私がなぜ夫の妹を嫌っているかというと、
彼女は、私に対して、聴覚障害があることを鬼の首を取ったように、軽蔑していうからである。
私も言わせてもらうが、
いまでこそ、これほど聞こえが悪くなったけれど、
若いころは、ふつうの娘でした。
少し難聴気味ではありましたが、しかし、結婚も何人かから申し込まれました。
もちろん、難聴でもかまわないという条件で。
夫とのお見合いの前日にお見合いをした人にも、
夫の申し込みよりだいぶんあとに申し込まれました。
が、もう夫と婚約までしていたから断りました。
なにしろ夫の結婚の申し込みは速かったですから。
2月の半ばにお見合いをして、4月の半ばに結婚式を挙げるというほどの急展開でした。
私も、夫より前にも何人かに申し込まれたといっても、
夫がお見合いをした人たちの中で、一番若くてハンサムだったし、行動力もあったから、
即、申し込みを受けさせていただきました。
そのときは義母が私の難聴を嫌って猛反対していたことなど知る由もありませんでした。
が、結婚してから、義母は、機嫌のいいときはいいのですが、
いったん怒ると手の付けようがないほど無茶苦茶なことを言う人でした。
私も自分が難聴の弱みがありますから、我慢していましたが、
初めてのお産で実家に帰ったときに、初めて嫁ぎ先でのことを話しました。
私の母は怒って、長女が生まれたばかりだったのに、
夫に「びこを返してもらう」といきりたちました。
が、夫も、当事者であった私も、離婚することまでは思っていなかったので、うやむやになりました。
その後も嫁ぎ先での針の筵は続きました。
私と同学年で年齢は一歳年上の義妹の縁談が調わないことも遠因になったと思います。
結局、私が嫁いできて10年後に義妹は嫁ぎました。
義母は、義妹が嫁ぐまで、私たちの子供たちに絶対「おばちゃん」と呼ばせませんでした。
ですから、私の娘などは、ずっと義妹は私より若いと思っていたようでした。
義母は、自分ファーストの人でしたから、義妹のこともあまりかわいがる人ではありませんでしたが、
しかし、それでも、さすが自分の娘ですから嫁の私に対するのとは雲泥の差がありました。
ですから、義妹は子供を産んでからも、しょっちゅう里帰りして親の元でゆっくり過ごしていました。
その頃も、義母は、私に対しては、年に一度か二度の帰省もなかなか許しませんでした。
矛盾していると思いましたが、それが義母のやり方でした。
それだけじゃなく、
義妹が二人目を生んでから、上の子の夏休みとかには、義妹が大変だからという理由で、
私に義妹の上の子を預かって世話をすることを強制しました。
当時、私には、義妹の下の子と同い年の子末っ子と上に小学生の二人の子を抱えていました。
自分の子の世話で手いっぱいだったのに、なぜ義妹の子まで預かって世話しないといけないかと
疑問でいっぱいでしたが、そのころの義母には従うしかありませんでした。
そのころの義母は、私が少しでも従わないと逆上していましたから。
とても辛い日々でした。
が、わが子のために、離婚になることを避けるため、辛抱しました。
後年、私の上の二人の子が結婚して、末の子も大学に進学してから、
私は初めて義母にそのころの辛かった気持ちを電話で述懐しました。
義母は、翌日、そのころ私たちが住んでいた大阪のマンションに飛んできて、泣いて謝ってくれました。
私に帰省させなかったのは、自分の実家がなくなっていて妬ましかったからとその理由も言って・・・。
それじゃ、いくら近くに住んでいるからといっても、
義妹の頻繁な帰省を許していたのは辻褄が合わなかったと思ったのでしたが、
しかし、こうして謝ってくれたのだから義母に対してはもう恨んでいません。
それからは義母も私に気を使ってくれるようになりました。
が、義妹は、昔と変わりません。
いや、むしろ、義母が謝ってくれてからは、義妹がその横暴の役目を果たすようになりました。
