かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

障碍者であっても自分のプライドは保ちたい

2018-11-18 23:09:25 | ブログ記事
私がなぜ夫の妹を嫌っているかというと、

彼女は、私に対して、聴覚障害があることを鬼の首を取ったように、軽蔑していうからである。

私も言わせてもらうが、

いまでこそ、これほど聞こえが悪くなったけれど、

若いころは、ふつうの娘でした。

少し難聴気味ではありましたが、しかし、結婚も何人かから申し込まれました。

もちろん、難聴でもかまわないという条件で。

夫とのお見合いの前日にお見合いをした人にも、

夫の申し込みよりだいぶんあとに申し込まれました。

が、もう夫と婚約までしていたから断りました。

なにしろ夫の結婚の申し込みは速かったですから。

2月の半ばにお見合いをして、4月の半ばに結婚式を挙げるというほどの急展開でした。

私も、夫より前にも何人かに申し込まれたといっても、

夫がお見合いをした人たちの中で、一番若くてハンサムだったし、行動力もあったから、
即、申し込みを受けさせていただきました。

そのときは義母が私の難聴を嫌って猛反対していたことなど知る由もありませんでした。

が、結婚してから、義母は、機嫌のいいときはいいのですが、
いったん怒ると手の付けようがないほど無茶苦茶なことを言う人でした。

私も自分が難聴の弱みがありますから、我慢していましたが、
初めてのお産で実家に帰ったときに、初めて嫁ぎ先でのことを話しました。

私の母は怒って、長女が生まれたばかりだったのに、
夫に「びこを返してもらう」といきりたちました。

が、夫も、当事者であった私も、離婚することまでは思っていなかったので、うやむやになりました。

その後も嫁ぎ先での針の筵は続きました。

私と同学年で年齢は一歳年上の義妹の縁談が調わないことも遠因になったと思います。

結局、私が嫁いできて10年後に義妹は嫁ぎました。

義母は、義妹が嫁ぐまで、私たちの子供たちに絶対「おばちゃん」と呼ばせませんでした。

ですから、私の娘などは、ずっと義妹は私より若いと思っていたようでした。

義母は、自分ファーストの人でしたから、義妹のこともあまりかわいがる人ではありませんでしたが、
しかし、それでも、さすが自分の娘ですから嫁の私に対するのとは雲泥の差がありました。

ですから、義妹は子供を産んでからも、しょっちゅう里帰りして親の元でゆっくり過ごしていました。

その頃も、義母は、私に対しては、年に一度か二度の帰省もなかなか許しませんでした。

矛盾していると思いましたが、それが義母のやり方でした。

それだけじゃなく、
義妹が二人目を生んでから、上の子の夏休みとかには、義妹が大変だからという理由で、
私に義妹の上の子を預かって世話をすることを強制しました。

当時、私には、義妹の下の子と同い年の子末っ子と上に小学生の二人の子を抱えていました。

自分の子の世話で手いっぱいだったのに、なぜ義妹の子まで預かって世話しないといけないかと
疑問でいっぱいでしたが、そのころの義母には従うしかありませんでした。

そのころの義母は、私が少しでも従わないと逆上していましたから。

とても辛い日々でした。

が、わが子のために、離婚になることを避けるため、辛抱しました。

後年、私の上の二人の子が結婚して、末の子も大学に進学してから、
私は初めて義母にそのころの辛かった気持ちを電話で述懐しました。

義母は、翌日、そのころ私たちが住んでいた大阪のマンションに飛んできて、泣いて謝ってくれました。

私に帰省させなかったのは、自分の実家がなくなっていて妬ましかったからとその理由も言って・・・。

それじゃ、いくら近くに住んでいるからといっても、
義妹の頻繁な帰省を許していたのは辻褄が合わなかったと思ったのでしたが、
しかし、こうして謝ってくれたのだから義母に対してはもう恨んでいません。

それからは義母も私に気を使ってくれるようになりました。

が、義妹は、昔と変わりません。

いや、むしろ、義母が謝ってくれてからは、義妹がその横暴の役目を果たすようになりました。

とにかく、私たちが義妹に何かするのは当たり前という態度は今も変わりません。

これは、だいぶん昔の話になりますが、

義妹の下の子は中学生のとき登校拒否を起こして家に閉じこもりだったで、義妹も困っていました。
それで、
少しでも義妹の負担を軽減してあげようと、その子を連れて一緒に高知に帰省したことがありました。

そのとき、義妹には珍しく、その子の宿泊費にと一万円出してきたので、受け取りました。

(世間的には当然のことなのですが、この当然をしてくれる人ではありませんでしたから)

義妹は晩婚で、子供の年齢の割に親が高収入でしたから経済的にも余裕がありましたので、
私は受け取っても問題になると思っていませんでした。

その帰省の旅では二泊しましたから、本当はその子の一泊の宿泊費にも足りませんでしたが・・・。

これが後になって義妹に
私たちが誘っておきながら1万円受け取ったと批判される元になるとは思いもしませんでした。

義妹の頭には、
とにかく、われわれ兄夫婦は、義妹やその家族に奉仕するのは当たり前という考えしかないのでしょう。

奉仕させておいて、何かあると、私や私の子供たちをけなすのです。

私の娘が推薦入試で薬科大学に合格したときは、義母がそのことを義妹に自慢げに伝えていたのか、
(義母は、嫁の私には厳しかったけれど、孫である私の娘は義母の自慢の種でしたから)

