かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

あなたへ・・・難聴だから確かにご迷惑をおかけしています

2018-11-30 18:31:39 | ブログ記事

という上のタイトルは昨年の今日、前のブログに書いたものです。

過去記事=>「あなたへ・・・難聴だから確かにご迷惑をおかけしています

昨年から変わっていないなあと思います。


それにしても、なぜこんなに人の記事に干渉する人がいるんでしょうね

2018-11-30 15:45:05 | ブログ記事
道徳観は人それぞれでございます。

また、あえて道徳観に反して記事を書く場合もございます。

それは書かずにいられないという内部から湧きおこった感情が書かせるのです。

私のブログも、私が書いていますが、
私自身、何者かに突き動かされて書いている部分もございます。

それがブログの面白さだと思っています。

小説なども、そうでございますね。

たとえば、瀬戸内寂聴さんの書かれたものなどに道徳をもってきましたら、
たちまち問題小説になります。

が、道徳的に見れば問題があるけれど、しかし、読むに堪えない小説ではございませんね。

文章とは、そういうものだと思います。

むしろ、道徳通りのことを書いたがために退屈で、読むに堪えない文章は多いと思います。

それより、人間の表には見えない真実を書いたもののほうが面白いと思います。

以上は、私の持論でございますが、
そうでない考え方をお持ちの方も世間にはたくさんいらっしゃると思います。

世間には、残念ながら、そういう退屈な人のほうが多いかもしれません。

以上、コメントくださった品行方正な方々に、お読みいただけると幸いでございます。


お昼前に投稿した記事は取り下げました

2018-11-30 15:25:41 | ブログ記事
私は、私の現在の心模様を描いた記事でしたので、
なんら恥じることも臆することもありませんが、
二人の方から批判めいたコメントをいただきましたので、いったん取り下げました。

私とすれば、心外なことですけれども、平和を保つために。

またアップするかもしれませんが、とりあえず。

昨日は、確かに、ブログやめるかもとも書きました。

記事の最後のほうに独り言のように・・・。

が、

その後、「ブログを止めないで」というコメントをくださった方々がいらしたので、
その記事の最後部分は消しました。そして、またご期待通りに?書いております。

ですから、その消した部分への余計なコメントは要りません。

通りすがりさんは、黙って通り過ぎてくださいませ。

その私の消した部分をことさら持ち出してコメントなさるということは、
私にブログをやめろと仰せでございますか?

もしやめるとしましても、コメントくださった方の干渉を受けてやめるのではございません。

私のブログでございますので、消した部分に対してのコメントは控えてくださいませ。

が、まあなんだかんだいっても、私のブログですので、基本的には自分の書きたいように
書きます。

私の書くものが嫌いな方は、どうぞ読みに来られないでくださいませ。

私は、こんな出来損ないの人間です。

それが面白いと思ってくださる方にお読みいただくことで満足でございます。

以上記事の取り下げのお詫びとコメントくださったお二方へのコメント返しの代わりに
させていただきます。

慎みて。


*

コメントを承認制にしますと、アップするのに手間がかかりまして嫌でございますが、
また、いったん承認制にいたします。

三食の食事作りも感謝されれば喜んでできる

2018-11-30 11:21:19 | ブログ記事
が、当たり前のような態度をされたり、

作っているのに、
食べずに出ていかれたり、作って待っているのに他の人と食べて帰ってこられたりされたら空しい。

それを言うと、「それじゃ作らなくていい、外で食べる」という。

確かに、現代は、比較的安価に外食できる。

奥さんなんかいなくてもいいと思っても不思議はない。

が、食事をするのという行為は単に空腹を満たすという目的だけでするものではないだろう。

セックスも同様である。

ただ性欲を満たすだけが目的ではないだろう。

これを履き違えている人は多いと思う。

食事も同様である。

出来上がったものを食べるだけなら、外食でもいいかもしれない。

が、食事には、家族の絆を深める役目もある。

特に、子育てなどではそうだ。

共働きでお金があるからと言って、
外食ばかりしていたら、子供の精神衛生上よくないと私は思う。

子供が外から帰ってきたら、おいしそうなにおいが家中に漂っているということが
子供の気持ちを落ち着かせ、情操教育にもなると思う。

子供が巣立って、夫婦二人だけの暮らしになっても、
日々の食事を大切にしていたら夫婦の絆は切れない。

「あなた作る人、私食べる人」という立場も、たまには交代してみるのもいいかもしれない。

料理は、してみれば、大変さもわかるが、面白さもわかる。

だから、たまには、交代して作るのがいいと思う。

仕事をしている人でも、暇な時間を見つけてやれば、趣味のように楽しめると思う。

いつも上げ膳、据え膳では、いつまでも奥さんの気持ちを理解することができないと思うが、
どうだろう?

