かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

水道の民営化って怖くない?

2018-11-27 19:38:48 | ブログ記事
たしか7月ごろ、水道の民営化が問題になっていたと記憶していますが、

最近は、あまり聞かないのですが、その後どうなったのでしょうか?

水道が民営化されるって怖くないですか?

だって水って命そのものだもの。

人間の身体も、ほとんど水で、できているでしょ?

その水の値段が高騰したら、貧乏人は生きていけなくなるのでは?

また、民営化されて、儲け主体になると、安全面で問題が出てきたりはしないかしら?

民営化されてよかったのは電電公社くらいだと私的には思うのですが、どうなんでしょ?

郵政省の民営化も、私には失敗だったような気がするし。

国鉄がJRになって、赤字体質が改善されたところはあると思うけれど、

しかし、儲け主義に走った結果、

福知山線脱線事故は起こりましたね。

それと同じような構造的な事故が起こるのではないかと私は危惧します。

列車の脱線事故は、被害に遭う人は乗っていた人に限られますが、

水の事故は、そうはいきません。

被害に遭う人は天文学的数字になるかもしれません。

が、水は飲まないわけにはいきませんから、逃れようがありませんね。

この水の問題は、もっと大騒ぎしないといけない問題ではないでしょうか?

万博が誘致できたなどと喜んでいる場合じゃないように私には思えるのですが、
なぜ、あまり騒がれないのかしら?

*

★水のみち民営化する悪政を見やうとしない民衆われら

★民営化されてそののち騒いでも後の祭りとならむ水道(みづみち)

★人間の源なりし水なれば民営されるは怖き水道

★万博が誘致できたと喜びてゐるまに値上がりする水道は

★民営化されて五倍になりし国あると知りたり水道代が

★民営で水質悪化せしといふニュースを聞けば危惧するわれは


*

いまニュースを見ると、「入管法改正案、衆院法務委で可決」とか。

なんか日本の大事がどんどん勝手に決められていっているように感じるのは私だけでしょうか?

