私がまだ小学校に上がる前の思い出である。
私たちの両親は、昔のことでもあったので、お見合い結婚であった。
知り合うきっかけになったのは、
父方の祖父が母の卒業した女学校の校長先生にいいお嬢さんを紹介してくださいとお願いしたことからだったらしい。
それで紹介されたのが、私の母であったというわけだ。
母が19歳、父が25歳のときに、二人は結婚した。
仲人をしてくれたのは、その校長先生ではなく、別の方であったらしいのだが、
その方は四人兄弟で、皆さん優秀で、医師とか大学教授とかになられていたらしい。
が、その中にたった一人、聴覚障害の人がいた。全聾であられた。
その人は、仕立ての仕事で生計を立てていたが、暮らしは厳しかったようである。
我が家にも、父の注文を取りに来られていた。
私は、母が会話すべきことを紙に書いてあげていた姿を覚えている。
その人は耳は全く聞こえないようだったが、少し調子っぱずれの声で話されていたと思う。
そのためでもないだろうが、当時まだ若かった私の父はその人のことを軽く考えていたのではなかったか。
あるとき、その人の前で父が母に何か不用意なことを言ったことが、その人に聞こえたかのように、
その全聾の方は怒ったような顔をして帰られた。
驚いた父が母に「聞こえただろうか?」と尋ねると、
母は「聞こえなくても何か感じられたのではありませんか」と応えていたことが記憶に残っている。
いま思い出してみれば、その人は、母が言ったように、聞こえなくても何か感づかれたのでしょう。
自分が本格的な聴覚障碍者になって、そのことがわかる。
私たち障碍者は、なかんずく聴覚障碍者は、勘が鋭い人が多い。
というのが、常に聞こえない部分をとらえようとアンテナの性能を磨いているからである。
ところで、
祖母は、その仲人をしてくれた人のお母さんのことを
「あれだけ他の子は出来がよいのに、たった一人のつんぼの子のために、○○さんは気苦労が絶えない」
と同情していたことも思い出す。
父は、子供のころから神童と呼ばれるくらい頭がよく、ちやほやされて育っていたから、
愛娘であった私の聴覚に障碍があるとわかったときの衝撃は並々ならぬものがあったと想像できる。
つんぼであることは現在でも生きがたいが、
しかし昔はもっと偏見も強かったろうから、
その仲人をしてくれた人の聾であられたご兄弟やお母様はさぞ大変であられたろうと思いを馳せるのである。
私は、そんなやり取りのあった幼子のころは、現在のように自分が聾に近いほどの聴覚障碍者になるとは夢にも思っていなかった。
聴覚障害に限らず、誰にでも障碍者になる可能性があるという当たり前のことに健康なときは気づかないものだ。
私たちの両親は、昔のことでもあったので、お見合い結婚であった。
知り合うきっかけになったのは、
父方の祖父が母の卒業した女学校の校長先生にいいお嬢さんを紹介してくださいとお願いしたことからだったらしい。
それで紹介されたのが、私の母であったというわけだ。
母が19歳、父が25歳のときに、二人は結婚した。
仲人をしてくれたのは、その校長先生ではなく、別の方であったらしいのだが、
その方は四人兄弟で、皆さん優秀で、医師とか大学教授とかになられていたらしい。
が、その中にたった一人、聴覚障害の人がいた。全聾であられた。
その人は、仕立ての仕事で生計を立てていたが、暮らしは厳しかったようである。
我が家にも、父の注文を取りに来られていた。
私は、母が会話すべきことを紙に書いてあげていた姿を覚えている。
その人は耳は全く聞こえないようだったが、少し調子っぱずれの声で話されていたと思う。
そのためでもないだろうが、当時まだ若かった私の父はその人のことを軽く考えていたのではなかったか。
あるとき、その人の前で父が母に何か不用意なことを言ったことが、その人に聞こえたかのように、
その全聾の方は怒ったような顔をして帰られた。
驚いた父が母に「聞こえただろうか?」と尋ねると、
母は「聞こえなくても何か感じられたのではありませんか」と応えていたことが記憶に残っている。
いま思い出してみれば、その人は、母が言ったように、聞こえなくても何か感づかれたのでしょう。
自分が本格的な聴覚障碍者になって、そのことがわかる。
私たち障碍者は、なかんずく聴覚障碍者は、勘が鋭い人が多い。
というのが、常に聞こえない部分をとらえようとアンテナの性能を磨いているからである。
ところで、
祖母は、その仲人をしてくれた人のお母さんのことを
「あれだけ他の子は出来がよいのに、たった一人のつんぼの子のために、○○さんは気苦労が絶えない」
と同情していたことも思い出す。
父は、子供のころから神童と呼ばれるくらい頭がよく、ちやほやされて育っていたから、
愛娘であった私の聴覚に障碍があるとわかったときの衝撃は並々ならぬものがあったと想像できる。
つんぼであることは現在でも生きがたいが、
しかし昔はもっと偏見も強かったろうから、
その仲人をしてくれた人の聾であられたご兄弟やお母様はさぞ大変であられたろうと思いを馳せるのである。
私は、そんなやり取りのあった幼子のころは、現在のように自分が聾に近いほどの聴覚障碍者になるとは夢にも思っていなかった。
聴覚障害に限らず、誰にでも障碍者になる可能性があるという当たり前のことに健康なときは気づかないものだ。