たまに作って奥さんを喜ばせれば、奥さんは、また頑張ろうという元気が湧く。

ここらあたりも、セックスと同じだと思うが、どうだろう?

とにかく相手がいることを忘れないことが肝要だと思う。

*

それでも、規則的に食べてくれるのは、まだいい。

私のように、その連れ合いと別居していて、ときどき帰ってこられて、
急に食事が必要というのが一番困る。

材料がそろわないと急には作れない。

そう思って材料を揃えておくと、まったく帰ってこなかったりしたら、材料が傷む。

こういうことは、定期的に作るより、もっとストレスになる。

相手に思いやりがあれば、または自分が食事作りの苦労を知れば、
こういう相手を困らせるようなことはできなくなるはずだと私は思う。

五輪貧乏、万博貧乏にならないように

2018-11-30 06:15:23 | ブログ記事
万博を誘致できた大阪が

大風呂敷を広げたが、これから資金集めが大変とか。

私は、それ見たことかと思う。

資金は、手前の持ち合わせでするべきでないか。

お恵みを乞うのは乞食根性である。

資金が乏しいなら、乏しい資金でやればいい。

それは東京都の五輪もそうである。

最初の予算より、どんどん事業費が膨らんでいるのは、

間で儲けようとする輩が絡んでいるからである。

現在進行形の五輪も、これから始まる万博も、それらの金食い虫の排除が肝要である。

だいたい、一般家庭でも、何かの行事は自分たちの収入に応じた規模でやる。

結婚式にしても、葬式にしても・・・。

誰も人に寄付を募って結婚式を挙げたりはしない。

日本も、かつてのバブルのころの国力は失せているのだから、

ここは見栄など捨てて執り行うべきである。

どこかの国の五輪は、非常に乏しい資金でやり遂げたと聞く。

日本も、そうすべきである。もう遅いかもしれないが、今からでも。

とにかく、終わって借金の残らない五輪、万博にするべきである。

そうでなくても、現在は、税金にしても何にしても、庶民に皺寄せが行き過ぎている。

川西市を大阪都に

2018-11-30 04:23:47 | ブログ記事
昨日も神戸に行って思ったのだが、

川西市から兵庫県都、神戸市に行くのは1時間かかる。

が、大阪梅田には自宅から30分でいける。

しかも神戸には、JRでも私鉄でも必ず乗り換えしていかなければならない。

が、JR大阪駅、または阪急梅田駅には乗り換えなしで行ける。

当然、大阪に出る機会のほうが多くなる。

なのに、川西市が兵庫県であることは不自然である。

川西市や猪名川町の北部の、というか奥の能勢町が大阪府であることから鑑みても。

これは、宝塚市民、伊丹市民、尼崎市民も感じていることだと思う。

歴史的に見ても、

昔は、これらの地域は摂津という国で、浪花と呼ばれた大阪と同じ国であった。

それを言えば、神戸市なども摂津国であったが・・・。

とにかく、

私は元に戻してほしいと思う。

大阪府が大阪都にしようと画策している今、強く要望をしておきたいと思う。

それから、これは要望ではないが、兵庫県について。

現在、県都は神戸市になっているが、

しかし、兵庫県全体からしたら、これも不自然ではないかと思う。

兵庫県は広い。

城崎温泉のある豊岡市なども兵庫県である。

豊岡市の人たちは神戸市が県都であるのは不便ではなかろうか。

昔の播磨の国の中心であった姫路市などに県都を移したらどうだろう。

そうして、旧播磨の国全体、その奥の丹波、丹後の国々を活性化させるのだ。

これは今月半ばに姫路で乗り換えて丹波の神河町に行ったときに感じた感想だ。

私は、全兵庫県民の利便性のよい地域に県都を移したらと思うが、
まあこれは「大きなお世話」と言われるかもしれない。