★スパイラルスペース ひなたぼっこ★ ・ ・~あったかい学びの部屋~

 私、かんちゃんが日常生活に隠れている大切な宝物を探します。幸せになれる考え方、過ごし方を一緒に見つけましょ。

突発性難聴発症の時の自分の状態

2010-12-20 12:03:05 | 難聴・めまいとの激闘日誌
突発性難聴が発症してからもう二年になります 
左耳はあいかわらず聞こえにくいです 

二年前のことですが、自分が難聴を発症したときの状態、はっきり覚えているんです 

母の人形展がこちら(大阪)で開かれたときです。
事前の準備、人集めなどで気を使い、
数日の展示会の間、主人の実家にもずいぶん知り合いに声をかけてもらっていたこともあり、
母の若い頃のお友達などもたくさん来てくれる中で気を張り通し
展示会の数日間で数百人にご挨拶したと思います。
自分の直接ではない間接的な知り合いに。
疲れ切って展示会は無事終了 
その時に追い討ちをかけるように
 三月に私の自宅で人形を展示しながら食事をするおひな祭り会をしよう
という話が持ち上がりました。
断るに断れず、気が変になりそうなほどの負担を感じたことを覚えています 

その直後から極度に心が閉じた状態になりました 


気を張って大勢の人に酔ったその反動と
今度は我が家でおもてなししないといけないプレッシャーからの自己防衛だったんだと思います。
外に出て人と会うのもしんどい 
人と会話するのが恐い 
立派な対人恐怖症だったと思います。

そんな極度に心が閉じた状態のとき、左耳がふさがって聞こえにくくなりました。
それまでも風邪で耳が聞こえづらいことはよくあったので、
今回もまた風邪だわ、と思って放っておくと
なかなかなおりません。
病院にいくと、風邪が原因ではないとのこと。
そこで「突発性難聴」と言われました。


極度に心が閉じたとき、
人の声を聞きたくない、何か言われるのを聞きたくない、
そんな状態でした。
そんな時、耳を閉ざしてしまった…

それを考えると、心が完全にオープンにならないと耳は治らないような気がします 
疲れてくるとひどくなるのは
やっぱり力が入ってくるんだと思います 

力を抜いて、血行よく、オープンマインドで。

これが私の課題だと思っています。

あくまでも難聴になったのは自分のせいです。
気を張れと言われたわけでもないのに勝手に気を張ったのは私。
負担なら断ればよかったのに、断れなかったのは私。
人形展を開いた母のせいでもなければ、おひな祭り会を企画した人のせいでもありません。
私がもっと力を抜いて、気軽に受け止められれば、難聴にはならなかったと思います。


おばあちゃん

2010-12-20 10:50:30 | かんちゃんの今日
しばらくご無沙汰してしまいました 
「最近、ブログが更新されていないけどどうしたの?」
ってメールを下さった方もいました 
ご心配いただいた方々、すみません 
ありがとうございます


長年入院中の母方の祖母の具合がどんどん悪化しています
で、母が祖母に会いに金沢から出てきました 
十日ほどこちらに滞在していました。

祖母の状態は…
痛みが強いようで、目が覚めると痛い痛いと大きな声で叫ぶので、
痛みを感じないように、意識をもうろうとさせる注射を打って、一日寝ています。


毎日顔を見に行くのですが 
母が行っても、わかっているのかいないのか…

そんな祖母の顔を毎日見に行くのも母には苦痛なようで。
「病院に行っても何をしてあげられるわけでもなく何しに行ってるんやろうとか、もっと元気なときにして上げられることがあったんじゃないかとか、自分を責めてしまう。」
と母が言いました。

母は今まで、できる範囲で精一杯のことを祖母にしてきたと私は思っていたので
 私:「おばあちゃんが元気なときも精一杯のことしたと思うでしょ?」
 母:「まあ、自分にできる限りのことはしたつもりだけど。」
 私:「だったらそれでいいんじゃない。おばあちゃんがずっと眠ってる状態になってから病院に行ってるのはみんな自己満足なんだから。自己満足でおばあちゃんの様子が変わってないかどうか見に行ってるっていうのでいいんじゃない。」
 母:「なるほど。そういう考え方もあるんやね。」

そんな会話をしました。
いつどうなるかわからない…
そんな思いで喪服も持って、こちらにやってきた母。
こちらでも母は叔父たちと祖母のお葬式をどんな風にしたらいいかの話をし、
きっと心は重たかったと思います 


今回、祖母の昔の話とか、たっくさん母から聞きました 
若い頃、自分を犠牲にしていろんな人のためだけに必死に一生懸命生きてきた祖母の話。
ちょっと前、祖母がまだ話せる状態だったとき
私がお見舞いに行くたびに
「○○ちゃん(私の名前)、いつも悪いなぁ。病人一人(義母のこと)抱えて大変なのによぉ。おおきに。」
と言ってくれるのがちょっと不思議だったんです 
年をとってからわがままや無理を言う祖母しか見ていなかったので、
祖母自身しんどくてフウフウ言ってるのに
私の義母の状態を気にして聞いてくれたり、
私にねぎらいと感謝の言葉をかけてくれるのが…
私の祖母のイメージとは一致しなかったんです。
母の話を聞くと祖母は若い頃、寝たきりのおじいちゃんを亡くなるまでずっと自宅でお世話したそうなんです。
いろんな人のお世話をしてきた祖母だからかけてもらえたねぎらいと感謝の言葉だったんですね。


祖母の状態は悪いながらも急変することはなく、母は昨日帰っていきました