かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

どうしよう、明日着ていく服がない!

2018-11-16 16:07:03 | ブログ記事
明日は今年一歳を迎えた孫の誕生会に

お嫁さんの実家に招待されているから、

ちょっとめかしてスーツを着ていこうと、さきほど一番大きめのスーツを着てみたら・・・。

なんと、スカートのウエストが留められない。

たしかに先月の検診のとき、体重が過去最高だった。

が、それほど太ったと自覚しなかった。なぜだ、自分!

が、それが本当だったことを認めざるを得ない。

最近あたらしく買う服は普段着風のものばかりだったから、それほど支障なく着られていた。

が、この現実!

今からデパートに買いに行っても、あわてて買っても、ろくなものが買えないと思うから、
明日も普段着風の服で行くしかないかな。

私は今まで本気でダイエットなどしたことがない。

少し太りすぎたかと思う頃に大病になる、というパターンを繰り返していたから、
ダイエットの必要がなかったとも言える。

が、63歳で鬱病になり、その薬の副作用で痩せたのを最後に大病をしていない。

ついこの間のように思っていたが、あれからでも7年経っている。

そりゃあ、毎日好きなように食べていたら太りますわね。

もう新たなスーツは新調しないでいようと思っていたけれど、

もし何か改まった場所に出ないといけなくなったとき困る?

着物はたくさんあるけれど、長いこと着ていないから着られるかな?

こうなれば、痩せるしかない?

痩せるためには食事制限?

これが一番むずかしいのだけど・・・。(溜息)


*

★体重は増えをりしかど太つたと思はずゐたり鏡も見ずば

★だうしやう余所行き服がことごとく着られずなりしことに気づきて

★スタイルがよいと言はれてをりし日もありしに今のこの見苦しさ

★ダイエット大の苦手でありしかばどこまで太るわたしの身体

★見苦しきおうなになりてゆくらむか痩せる努力を怠りをれば

*

さきほどブロ友さんの記事を読ませていただくと、
お連れ合いが糖尿病と宣告されたよし。

私の兄は、糖尿病ではありませんでしたが、
お酒を飲みすぎて腎臓を悪くして、亡くなる前の数年は人工透析を受けていました。

私も気を付けなければ、人工透析を受けないといけなるかも?

『何がジェニーに起ったか』・・・きょうだい間の嫉妬

2018-11-16 13:50:41 | ブログ記事
録画してあった映画『何がジェニーに起ったか?』を見た。

この映画の題名は聞いたことがあったが、観たのは初めてだった。

昔の映画とはいっても、ずいぶんドロドロした印象の映画だった。

簡単にいえば、とある姉妹の嫉妬の物語とでも。

あらすじは、

その妹のほうは、幼いころ子役タレントとして売れっ子であった。

そのころは姉が妹に嫉妬していた。

が、長じるにしたがって、今度は姉のほうが女優としてもてはやされるようになった。

子供のころ売れっ子だった妹のほうは大根役者だとけなされる。

そうすると、今度は妹のほうが姉を嫉妬する。

まあ、そういうふうなストーリーの映画であった。

が、この嫉妬をかなり強調して描いてあったから、えぐい感じの映画であった。

とはいえ、実の兄弟、姉妹というものは、同胞でありながら嫉妬もつきものだ。

いや、同胞であるから、余計に嫉妬が激しくなるのかもしれない。

私事だが、

私の母は三人きょうだいであったが、母、叔母、叔父の順番だったので、
跡取り息子であった叔父が一番大切にされていたが、
その次は長女であった母であった。

それが、負けず嫌いだった叔母には許せなかったようで、
大人になってからも私の母に対して嫉妬心を燃やした。

この叔母は三人の中で一番頭がよかったが、
子供のころ、母が皆に器量よしと言われるのと比べて、いまいちパッとしなかったようだ。

そのうえ、叔母は身体が弱かった。

それで両親である祖父母は、この叔母を大事にはしたが、
祖父の義両親だった義祖父母は器量よしだった私の母ばかりかわいがったから、叔母は嫉妬深くなった。

祖父の義両親と書いたが、この祖父は幼いころに両親を亡くして、養子に出されていたからである。

実の祖父母であれば、そんな依怙贔屓はしないと思うが、そこが血のつながらない祖父母の所以である。

まあ、とにもかくにも、頭のよかった叔母は嫉妬深かった。

そのせいか、年頃になるころに肺結核にかかってしまった。

それで、いつも書いているが、
病気を治してもらう目的で天理教をしていた義叔父と結婚することになった。

祖父母は大反対したらしいが、叔母は結婚してしまった。

が、この義叔父さんは、なかなか甲斐性のある人で、
当時、まだ20代ながら、義叔父さんのおじさんの会社の実権を握り、

叔母が従弟を生んだあとは家にお手伝いさんも置いていた。

郷里の高知に帰省するときも、そのころはまだ飛行機に乗る人も少ない時代であったにも関わらず、
飛行機であったし、たまに国鉄(=JR)で帰省するときもあったが、そのときは二等車であった。

このころは三等車というのがあったから、二等車というのは今のグリーン車である。

それに引き比べて、母が結婚した相手である私の父は、国家公務員であったから薄給であった。

そのころ、叔母が母に言い放った言葉。

「あなたも私と一緒に歩くときは連れ合う服装にしたら?」

叔母は当時は既に天理教の信仰をしていたから、日ごろからいいことを説教してくれていたのに、
私の母には、こんな失礼な言葉を吐いたのだ

というのが、母は望まれて、東京帝大出であった私の父と結婚し、皆に羨ましがられていたから、
叔母は、内心おもしろくなかったのだろう。

それで、思わずそういう言葉が出たと思うが、

しかし、信仰をしていても、こんなことを言うくらい、叔母は嫉妬心が強かったということでも
あったろう。

同性のきょうだいというのは、とかく競いあうもので、必ずしも仲が良いばかりでもなさそうだ。

姉妹だけでなく、男兄弟同士にも嫉妬はある。

私の父は三人兄弟であったが、
父の二人の兄たちは、幼いころ、田舎のその祖父母に預けられていたらしい。

どうしてかというと、両親(私の祖父母)の商売が忙しかったから。

が、三男であった私の父のころは、商売も大きくなって、人も雇うくらいになっていたから、
父はその親の手元で育てられたらしい。しかも溺愛されて・・・。

それが、父たち兄弟の仲が悪くなった原因であったらしいが、
しかし、父の次兄は、もともと優しい人であったから、
長兄には従順で、弟である私の父には優しい心遣いをしていた。

仲が悪かったのは、父の長兄だった伯父と私の父であった。

二人とも健康で勉強もよくできたから、よけい競い合ったのだろう。

次兄だった伯父は、身体も弱く、学業もイマイチだったらしいから、
最初から勝負?から降りていたのかもしれない。

そんなわけで、父と父の長兄だった伯父とは最後まで仲良くすることはなかった。

こういうふうに、同性のきょうだいというのは、しばしば競争相手になるし、
嫉妬は、赤の他人に対するよりも激しくなりがちだ。

実の姉妹ではないが、義妹の私に対する意地悪も嫉妬であった可能性は大きい。

学年は同じであるが、年齢は私のほうが一歳若かったから、
当時未婚だった義妹の嫉妬の対象になったのだろう。

そんな身内の様子を見てきた私には、

けさ観た、この『何がジェニーにに起ったか』の姉妹間の激しい嫉妬の応酬は頷けた。