かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

ブログ活動が面白くなくなるのは

2018-11-22 20:46:08 | ブログ記事
読者が自分の物差しでもって批判を始めたときですね。

これは書き手の側からすると不愉快なだけではなく、

そのブログの個性を殺すことにもなります。

自分の主義主張があるのなら、
それぞれ自分のブログでそれをなさったらいいのであって、

他人のブログを自分の色に染め直そうとすることは犯罪でもあります。

日本語には、こういうときのために、

「大きなお世話」という言葉があります。

よかれと思ってしても、

全然、その人のためにはなっていなくて、むしろ迷惑になる行為をさしていう言葉です。

ブログでも、これをする人がいますね。

これをやってしまうのは、自分が絶対正しいと思い込んでいる人です。

誰でも自分のことは正しいと思っています。

だから、「自分の正しい」を他人に押し付けてはいけません。

ことにブログなんて媒体は、その個性が百花繚乱に花咲く場所ですから特に。

常識にとらわれたブログばかりになると、ブログ世界は硬直してしまいます。

そういうわけで、何よりしてはいけない行為が、

人のブログへの干渉です。

鑑賞はしてもいいです。

鑑賞はしてもいいけれど、干渉はしてはいけません。


何人かの方にコメントいただきました

2018-11-22 18:38:58 | ブログ記事
それぞれ私のことを思ってくださる有難いコメントでした。

私の記事の書き方に疑義を呈されるかたもいらっしゃいましたが、

しかし、ここは私のブログです。

その方の考え方は考え方として承らせていただきましたが、

今後とも書くとすれば、やはり同じ書き方になると思います。

私は、「文は人なり」という考えをもっていますので、

他の方の文章を読ませていただいていて、

自分とは違う書き方をされていても、それはその人だという受け止め方をいたします。

だから人間は面白いのだと思うところもありますから。

私は皆が皆常識的な人ばかりでは面白くないと思っています。

ブログの面白さは、そういうところにもあるのではないかとさえ思っています。

ですから、読みたくないブログは読まなければいいですし、

自分と違う意見をもっている人のブログでも、面白いと思えば読めばいいと思います。

とにかく一番してはいけないことは、
自分の物差しでもって人のやり方を非難することだと私は思っています。

私が、私の友人とのことを書く書き方にしても、

これは、私の友人に対する思いから書いているのであって、
それ以上でもそれ以下でもありません。

そのやり方が、その人の常識に照らし合わせてどうであっても、
私は私のやり方で書きます。

この私のやり方は私なりの友人への愛情です。

他の人に、どういうふうに見えようとも・・・。

たとえば、昨年亡くした友人にも、そのような感情をもっています。

私たちは、二人ながら、特異な感性をもっていましたから、
そこが私たちの結びつきの要でした。

これを常識という物差しで測られたら私たちではなくなってしまいます。

こういう私の考え方に同調できない人は、読みにこないでくださいませ。

よろしくお願いいたします。

ブログ書くのも年貢の納め時と思わないでもない

2018-11-22 16:48:05 | ブログ記事
私が書くのを止めたら、まず夫がホッとすると思う。

その他の家族も?

書くことが好きだから書いているけれども、私の書くことなど、つまらない?

痛烈な批判を寄こされる人もいることだし、

やめたほうが身の為かな?

そう思うときもある。

弱気になると、生きていることもしんどくなる。

それを書くと、また批判される。

だけど、死にたいと思うことは事実なのだから、

いくら説教されても、死にたいという感情が消えるわけではない。

耳が聞こえないことは全世界から拒絶されたように思えるときもある。

大事なことが聞こえないことがどれだけ辛いことであるかは
聞こえない者にしかわからないだろう。

聞こえないことだけで人から差別されたりした日には殊に。

この辛さを跳ね返そうと頑張りすぎることもある。

が、頑張りすぎると、余計あとが苦しい。

早く亡くなった母のもとに行きたい。

ふたたび”るち”さんに

2018-11-22 11:06:54 | ブログ記事
一昨日いただいたコメントに衝撃を受けた私は
一昨夜は一睡もできませんでした。

が、昨日、滋賀県の素晴らしい紅葉を見せてもらって、心が洗われました。

それで、もう一度、あなたに書きます。

それほど私のブログがお気に召さないようでしたら、

今後いっさい読みに来られないでください。

このブログは、私の備忘録であり、日記です。

だから、うれしいことも悲しいことも書きます。

ときには自慢話も・・・。

写真も載せます。

その写真に難癖をつけ、

書いた文章に難癖をつけ、

あなたは何が楽しくて、こんなに人を侮辱するのですか?

