かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

東京に住む母の従妹から香典が

2018-11-26 10:42:56 | ブログ記事
私は自分が難聴であることもあって、

親戚の全部には母の亡くなった知らせをしていなかった。

今回香典を送ってきてくれた母の従妹にも知らせていなかったら、

今日(本当は昨日だが)、虎屋の羊羹とともに香典が届いた。


この母の従妹は母方の祖母の妹の養女で、広島県で生まれてお見合いで広島県の富豪と結婚して
現在、東京在住である。

大叔母には子供が生まれなかったから、大叔父さんの親戚からもらったとも聞いた。

この養女さんは、ものすごい美人で、それでいて、性格もよいから、
広島県の自動車メーカーマツダからも求婚されたと聞いている。

が、大叔母夫妻が、そんなお金持ちと結婚させると、養女さんが幸せになれないかもと
三原市の富豪家に嫁がせたとも聞いた。

私は、子供のころ、この広島の大叔母にはかわいがってもらって、
その山のなかにある豪邸に夏休みとか長逗留させてもらったりしていた。

山の中の空気は、真夏でもひんやりして気持ちよかった。

そのとき、私の世話をしてくれたのは、おもに、この私より8歳上の養女さんであった。

大叔母は、この養女さんを大事に育てて東京の大学までいかせたが、
しかし、しつけは厳しく、子供のころから家事を手伝わせていた。

大叔母の言い分として、
もし大叔母がこの養女さんが大人になる前に亡くなることがあっても、
家事ができれば、後妻さんがきても追い出されることはないだろうという
深謀遠慮によるものだった。

この養女さんも、大叔母の言うことは、どんなことも聞く人だったので、
家事能力にも長けていたが、

結婚相手も、大叔母の気に入った人を選んだ。

私の祖父母などは、せっかく養女にもらったのに、なぜ嫁がせるかと反対したが、
大叔母はこの養女さんに養子をもらおうとしたら、
それほどいい人を選べないからという理由で嫁がせたのだった。

嫁がせるとき、大叔母は、オーバーだけでも7着も新調して持たせるほどの豪勢な支度をした。

今ならそれほど大したことではないが、
今から60年くらい前のことだったから、その当時としては大したことであった。

で、結果、大叔母は自分が年取って入院するようになっても、
月に一度くらいしか、この養女さんに帰省してもらうことができなかった。

そのころ、その養女さんの嫁ぎ先の姑さんは認知症になられていて、
養女さんは、その世話に追われていたのだった。

そのため、

晩年、広島の山の中に一人で暮らしていたこの大叔母は
動けなくなって入院するときも、タクシー(ハイヤー?)を呼んで、
その顔なじみの運転手さんに抱きかかえてもらって車に乗せてもらい、
岡山県の病院に入院したりしていたと聞いている。