たまたま私が用があって義妹に電話すると、私が要件を話し始めるより前にいきなり、
「あんだけバカみたいに勉強したら誰でも合格するわ」と言われたのにも驚きましたが、

そのあとに、
「私の娘は勉強しなくてもできるのよ」と付け加えたことには呆れかえりました。

義妹は、口を開けば、こういう調子なので、私はもう付き合いたくありません。

若いころは我慢して付き合いましたが、もうこの年になってまで振り回されるのは御免です。

この私のわがままは夫にも許してほしいと思います。

74歳の夫が稼いでくれるのは有難いが

2018-11-18 12:34:18 | ブログ記事
夫が現役で働いている間は、

妻も現役の主婦であることを求められる。

それで、折あるごとに掃除が行き届いていないと怒られる。

が、昨日行った次男のお嫁さんの家では、お嫁さんのお母さんが、

「70歳を超えても、夫婦二人でするから孫の世話もできるし、家のことも」と言われていました。

娘婿のお父さんも、定年後、再就職をされていましたが、

お母さんの足腰が弱いので、家事をするため、再就職先もやめて家事をしておられます。

お料理は婿のお母さんがされますが、その他は、お父さんがという具合です。

娘の二人目の出産の手伝いに、

娘の入院中は、この婿の両親が手伝いに行ってくれていましたが、

退院して娘と孫の世話を私と交代するときに、婿のお父さんが、

「一人で世話をするのは大変と思いますが、よろしく」と言ってくださいました。

この婿のお父さんは、夫の鏡と思えるくらいよくできた人です。

そのお父さんに似たのか、娘婿も実に家庭的で、娘は幸せです。

昨日行った次男のお嫁さんのお父さんも、

お嫁さんの学校時代のお弁当は全部お父さんが作られていたと
結婚式のときに、お嫁さんがお父さんに感謝の辞を述べました。

私は驚きました。

私の父は無論、夫の父親も家事は一切しない人でしたし、

夫は、それからいうと、片付けとかはしてくれますが、
しかし、台所に立って何かを作るということは、私がいる限り全くと言っていいほどありません。

夫は、「やろうと思えば料理でも何でも難なくできる」と嘯いているのですが、

私にすれば、それなら、週に一度でも何か作ってほしいと思います。

料理する大変さがわかれば、
私が昼食を作ったのを後目に、他の女性とお出かけしたりすることもできないと思うから。


また夕食を一緒に食べようと待っている妻の私に気遣わずに、
他の女性と一緒に焼き肉を食べて帰るとかいう不誠実なこともできないと思うから。

夫は自分の仕事の大変さばかりを言うけれども、
70歳を超えても主婦であり続けるのも、それなりに大変だということも理解してほしいと思います。

これは決して甘えだけではないと思います。

仕事が忙しいからと言っても、怒鳴られる妻も、それと同じか、それ以上に大変なのですから。

怒鳴っている本人は夢中で気づかないかもしれませんが・・・。

料理の写真のアップをと言われましたが

2018-11-18 08:45:30 | ブログ記事
双子さんというハンドルネームの方に
私の「寒いから料理ばかりしている私」の記事に対して、

「bikoさんが作られたレストランの様な沢山のお料理も見たかったです。」

と言っていただきましたが、

そうですね。私も写真にしてアップできるくらいおしゃれに見せるセンスがあれば、そうしたいところですが、
それができないのですね。

使い古した食器に盛って出していますから見た目がほかの方々のようによくないというか、見劣りするというか・・・。

他の方々のお料理って、皆さん、きれいに盛り付けされていますよね。

そんなことをするのが面倒というか、センスがないというか、だから、あまり写真は写さないのです。

私は、書くことには、下手なりに精力を注ぎますが、それ以外のことは、割合いい加減なのです。

実は、その料理に関して、けさも夫と喧嘩してしまいました。

というのが、
先日喧嘩したあと、体調を悪くしていたから、その直後、夫から来ていたメールを封印してあったのです。


が、今朝、ふとした弾みにそれを読んでしまい、またショックを受けて身体の調子が悪くなりました。

それには、
「とんでもない時間に料理をしたものを出す」と。

「確かに早朝に作ったりはするけれど、出すときは温め直して出せるものなので、そうしていますけど?」


それをそんなふうに言うなんて、言いがかりじゃないかと思ったのです。

そのメールに続けて送ってきたあったメールには、

「イギリスで殴ったことをブログに書いてあったが、あれは殴って正解だった。殴ったから黙ったから」
というようなことが書かれてありました。

私は殴られて、ショックで黙っただけでした。

力の強い男に殴られることは心身共に堪えます。

私は身体が震えて何も言えなくなっただけです。

それがどうして夫にはわからないのでしょう。

同じことばかり言うとも書かれてありましたが、

しかし、義妹のことなど、言うたびに怒鳴られたら、また言いたくなります。

どうして「大変だったね」とか「悪かったね」と受け止めてもらえないのでしょうか?

義妹の兄である夫にそう言ってもらいたいから何度も言うのです。

義妹を、またお正月に招待するのは、そのあとの話です。

今のままでは会いたくも見たくもありません。

今朝は私にそんなことを言う夫の顔も見たくありません。

最近太って着られる服もなくなっているけれど、この際、絶食して、
痩せることを目指しながら、そのまま死ねればなどと考えてしまいます。

ええ、半分、本気で・・・。