あなたは自分がされて、どういう思いになるかという想像力は働かないのですか?

顔の見えないことをいいことに、人を苦しめて、それで許されると思っているのですか?

が、神様は、すべてをお見通しです。

あなたのしたことは神様の記録に残ってしまいます。

神様とは、あなた自身のことかもしれません。

いくらいい気味と思っていても、あなたの良心は、そうは思っていません。

私は、そんなあなたを気の毒に思います。

自分のしたことは、自分が一番覚えています。

今後、あなたは、そのご自分のしたことに苛まされるようになるでしょう。

それを私は気の毒に思うのです。

私にしたことの罪を消したく思われたら、

他の方のブログに行かれて、その方を力づけるようなコメントをしてあげてきてください。

そうすれば、あなたの罪は消されると思います。

私は、あなたが、それができる人ということを信じています。

おまけ・・・教林坊、永源寺

2018-11-22 06:51:19 | ブログ記事


朝、滋賀県在住の読者のハイジさんからメールをいただいていたが、
このあと行った教林坊への道中にハイジさんのお住まいの彦根があることは、
このときまで知らなかった。

★あちこちにしまむらのある滋賀県の道を紅葉を見るためにゆく

★午後三時ブログ読者の住む彦根多賀の大社の看板を見る

★愛知川を過ぎて能登川過ぎてゆくバスは紅葉の教林寺へと

★彦根すぎ日短か霜月午後四時に近づき地上の明るさ減ず

★彦根よりしばらく揺られこしここは教林寺とふ石寺なりき


この教林寺は安土町にあり、
安土町は私の長男の住む近江八幡市なので、長男の家からは近かったことになる。

が、事前に教林寺がどこにあるのか調べずに参加したので、現地で初めて知った次第。

★教林寺地名を見れば安土町この安土町は近江八幡



素晴らしいお庭であった。


たくさん撮影したかったが、ここでスマホが電池切れの警告を出し始めた。

それで、この撮影で教林寺の写真撮影は最後にした。


写真を写さないと手持無沙汰で、集合時間より30分以上早く集合場所に。

待ち時間を利用して歌を即詠した。

★建物の少なきゆゑに大空の広ごる近江八幡の街

★神様のいませるやうな大空の近江八幡わが子の住める

★鼠色ひろごる空の果たてには薄桃色の空が残れり

★午後五時の暗くなりゆく山の辺を走る新幹線の車体は白し

★桃色の空の残れる安土町あとにしてゆく永源寺町



このあと、東近江市の永源寺の紅葉ライトアップを見に行ったが、
スマホの警告を無視して山門を撮影すると、スマホ画面は真っ黒になってしまった。

★午後五時を過ぎたる寺のもみぢ葉はライトアップをされて晒さる

★紅葉見るツアーについでのやうにある夜のライトアップの紅葉はぢらふ

★午後六時過ぎて真闇となりてまだ鑑賞さるるライトアップで

★血の色にもみづる紅葉見るためにバスで運ばれ歩く寺道

★真夜照らすフットライトが眩しくて真直ぐに歩けぬわたくしの足

★目は見えず耳は聞こえず心臓の悪きわたしに夜の永源寺

★昼にまた見てみたかりし永源寺夜の紅葉を見て帰りたり

あいがたき法(のり)におうみ(あふみ)の永源寺願うはのちの世継ぎ観音 
ご本尊 世継ぎ観音ご詠歌



★紅葉の名所は寺で鶏足寺、教林寺はた永源寺はも

★先週の帰途にまみえし鷲林寺また寺なるを思ひだしをり

★最澄が弘法大師が紅葉に浮かび見えたり紅葉寺の

名神高速は帰途も渋滞で、川西能勢口駅に着いたのは午後8時を過ぎていた。