かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

黙って文句を言わずに従っていればよかったのか

2018-11-28 22:01:43 | ブログ記事
が、最近の私はそうしなくなった。

おかしいと思うときはおかしいというし、怒りもする。

以前は、何も言わずに従っていた。

義母、義妹にも言われっぱなしであった。

難聴であるから仕方ないと思っていたから。

子育てのさなかに離婚したくなかったから。

それで、うまくいっていたのだろう。

が、最近は、夫の勝手な行動をなじる。

だけじゃなく、ブログを始めてからはそれを書く。

義妹との付き合いも拒否する。

だから夫は我慢できないのだろう。

が、私にも人権はある。

今まで黙って従っていたことのほうが普通じゃなかった。

そうすると夫は、今までしてくれていたフォローをしてくれなくなった。

だけじゃなく、一人で暮らすべく家を出て行った。

耳の聞こえない私は家に取り残された。

昔の言葉でいえば「かたわ」の私は文句を言う権利はなかったのだろう。

私の母が、私が肩身の狭い思いをしないように、働いて働いて援助してくれても、
それは私の助けにならなかったということなのだろう。

悔しいことではあるけれども・・・。


*

★わたくしが黙して文句言はざれば波は立たずに平和なりしや

★かたわなるわれにもものを言ふ権利あると思へば落ち葉が落ちる

ゆるキャラのバカバカしさ

2018-11-28 16:43:59 | ブログ記事
我が家は産経新聞を購読していて、

私は毎週水曜日に掲載される曽野綾子さんの「透明な歳月の光」を楽しみにしている。

今日も膝を打つようなことを書かれてあった。

タイトルにした「ゆるキャラのバカバカしさ」について、

「いい大人が無邪気に喜ぶべきか」と言われているが、まったく同感である。

まあ就学前の子供たちが喜ぶのはわかる。

が、大の大人が喜ぶものではない。

それなのに、観光地などに行くと、うれしそうに一緒にカメラに収まったりしている。

恥ずかしくて見ていられない。

本当はvサインをしてカメラに収まろうとしている人たちが恥ずかしがるべきことなのだが、

その人たちが恥ずかしがらないから、見ている私が恥ずかしくなるのである。

そもそも私は、歴史ある景観に、あのゆるキャラ群はふさわしくないと思う。

いったい全体、いつから日本人は、こんなに愚かになったのだろう?

これじゃ、どんどん途上国に追い越されていくのは仕方ない。

私が、ゆるキャラがあまり好きでないのには、もう一つ理由があって、
夏など、あの「ゆるキャラ」を被ると、内側に猛烈な汗の臭いが籠もるらしいから。

そんな話を聞けば、ゆるキャラが可愛いなどとは思えなくなってくる。

ゆるキャラではないが、真夏にディズニーランドなどで、
人気キャラクターを被ったアルバイトがしばしば熱中症になり救急車で運ばれると聞けば、
恐怖さえ覚えてしまう。

子供たちの夢かもしれないが、
ああいう被り物はやめて、他のものに置き換えるようにしたほうがいいのではないか。

羽振りがよくなる

2018-11-28 05:01:46 | ブログ記事
私の夫は現在、羽振りがよくなっているのかもしれない。

サラリーマンの時代には少ない給料でやりくりして子供を育てた糟糠の妻は関係なく。

だから、現在は、私と半分別居をして、大阪のマンションで一人暮らしをしているのだろう。

そのほうが何をするにも自由でいいから。

食事も気の合った仲間と外食するほうが楽しくていいのだろう。

夫の稼ぎがよくなることは、妻にもいいことであるはずだが、そうはならない。

夫は、私にも、「もっと出かけて遊べ」と言ってくれる。

しかし、長年、専業主婦で生きてきて、外に出て遊ぶ遊びを知らなければ、
「遊びに出よ」と言われても、どこに遊びに出かけていいかわからない。

基本、夫に連れ出してもらわないと出かけられない箱入り奥さんなのである。

以前はよく誘ってくれていた学生時代の友人達も、
最近は皆、定年退職した連れ合いと一緒に出掛けたり過ごしたりしているからお誘いもない。

結局、私は家に取り残されて、一人で本を読んだり、ブログを書いたりして遊ぶしかない。

家の掃除もしないといけないが、家族のいない家の掃除は勢が出ない。

それに年取ってくると、手伝ってもらわないとできないことも多くなってくる。

それらもできないまま、私は独りで老いていくのだろうか。

夫が元気でいてくれることも、稼いでくれることも有難いが
難聴で身体の弱い老妻には必ずしも還元されないとも思う。

これを世間では卒婚というのだろうか。

*

★卒婚は妻を捨て去ることなのか一人家出て暮らし始めて

★かすがいひの子がいなくなり滓となる妻かもしれずわれはその妻

★長生きの母が亡くなりわたくしの生きる甲斐などなくなる此の世

★死ぬことがしばし頭をかすめたり一人で起きて一人で食べて

★未亡人こんな気持ちでゐるのかと体験してゐるやうなこの朝

★年取つてからの夫婦と常言ひし叔母はその夫(つま)置きて死ににき

★わたくしが死ねば夫は喜ぶか遊びの邪魔をする者消えて

★子を三人(みたり)孫を四人(よつたり)残せるがわれの残せる歴史であるよ

★父が死に兄死に母が死にたればわれも死ぬのが怖くなくなる

★四人(よつたり)の家族でありしときは過ぎいまこの私のみ残りて此の世

難聴のせいで年々偏屈になっていく私?

2018-11-28 00:59:56 | ブログ記事
昔はいつもにこにこしているびこちゃんと言われていた。

が、最近は、めったに笑わない。

外を歩く時も無表情だ。

見知った人を見ても、にこにこすることはあまりない、
というより、こちらに来たのは60歳前だったから、今でも知り合いはほとんどいないし、
作ろうともしていない。

知り合いができても、スムーズに会話ができないから。

そんな私だから、
昔のように笑わないのは、自分が笑いたくないという気持ちがあることと、
うっかり笑いかけて、話しかけてこられたら困るという気持ちもあるからだと思う。

話しかけられても、スムーズに聞き取れればいいが、
聞き取りにくい声の人とか、話し方の人だったら、何度も聞き直しをしないといけなくなる。

それで、無意識に人を避けているのだと思う。

難聴者の会に行くと、やはり、私と同じように無表情な人が多いが、

なかには、難聴であっても、いつもにこにこしている人もいる。

現在会長をしてくれている60歳くらいの人もそうだが、

前の会長をしてくれていた40歳過ぎの人もそうだった。

前の会長をしてくれていた若い人は、
車の運転もするし、聴覚障害がどんな障碍であるかという説明も上手にする有能な人だ。

が、二人目の子がダウン症だったため、忙しくなり、会長職は降りた。

この人はご主人も聴覚障害者で、
以前は夫婦で川西難聴者の会である「耳の会」の運営をしてくれていた。

毎月いろんな企画を立ててくれて、参加すれば、何らかの得るものがあるという
充実した運営ぶりであった。

ご主人は、平日はお勤めをされているから、土日だけの協力になるが、
それでも子供さんのお守りなどされて、非常に協力的だった。

現在も行事には家族で参加されるから、お会いするが、夫婦としても模範的なご夫婦だ。

子育ても立派にされている。

難聴であっても、ああいうふうに明るく生きていけたらと思う。

親御さんが、どんな育てられ方をされたのかとまで思ってしまう。

私は年々笑いが少なくなって、偏屈になってきているが、
いつも、
どうすれば、難聴であっても、ああいうふうに明るく生きていけるのだろうと思いながら
拝見している。