かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

人生悪いことばかりでもない

2018-11-19 18:21:08 | ブログ記事
このところ過去の辛かったことばかり書いていますが、

しかし、実際は悪いことばかりでもありませんでした。

義母には泣かされましたが、
義父のお姉さんたちは、どういうわけか私にすごくよくしてくれました。

義父のお姉さん達によると、義父のお母さんも嫁であった義母には泣かされたそうです。

義母が嫁だったころに、その義母を泣かすとは、と私は驚きましたが、

そのころ既に未亡人になっていた義父のお母さんが
その長男であった義父の家に大きな荷物をもって泊りがけで行っても、
すぐに帰ってきていたことなど義伯母さんは話してくれたものでした。

なお、義父のすぐ上のお姉さんは義父の田舎の実家にそのお母さんと一緒に暮らしていました。

で、
どうしてそんなにすぐ帰ってきたかと義伯母さんがお母さんに訪ねても決して話さなかったと。

よっぽど居心地がよくなかったと思うとその義伯母さんは話していました。

学歴もよかったし、美人でもあったから、義母には怖いものなしだったのでしょう。

そんな過去があったから、義伯母さん達は私をかわいがってくれたのだと思います。

そのことを考えると、

現在、私の二人の息子のお嫁さん達は、二人とも、とてもいい人たちです。

長男のお嫁さんは「お母さん、いつでも話しに来てくださいね」と優しく言ってくれますし、
次男のお嫁さんは、一人っ子なので、はっきりした性格ですが、
「私は四人の親の世話をしないといけない」と私たちに言ってくれています。

というのが、長男のところの孫は障碍児だからです。

次男のお嫁さんは、その障碍児の孫にも温かく接してくれます。

病院の薬剤師をしていますから、障碍を持った人に対する思いやりがあるのでしょう。

今年亡くなった私の母にも温かく接してくれましたから、
私の母はいっぺんでこのお嫁さんのことが好きになりました。

母の亡くなる前に
次男のこのお嫁さんに会わせてあげることができたのはいい親孝行になりました。

次男の子は直接会わせてあげることはできませんでしたが、
写真を見せてあげられたのは、ぎりぎりセーフのの親孝行になったでしょうか。

母は最期まで障碍のある長男の子のことを心配しながら亡くなりましたが、
しかし、
この長男の子は非常に愛らしい女の子なので、母はこの子のことが大好きでした。

*

★わたくしのたつた一人の女孫(めまご)なる孫を心配しながら死にき

★身内ゆゑその曾祖母の曾孫への心配それは愛しさになり

★曾祖母は空から曾孫ながむらむ一番愛しき色白少女

★嫁なりしころは泣かされきたりしが今嫁たちに喜ばされて

ネットで北朝鮮帰国運動を読めば

2018-11-19 11:42:15 | ブログ記事
私は、まだましだったと思える。

あの人たちは、地上の楽園という触れ込みに騙されて北朝鮮に帰国した、あるいは行った人たちだ。

事実は、まったく別物であったということは、
北朝鮮の土地を踏む前に、船からでも確認できたと言われている。

船から見た北朝鮮の人たちの身なりがみすぼらしいことに気づいて、騙されたと気づいたと。

が、もう逃れられなかったらしい。

まあ、もともと朝鮮から日本に来られていた人たちは故郷に帰ったことになったのでしょうが、

朝鮮の人と結婚して、帰国事業に乗せられて北朝鮮に行った人たちはお気の毒でした。

その子供たちも・・・。

私は拉致されて、いまだ北朝鮮にとらわれている人たちに同情していますが、
しかし、
こういうふうに、帰国運動に騙されて北朝鮮に渡った人たちも同じように気の毒です。

あまりにも苦しい生活で、文句を言う暇もなかったというのですから、
平和な日本に住んでいる私たちには想像もつかない世界なのでしょう。


私も、結婚して本当に信じられないくらい理不尽な出来事がありましたが、

しかし、

北朝鮮に拉致された人たち、帰国事業で北朝鮮に行った人たちのことを思えば、まだましです。

ええ、比べるのも比べ物にならないくらい、その人たちが悲惨であったことはよくわかっています。

が、私も、結婚前は、比較的実家で大事にされていたから、人を疑うこともあまりありませんでした。

それが結婚したとたん、その家の最下層に置かれたのですから、その辛さは尋常ではありませんでした。

踏まれて踏まれてという感じでした。

それでも子供たちの成長が楽しみで我慢しました。

子供たちも独立した現在、もう人並みに心穏やかに過ごしたいと思います。

北朝鮮で現在、地獄の中にいられる人たちにも、
なんとか平穏な生活が送れるように、遠くから祈らせていただきたく思いました。

神様は決して見捨てられることはないと思います。


逆に、現在、その地位を利用して、好き放題している人たちには天罰があると、これも信じています。

此の世ではなくても、彼の世で、此の世以上の天罰が下されるかもしれません。

夜中に思い詰めて書いたのですが

2018-11-19 05:58:06 | ブログ記事
下の記事は、けさ読み返すと恥ずかしいです。

が、コメントくださった方もいたから、おいておきますね。

あの醜い記事を書いたのも、まぎれもなく私ですから。

昔よく日記に自分が表れると言われていましたが、
ブログも日記のようなものですから、
そういう意味では自分を知ることに役立つともいえるでしょう。

きれいごとを書こうと思っていても、表れてくるのは自分の心の本当の姿です。

しかし、書きながら、だんだん自分を磨いていくことは、あるいはできるかもしれません。

と期待もしているのですが・・・。

*

さらに言えば、ああいう目に私が遭わなければならなかったということは、
私にそういう宿命があったのかもしれません。

この運命を受け入れない限り、その宿命は終わらないということなのでしょうね。

人は皆、それぞれ宿命を背負って生まれてきていますから。