かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

エスカレーターは歩かないでください

2018-11-08 14:15:32 | ブログ記事
最近、エスカレーターのマナーで見直されているのが、
エスカレーターでは歩かないというマナー。

私は、ずっと前から片側を空けて乗るマナーに疑問を持っていた。

そんなに急ぐのだったら、自分の足を使って階段を駆け上るか駆け下りればいい。

エスカレーターは、基本、歩くことが困難な人、あるいは楽をしたい人のためのものである。

急ぐ人は、それだけの余裕を持って家を出るのが根本的なマナーだと思う。

多忙だから、エスカレーターに乗って歩きたいというのは、自分勝手である。

その人が多忙なのは、その人の事情であって、その他大勢の人たちには関係ないことである。

また、

静止して乗ることを前提に作られているエスカレータの機械部分への負荷も大きいだろう。

というわけで、エレベータで歩くことにはマイナス面しか見つからない。

何度も書くが、エスカレーターは、基本、弱者の乗り物である。

楽をしたくて乗るのなら、おとなしく乗っているべきである。

多忙を極める元気な人の乗る乗り物では決してない。

それなのに、弱者を押しのけて歩こうとする態度は厚かましいにもほどがある。

テレビを見ていたら、
若い女性で、脊髄を痛めて立っているのがやっとという状態の人が、
「エスカレーターで歩かれると恐怖を感じる」と言われていた。

世の中には、こういう人もいるのだ。

そういう人たちのためにエスカレーターはあるのだ。

元気な者は乗ることを遠慮してもしかるべき乗り物なのである。

今年初めに亡くなった老母と一緒にエスカレーターに乗る時も
片側空けて一人ずつ乗ることは不便だった。

よろけそうな母を支えたくても前後(上下)では支えられない。

それで並んで乗っていると後ろから来た人に「どけ」と言わんばかりの態度をされる。

そんなとき、片側空けるマナーは本当に腹立たしかった。

元気な者はエスカレーターを使うなと本気で思った。

私のような心臓の弱い人間でも、
体調のいいときは、
エスカレーターに乗らないで階段を歩くように心がけている。

ま。これは自分の健康のためもあるだが・・・。

*

★弱者のみ乗るべきはずのエスカレータ乗りて歩くな元気な者ら

★押しのけて歩く男ら降りられよ君らの足で階段(きざはし)歩け

★急ぐなら階段駆けて上がるべしその有り余る元気な足で

「また書くやろな」と夫

2018-11-08 03:34:45 | ブログ記事

昨日は夫の友人のお見舞いに便乗して神戸森林植物園に連れて行ってもらったことを書いた。

で、出発するまでは何の問題もなかったが、
出発してすぐに、きっかけは忘れたが義妹の話題になった。

それでまた私は義妹との嫌な思い出を言った。

すると夫は烈火のごとく怒りだして、宝塚駅前で車を止めて「降りろ」と怒鳴った。

私は「せっかく準備して出てきたのだから降りません」と頑張った。

そのまま気まずい空気が流れていたが、森林公園の中を歩いているうちに二人の緊張感は和らいだ。

それで、夫の友人の入院している西神中央まで行って、一緒に仲良く?中華料理を食べたことまで書いた。

夫が激怒したのは、私が昔のことを繰り返し言うからである。

しかし、昔の嫌な思い出が蘇れば、ほかに言う人がいないから夫に言うことになる。

夫も、自分の妹の嫌な性格のことはわかっているが、言われるのは嫌なのである。

私にも、自分の身内のことを言われて嫌なのはよくわかる。

が、私は、それを自分の心にしまいきれない。

もの言わざれば腹膨るる、である。

私は夫が聞いてくれて、私の気持ちを受け止めてくれれば、それで気が済むのである。

夫は、私が繰り返し言うと激怒したが、私も思い出さなければ言わない。

しかし、夫の身内のことだから、つい何かのはずみに話題になって、思い出してしまう。

思い出せば、過去の理不尽な出来事のあれこれを言いたくなる。

夫の身内の、嫁の立場の私に対する無神経な行為および言葉が原因なのだから。

夫は「過去のことを言うな」と言う。

私は「過去のことが現在に繋がっている。だから言う」と応える。

「現在に繋がっているだけじゃなく未来にも繋がっている」と付け加えることも忘れない。

こんなことは言わないほうがいいことは私も十分わかっている。

が、言わないと気が狂いそうになる。

私は、恩も忘れないが、恨みも忘れない、

夫は「だから別居するのだ」と言う。

そして、「またこれもブログに書くんやろうな」とも言った。

私は、夫が私の気持ちを受け止めて理解してくれたら、それで満足だから、
そうしてくれたら、たぶんブログには書かないと思う。

しかし、逆に怒鳴られたりしたら、ブログに書くしか発散の術はない。

沈黙して裡に籠れば、難聴で外で発散できない私は鬱になってしまうから。

私は、いつも書いている通り、ブログに書いて自分の気持ちの均衡を保っている。

夫が理解してくれて、怒鳴ったりしなければ、ブログに書く必要性はなくなる。

*

★昨朝は自分を慰めやれと書き今朝は書かねば気が済まぬと書く

★繰り返し言ふ愚かさを愚痴といふしかし愚痴でも繰り返し言ふ

★繰り返し聞かされるのが苦痛とてわれを怒鳴るなその兄なれば

★連れ合ひの身内であると我慢してこし私を労はれぬのか

★他人なら殺してやりたきほど憎き人が義妹と知れその兄は

★難聴のわれをののしり貶めし人は赦さじ義妹といへど

★子育ての間は我慢してこしが子育て終はれば我慢も終はる