いったん移民を受け入れてしまうと、後戻りできないことは肝に銘じておく必要があると思います。


さらに大叔母の思い出

2018-11-27 14:53:40 | ブログ記事
こうして書くことが大叔母への供養になると思うし、

私の子供たちも読んでくれているのなら、
私の大叔母がどんな人だったか知ってもらえると思うから、書いておこうと思う。

私の娘は、この大叔母の養女さんと3年ほど前に東京で会っているから、話も分かりやすいと思う。

大叔母は何度も書いているが、私の母方の祖母の妹である。

二人の顔立ちはそっくりというくらい似ているが、

次女で実質的に長女であった祖母は真面目で、この大叔母は末っ子でお茶目で愛らしい性格をしていたから、
会ったときの印象はかなり違う。

祖母も大叔母も決して美人ではなかったが、しかし、大叔母のほうは男性にモテたようだ。

というのが、あの時代、恋愛結婚で遠方の人と結婚していることからもわかるし、

その結婚した旧家の跡取り息子だった大叔父さんに愛されていたから。

大叔父さんは紳士であった。

亡くなる時も、大叔母に対して「世話になったのう」と言って亡くなったという。

大叔母はその時、「あっ」と思ったらしい。

その直後に亡くなったというから、最後まで礼儀正しいというか、思いやりがあるというか。

大叔母の養女さんも、この大叔父さんのことは義父ながら、心から尊敬していた。

養女さんも、こんな人柄のよい義父の元にもらわれてきたのは運がよかったかもしれない。

まあ、そんな紳士である大叔父さんに見初められて結婚した大叔母だから、
美人ではなかったが、男性から見て魅力があったのだろう。

この大叔母は確か95歳くらいで亡くなったと記憶しているが、

大叔母が90歳くらいのときの話である。

ある日、養女さんのところに大叔母から結婚したい人がいると電話がかかってきたと。

養女さんは、まさか90歳のお婆さんがそんなことを言いだすなんて思っていなかったから、
びっくりしたらしい。

それで事情を聴いてみると、

入院中に仲良くなった年下の男性がいて、その人に求婚されていると。

その男性は、郵便局長をされていた人で、奥さんを失くしているから大叔母と再婚して、
大叔母の世話をさせてほしいと言ったそうな。

驚いた養女さんは、「何考えているのよっ」と大叔母を叱ったらしい。

そりゃあ、そうでしょう。90歳って言ったら、もう死んでいてもいいような年齢なのに、
それから再婚するなんて。

困った養女さんが、私の母に相談してきたから、私の耳にも入ることとなった。

聴いた私も驚いたが、しかし、あの大叔母ならありそうな感じもした。

病院にお見舞いに行っても、いつもいっぱいの人に取り囲まれて人気者だったから。

それで、その奥さんを亡くして鰥夫になっている男性も、歳を忘れて求婚したのだろう。

笑い話のような本当の話である。

それからも何度かお見舞いに行ったが、大叔母の周囲はいつも人が集まっていた。

気前もいい大叔母だったから、老若男女を問わず好かれた。

その気前のよすぎるのが身内には困ることもあったが・・・。

しかし、

最後まで認知症にはならなかったが、やはり寄る年波には勝てず、ある日亡くなったという連絡が入った。

大叔母の一生は、自分の子供は生めなかったが、優しい夫に恵まれ、美人の養女を育て上げ、
幸せだったのではなかろうか。

が、大叔母も、私と同じように、婚家では、けっこう大変な思いもしたと聞いたような気はするが、
しかし、あんな人柄のいい男性(大叔父さん)と結婚できただけでも大儲けだったのではなかろうか。

ん、私も?(笑)

私と大叔母の違いは、私はペシミストだが、大叔母は根っからの楽天家ということである。

大叔母も苦労がなかったわけではないと思うが、根が陽性なのである。

そういえば、大叔母の養女さんも明るい。

まあ実家で大事にされ、嫁ぎ先で大事にされだったから、暗くなりようがないが、
しかし、
実の親を知らないということは、この養女さんにとって大きな負なのかもしれない。

母が最期まで言わなかったのは、言わないほうが本人のためになると思ってのことだったのだろう。

どんな親であっても、親を知っているということは幸せなことであるかもしれないと、ふと思った。

*

★幸せの雫のやうな養女なりされど実親しらず死ぬは無念か

★九十になりても求婚されしかばその子でなくても人は呆れる


大叔母も母も最期まで自分で自分の始末をした

2018-11-27 09:12:37 | ブログ記事
今から考えて偉いと思うのは、

昨日から書き続けている大叔母と母のことである。

二人とも、最後の最後まで自分の始末は自分でした。

大叔母も最後のほうは病院に入退院を繰り返していたが、

入院のときも、退院のときも、全部馴染みのタクシーの運転手さんにお願いしていた。

それだけじゃなく、山深い場所に一人暮らしをしているときも、

食べたいものがあると、その運転手さんに来てもらって、街に買い出しに行っていた。

大叔母の生前、私が電話で、「何か食べたいものはない?」と聞くと、

「食べたいものはタクシーを呼んで買いにいっているから何も送ってこないで。
送ってこられたら、冷蔵庫に入らないから」

と言っていた。

実際、そうであったようだ。

山深いところに住んでいたから、買い物は不便だったが、景色は申し分なかった。

前に築山の紅葉のビデオを見せてもらったことがあるが、そこらあたりの観光地顔負けの景色であった。

大叔母は手芸が趣味だったから、その景色の中で日がな一人で手芸をして、

少し寂しくなったら、養女のところとか、私の母のところとか、私の叔母が生きていたころは叔母、
それから私のところに電話をかけてきていた。

祖母の実家は大昔、高知県の郡部の城主であったらしいが、
その家のことを詳しく教えてくれたのは、この大叔母のこのころの電話であった。

いつも長電話であったが、私はいろいろ聞いておけてよかったと思っている。

祖母は早く結婚したこともあり、その親からそんな話を聞かせてもらっていなかったのか、
あまり話してくれなかったが、

大叔母は末っ子だったこともあって、親の話を聞く機会が多かったのだろう。

この大叔母は小学校に入っても、下校したら、そのお母さんの母乳を飲んでいたというから、
どれだけ甘えん坊だったかと驚く。

その分、親とのふれあいも多かったのだろう。

祖母が真面目一方だったのに比して、この大叔母はお茶目で愛らしい性格をしていた。

が、養女さんには子供のころから家事も仕込んで、しっかり育てていたから、
ある意味では、私の祖母より賢かったのかもしれない。

世間では賢いと評判だった私の祖母は、
娘には一切家事はさせずに、お嬢さんに育てたため、母は嫁いでから困ったらしい。

何しろ祖母の自慢は、娘に一度もご飯を炊かせたこともないということだったから。

そのため母は結婚してから、父の兄嫁さんの特訓を受けたらしい。

これが母には苦労だったようだったが。

しかし、若いころから父に経済的な苦労をさせられたので、経済的には自立したし、できた。

それで、年取っても死ぬまで自分で世話をしてくれる人を探して雇って世話をしてもらった。

その世話をしてくれていたおばちゃんは若いころ看護師さんだったらしくて、
母が階段から落ちて首の骨を折ったときも、
退院後の骨を作る薬の注射も、毎日この叔母ちゃんがしてくれていた。