だからというわけでもないが、この大叔母が入院するたびに私に母から連絡が入り、
私は大阪からこの大叔母の岡山の入院先に見舞いに行ったものだった。

子供のころにかわいがってもらったから、私としても恩返しのつもりもあった。

が、そのことをこの養女さんはすごく感謝してくれて、
大叔母が亡くなったときに律儀な養女さんはそのお礼として金一封送ってきてくれた。

今回も過分の香典が入っていたが、
私は、これは高知の実家に送らないで、私が受け取って私が香典返ししようと思う。

この養女さんと今後とも付き合うのは私しかいないのだから。

いま思い返せば、私の友人などからもらった香典も、そうすればよかったと
今頃になって気づいた。

*

★美しい人は心も美しいさう常言ひし大叔母なりき

★大叔母のもらひし養女も美しき人で心も美しき人

★大叔母に絶対服従せし人は大叔母がもらひ育てし養女

★大叔母にもつたいないと思ふほど才色兼備の人が養女で

★美しき養女を嫁に出したれば大叔母世話をしてもらへざりき

★血を分けてゐずとも親子の情は濃く親思ひなり大叔母の養女(こ)は

★大叔母は養女の子らを慈しみ養女の子らも大叔母に懐き

★大叔母の墓は移され東京の養女のそばに祀られてゐる

★血は何か考へさせる大叔母の親子孫子と思ふ関係


*

今日の配達は、きのう受け取れなかった宅急便の再配達であったが、
実は、このクロネコヤマトのドライバーの方は若い女性で、しかもきれいな人である。

そのうえ字もキレイで、不在配達票に書かれた文字も丁寧でキレイである。

とんでもない配達員の人もたまにはいるけれど、この配達の女性は配達などさせるのは
もったいないというような女性なので、追記しておく。

と書いたからと言って、
配達の業務を差別しているわけではないので、誤解しないでほしい。

最近は、若いキレイな女性が大型トラックの運転をしたりもしているから、
そういう時代なのだろうが、
私たち年配者が見ると、女性が運転手をしているのは痛々しい印象も持ってしまうから、
差別とは受け取らずに読んでほしい。



宅急便の受け取りに苦労する難聴者

2018-11-26 03:50:22 | ブログ記事
きのう一日外出をして戻ったら

宅急便の不在配達票が入っていた。

亡母の従妹から食品が送られてきたらしい。

すぐ昨日のうちに再配達をしてほしかったが、

あいにく夫は昨日の朝から、また大阪のマンションに行っている。

それで電話のできない私は窮余の策で、担当ドライバーの携帯にショートメールを打った。

「何時でもご都合のいい時間で結構ですので、今日中に再配達をお願いしたいです」

と。

昨日は、それからあと、ずっと夜まで待った。

玄関ドアは、寒いけれど、少し開けておいた。

外から丸見えになるけれど、道路に面した食堂のカーテンは開けておいた。

そうして数時間待った。

その間、トイレに行くのも気が気じゃない。

私は玄関のチャイムが鳴っても聞き逃すことが多いから。

テレビを見ていても、しょっちゅう外を見なければならない。

が、結局、再配達はなかった。

諦めて、午後9時ごろ、ドアもきちんと閉めて、食堂のカーテンも閉めた。

昨日のうちに宅急便を受け取れなかった私は、今日また連絡して待たなければならない。

郵便局の不在票なら、翌日に、その不在票と印鑑をもって郵便局の本局まで行けば受け取れるが、

それ以外の宅急便は、それができない。

一人でいるときは、宅急便の受け取り一つでも苦労だ。

*

以前は、玄関ドアの横に人の気配を感じたら鳴るチャイムを付けて、
家の中の何か所かで鳴って光るように設定してあった。

が、裏のマンションの住民からうるさいと苦情が入って、夫が外して全部捨ててしまった。

私は何も捨てることはないと思ったが、
夫は何よりも近所からの評判、体面を気にする人なので、そうした。

だから、現在は、誰かが来て玄関のチャイムを鳴らしても、私は気づくことができないから、
私がいても、不在と変わらない。

一応、玄関横に、白板をおいて、それに

「在宅していますので、配達の方は窓ガラスをたたいてください」

と書いて置いてはあるが、それにも気づけないことがしばしばある。

耳の聞こえる人には何でもないこんなことが私たち難聴者には大きな苦労になるのである。

*

★聞こえないことの苦労は数あるが宅急便の受け取りもさう

★再配達してもらふたびふかぶかと礼(いや)し受け取る難聴われば

★留守番もできぬ己と思ふとき難聴われの嘆きは深し

*

だからといって、
婚家でどんなことを言われても、されても我慢しなければいけないということではないと
私は思っている。

きのうの難聴者の集まりに来た80歳の女性は、彼女が難聴なので、
出かけるときは、
そのご主人が最寄り駅である川西能勢口駅まで送り迎えをしてくれると話していた。

彼女のご主人だから、もう80歳はとうに越していると思うが、羨ましく思った。

またもう一人の60歳くらいの女性は、親兄弟でも、中途失聴をした彼女に理解がなく、
彼女が聞こえないときも面倒がって書いてくれたりしないからお手上げと言っていた。

が、もう一人の60歳前後の女性、この人も同じ中途失聴者だが、は、
きょうだいは皆よく彼女の聞こえないことを理解して、
彼女のために筆記することも厭わないと言っていたから、
同じ難聴者でも、家族によってもその幸不幸が分かれると思った。