とにかく、私たちが義妹に何かするのは当たり前という態度は今も変わりません。
これは、だいぶん昔の話になりますが、
義妹の下の子は中学生のとき登校拒否を起こして家に閉じこもりだったで、義妹も困っていました。
それで、
少しでも義妹の負担を軽減してあげようと、その子を連れて一緒に高知に帰省したことがありました。
そのとき、義妹には珍しく、その子の宿泊費にと一万円出してきたので、受け取りました。
(世間的には当然のことなのですが、この当然をしてくれる人ではありませんでしたから)
義妹は晩婚で、子供の年齢の割に親が高収入でしたから経済的にも余裕がありましたので、
私は受け取っても問題になると思っていませんでした。
その帰省の旅では二泊しましたから、本当はその子の一泊の宿泊費にも足りませんでしたが・・・。
これが後になって義妹に
私たちが誘っておきながら1万円受け取ったと批判される元になるとは思いもしませんでした。
義妹の頭には、
とにかく、われわれ兄夫婦は、義妹やその家族に奉仕するのは当たり前という考えしかないのでしょう。
奉仕させておいて、何かあると、私や私の子供たちをけなすのです。
私の娘が推薦入試で薬科大学に合格したときは、義母がそのことを義妹に自慢げに伝えていたのか、
(義母は、嫁の私には厳しかったけれど、孫である私の娘は義母の自慢の種でしたから)
たまたま私が用があって義妹に電話すると、私が要件を話し始めるより前にいきなり、
「あんだけバカみたいに勉強したら誰でも合格するわ」と言われたのにも驚きましたが、
そのあとに、
「私の娘は勉強しなくてもできるのよ」と付け加えたことには呆れかえりました。
義妹は、口を開けば、こういう調子なので、私はもう付き合いたくありません。
若いころは我慢して付き合いましたが、もうこの年になってまで振り回されるのは御免です。
この私のわがままは夫にも許してほしいと思います。
彼女は、私に対して、聴覚障害があることを鬼の首を取ったように、軽蔑していうからである。
私も言わせてもらうが、
いまでこそ、これほど聞こえが悪くなったけれど、
若いころは、ふつうの娘でした。
少し難聴気味ではありましたが、しかし、結婚も何人かから申し込まれました。
もちろん、難聴でもかまわないという条件で。
夫とのお見合いの前日にお見合いをした人にも、
夫の申し込みよりだいぶんあとに申し込まれました。
が、もう夫と婚約までしていたから断りました。
なにしろ夫の結婚の申し込みは速かったですから。
2月の半ばにお見合いをして、4月の半ばに結婚式を挙げるというほどの急展開でした。
私も、夫より前にも何人かに申し込まれたといっても、
夫がお見合いをした人たちの中で、一番若くてハンサムだったし、行動力もあったから、
即、申し込みを受けさせていただきました。
そのときは義母が私の難聴を嫌って猛反対していたことなど知る由もありませんでした。
が、結婚してから、義母は、機嫌のいいときはいいのですが、
いったん怒ると手の付けようがないほど無茶苦茶なことを言う人でした。
私も自分が難聴の弱みがありますから、我慢していましたが、
初めてのお産で実家に帰ったときに、初めて嫁ぎ先でのことを話しました。
私の母は怒って、長女が生まれたばかりだったのに、
夫に「びこを返してもらう」といきりたちました。
が、夫も、当事者であった私も、離婚することまでは思っていなかったので、うやむやになりました。
その後も嫁ぎ先での針の筵は続きました。
私と同学年で年齢は一歳年上の義妹の縁談が調わないことも遠因になったと思います。
結局、私が嫁いできて10年後に義妹は嫁ぎました。
義母は、義妹が嫁ぐまで、私たちの子供たちに絶対「おばちゃん」と呼ばせませんでした。
ですから、私の娘などは、ずっと義妹は私より若いと思っていたようでした。