おなかにする注射で、射すのが難しそうなのに、よくしてくれると感心してお兄嫁に言うと、
「おばちゃんは若いころ看護師さんをしていた人だから」と言っていた。

母もいい人を見つけて世話になっていたものだと思う。

このおばちゃんは料理も上手で、
私が帰省したときなどは、私の分までお弁当を作ってもってきてくれていたが、
卵焼きなど玄人はだしであった。


母も食べるものにはうるさかったが、このおばちゃんの作るものはおいしいと言っていた。

お金を払っていたとは言っても、このおばちゃんも最後の最後までよく母につかえてくれた。

私や兄嫁ならできないことまでしてもらったと思っている。

亡くなる前日も、母は入院先の病院に迎えにきてもらって、
おばちゃんに付き添ってもらってパーマまでかけにいっている。

おかげでお棺の中の母の亡きがらの髪はきれいに整っていた。(笑)

この大叔母にしても、私の母にしても、細かいところではいろいろあったが、
ある意味あっぱれな人生であったかもしれない。


人に頼りっきりで生きている私には真似ができそうもない。

*

★大叔母も母も子供に頼らずに他人に頼りその生を終ふ

★たまきはる命の際まで何事も自ら決めし母と大叔母

*

それらから比べると、
母方の祖母は、その孫が開業医だったので、
寝たきりになっても死ぬまで自宅で寝ていられたのは幸せだったと思う。

大叔母の養女さんについて追記

2018-11-27 00:17:09 | ブログ記事
養女さんの話を書いたら、ブロ友の転象さんに小説のようだと言われたから、
さらに書いてみます。

実は、なぜ大叔母がこんな才色兼備な養女がもらえたかということですが、

この秘密は、私の母や祖母は知っていたみたいでしたが、私には教えてくれず、
秘密は天国に持って行ってしまいました。

この養女さんも、事実を知らされないままだったようで、

数年前に、私の母に「○○ちゃん、本当のことを教えて」と頼んだことがあったようです。

○○ちゃんとは、母の名前です。

が、母は、養女さんに、

「あなたは義両親にあれだけ大事に育てられたのだから、義両親を本当の親と思いなさい」

と諭したようです。

が、私が少し小耳にはさんだ話では、

この養女さんは結婚前、
大叔父さんの親戚の広島市内で病院を経営している家に行儀見習いに行っていたことがあります。

その院長先生のお母さんと養女さんは似ていたとも言われていましたから、ひょっとすると、
その院長先生の隠し子ではないかと。

決定的なことはわからないので憶測ですが、院長先生と看護師さんとの間の子とか?

とにかく、この養女さんは美人で頭がよく性格もよかったから、これは生まれつきがよかったのだと思います。


大叔母はこの養女さんを他家に嫁がせたから、その晩年の世話はしてもらえませんでしたが、
しかし、
こんな素晴らしい女性を育て上げた養母でいられたから幸せであったと思います。

養女さんも心底大叔母のことを大事に思っていましたし。

養女さんは、そういう事情で、一人っ子で兄弟がいないから、
私の母を姉のように慕っていましたし、
私のことを今でも妹のように思ってくれています。

そのもとになったのは、大叔母は私をかわいがってくれていただけでなく、
私の母が自慢の姪であったようで、人には「姪が姪が」とよく人に話していたようです。

そんな関係があったから、養女さんとも濃く付き合っていました。

が、私は結婚後、それほど暮らしがよくなかったことと、難聴が進んで人との会話もままなりませんから、
母の従弟が献立た”いとこ会”などに誘われても断っていますから、疎遠になっています。

寂しいし、悲しいことですが、仕方ありません。

*

大叔母と私の母の関係で思い出したのですが、

私の叔母(母の妹)も、こんな何の取り柄もない私のことでも自慢だったみたいで、

叔母が亡くなった後、叔母の女学校時代の友人達に

「▽▽さんは、いつもあなたのことを話していました」と言われました。

私など、ぜんぜん自慢になるような姪でもなかったのに、
叔母には自慢だったんでしょうかね。

可笑しいですね。