありません。

鬱になると、物事の決断力も衰えて、まごまごしてしまいます。

劣等感が襲ってきます。

人と会話すれば、鬱が晴れるときもあるのですが、相手によりけりですね。

こういうときこそ、連れ合いに傍にいてほしいと思うのですが、
それがわからない人が連れ合いだから、仕方ないですね。


私は、どちらかといえば、真面目に家族に尽くしてきました。

だから、夫のように、外遊びする相手もいません。

鬱になっても家に籠っているしかないのです。

それが外向性の人にはわからないようです。

私にも外に出よと言いますが、私はそういうタイプではありません。

こういうときは外向性の人がうらやましいです。

こうなれば、なんとしてでも、自分で自分を励まして慰めるしかありません。

が、こうして書くことで、少し気がまぎれるのです。

*

★どんよりと雲がかかりてこしこの日わたしの心も雲がかかりて

★此の世には私の居場所がなきごとく霜月二日の風が吹くなり

★歩くのも覚束なければふらふらと歩いて帰る曇天のした

★息をすることがやつとの人になり雪崩れるやうに家に入りたり

★そこにあるソファに倒れ横になる夜まで横になりて休まむ


真夜中に童謡を歌う

2018-11-02 04:09:16 | ブログ記事
昨日は夕方に急に夫が大阪のマンションに行ってしまった。

最近、大阪に行くときは急なことが多いが、
ひょっとすると、同級生の歌唱レッスンを受けるためかもしれないと気づいた。

お誘いがあったときに飛び出して出ていくことが多いから。

私に言うとブログに書かれるから秘密にしているのかもしれない。

それで、私も夜中に目覚めてから、一人で童謡を歌った。

夫がいないと夕食も一人で食べるので話し相手がいない。

寂しいというより不如意な感じはする。

それで気を紛らわせる意味もあって歌ったのだった。

なぜ夫はいつも急に大阪に行くのだろうと考えていて、

そうだ、最近は歌唱のレッスンに行くといって出かけたことがなかったが、
ひょっとすると、そのための大阪のマンション行きかもしれないとひらめいた。

違うかもしれないが、私の勘は当たることが多いから、そうかもしれない。

それで、私も、以前通っていた童謡コーラスの秋編の本を引っ張り出してきて、
小さな声で歌った。

いやあ、童謡というか、昔の文部省唱歌はいいですね。

「毬と殿様」「もみじ」「故郷の人々」「埴生の宿」「旅愁」「まちぼうけ」
「荒城の月」「さとの秋」「証城寺のたぬきばやし」などなど。

歌っていると、昔の情景が浮かんでくるし、懐かしさがこみあげてくる。

気が付けば、いつのまにか涙が出ている。

この涙は何だろう?

寂しさからくるものだろうか? あるいは?

感動かもしれない。

涙が出ると、私の何かが洗われていくように感じる。

また短歌をやり直そうかとも思った。

*

★童謡を歌へば歌も詠いたくなりて短歌をやり直さむと

★韻律のよろしき歌を歌ひつつかうでなくてはと思ふわたくし

★意味よりも韻律大事と思ふなり人の心を揺さぶるために