義母は、自分ファーストの人でしたから、義妹のこともあまりかわいがる人ではありませんでしたが、
しかし、それでも、さすが自分の娘ですから嫁の私に対するのとは雲泥の差がありました。
ですから、義妹は子供を産んでからも、しょっちゅう里帰りして親の元でゆっくり過ごしていました。
その頃も、義母は、私に対しては、年に一度か二度の帰省もなかなか許しませんでした。
矛盾していると思いましたが、それが義母のやり方でした。
それだけじゃなく、
義妹が二人目を生んでから、上の子の夏休みとかには、義妹が大変だからという理由で、
私に義妹の上の子を預かって世話をすることを強制しました。
当時、私には、義妹の下の子と同い年の子末っ子と上に小学生の二人の子を抱えていました。
自分の子の世話で手いっぱいだったのに、なぜ義妹の子まで預かって世話しないといけないかと
疑問でいっぱいでしたが、そのころの義母には従うしかありませんでした。
そのころの義母は、私が少しでも従わないと逆上していましたから。
とても辛い日々でした。
が、わが子のために、離婚になることを避けるため、辛抱しました。
後年、私の上の二人の子が結婚して、末の子も大学に進学してから、
私は初めて義母にそのころの辛かった気持ちを電話で述懐しました。
義母は、翌日、そのころ私たちが住んでいた大阪のマンションに飛んできて、泣いて謝ってくれました。
私に帰省させなかったのは、自分の実家がなくなっていて妬ましかったからとその理由も言って・・・。
それじゃ、いくら近くに住んでいるからといっても、
義妹の頻繁な帰省を許していたのは辻褄が合わなかったと思ったのでしたが、
しかし、こうして謝ってくれたのだから義母に対してはもう恨んでいません。
それからは義母も私に気を使ってくれるようになりました。
が、義妹は、昔と変わりません。
いや、むしろ、義母が謝ってくれてからは、義妹がその横暴の役目を果たすようになりました。
とにかく、私たちが義妹に何かするのは当たり前という態度は今も変わりません。
これは、だいぶん昔の話になりますが、
義妹の下の子は中学生のとき登校拒否を起こして家に閉じこもりだったで、義妹も困っていました。
それで、
少しでも義妹の負担を軽減してあげようと、その子を連れて一緒に高知に帰省したことがありました。
そのとき、義妹には珍しく、その子の宿泊費にと一万円出してきたので、受け取りました。
(世間的には当然のことなのですが、この当然をしてくれる人ではありませんでしたから)
義妹は晩婚で、子供の年齢の割に親が高収入でしたから経済的にも余裕がありましたので、
私は受け取っても問題になると思っていませんでした。
その帰省の旅では二泊しましたから、本当はその子の一泊の宿泊費にも足りませんでしたが・・・。
これが後になって義妹に
私たちが誘っておきながら1万円受け取ったと批判される元になるとは思いもしませんでした。
義妹の頭には、
とにかく、われわれ兄夫婦は、義妹やその家族に奉仕するのは当たり前という考えしかないのでしょう。
奉仕させておいて、何かあると、私や私の子供たちをけなすのです。
私の娘が推薦入試で薬科大学に合格したときは、義母がそのことを義妹に自慢げに伝えていたのか、
(義母は、嫁の私には厳しかったけれど、孫である私の娘は義母の自慢の種でしたから)
たまたま私が用があって義妹に電話すると、私が要件を話し始めるより前にいきなり、
「あんだけバカみたいに勉強したら誰でも合格するわ」と言われたのにも驚きましたが、
そのあとに、
「私の娘は勉強しなくてもできるのよ」と付け加えたことには呆れかえりました。
義妹は、口を開けば、こういう調子なので、私はもう付き合いたくありません。
若いころは我慢して付き合いましたが、もうこの年になってまで振り回されるのは御免です。
この私のわがままは夫にも許してほしいと思います。