渡邊武著わかりやすい漢方薬 第1章 漢方薬はなぜ効くか
4.クスリとして害はないか
漢方二千年の歴史の重さ
漢方は中国の漢時代に完成された医術、医道です。
「傷寒論」や「金匱要略」はその原典といわれていますが、そもそもの始まりはそれから遡って二千年も前から炎帝神農によって『神農本草経』という医薬の道が開かれ、約千年前には黄帝がそれを引き継いで、『黄帝内経素問霊枢経』を編纂して医学の根本的な基礎をつくり上げたといわれています。
二千年前というと、日本は太古の縄文式文化後期で、裸で穴ぐら生活をしていた時代です。
卑弥呼が生きていた時代が西暦二三九年ころですから、中国の文化や技術が大変に進んでいたことがわかります。
草根木皮を食べたり、飲んで味わい、人体実験でその作用を収録して、漢方薬の元を作ったのですから驚くべきことです。
神農さんは中国では農業と医薬の神様、木の葉の着物を着てツノがある空想の世界の神様です。
この中国の医術が歴史を経て唐時代に至って、やっと海を渡って日本に入ってきたものです。
奈良の正倉院宝庫といえば、光明皇后と孝謙天皇が大仏殿に薬物を奉献して、病人の救済にあたり(七五六年)、以来、千二百年もの間その扉は固く閉ざされてきた建物です。
昭和二十三年にその宝庫の中の薬物の科学調査が朝比奈泰彦博士らに委嘱されて、初めてその薬物は科学の日の目を見たのです。
私も科学調査に参画しましたが、麝香など四十種の薬物は原型に近い形で残されていて、当時の唐とわが国との医薬の交流を知る意味で貴重な資料を提供してくれたのです。
唐時代に薬物書の唐本草『新修本草』が生まれて、七十二年後にはその書写したものと実物の漢薬が、日本に伝えられているのです。
仏教と同じ位、医薬は貴重な伝来物であったといえます。
現在、中国では約数千年前から始まった漢方医学の発生の研究が盛んに行われています。
漢方のそもそもの始まりは、宗教でいう祈禱とか邪気を払うとか、まじないから始まったといわれています。
その時代は気の病を払うためにいぶり出したり、あるいはとりつかれたのだから、背から発散するか、口から出すか、大小便で外に出します。
それから熱があるから冷やす、冷えているから温めるという風に、だんだんに中和する方向に発展してきました。
病は色に出て、形に現われてくるもの。
発汗しなければならないときは青くなってくるし、吐かなければならないときは赤くなってきます。
熱い場合は白くなるし、冷えた場合は黒くなってくるとされ、それが東西南北の四方からやってくるのだとされました。
相撲の土俵の四方を青房下とか赤房下という語源は、この東西南北の四方の守り神(四神)の思想を伝えてつけられた言葉です。
漢方薬には
熱のあるものには白虎(石膏)、
冷たくなったら玄武(附子)、
汗を出すには青竜(麻黄)、
吐き下すには朱雀(芫花)
とう薬物から、漢時代に酸(青)・苦(赤い)・甘(黄)・辛(白)・鹹(黒)の発汗・吐下・中和の治療原則の原理ができたのです。薬の種類も三百六十五種から、後漢のころには七百五十種にひろがって行きました。
たとえば、胡椒といえば、現在は料理には欠くべからざる代表的なスパイスですが、その昔は貴重な薬物だったのです。
胡椒は南方諸島にしか分布しない植物なのに、シルクロードを通ってか、南方諸島から直接か、唐の国にはちゃんと入っているのです。
その当時、南方諸島に行くのは、現在の南極探検よりむずかしかったのに違いありません。
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