育鵬社 日本はなぜアジアの国々から愛されるのか
一般社団法人アジア支援機構代表理事 池間哲郎
を読みました。
西部邁先生がWiLL・2013・9月号に
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「日本がなしたとりわけ太平洋方面における戦争には、価値認識の次元で、「正義・思慮・勇気・節制」といういわゆる徳義において、悖(もと)るところも少なくなかったとはいえ、誇るところが多かったと明確に公言しないため、それに乗じて朴槿惠やオバマや習近平が「従軍慰安婦強制連行」などという一片の証明もない作り話の歴史認識で、日本に反省を迫ってやむことがないのです。・・・・・
と書かれています。
「正義・思慮・勇気・節制」を身にしみて感じたアジアの国々これからも、道徳心を高めアジア中東その他の国々と交流を深めてゆきたいものです。
『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』
第1部 アジアの人たちが教えてくれた本当の日本
「イタリアよ、恥を知れ!」
第1章「なんでアジアの人たちが日本を恨んでいるなんて思うんですか?」―カンボジア
第2章「日本はただ一人、白人たちに戦いを挑んだ」―スリランカ
日本が戦争に負けた1945年以前のアジアは、ほぼすべての国(タイを除く)が白人国家の植民地であり、民衆は白き人々に残虐に支配され搾取されていた。p50
(このことはよく覚えておくべきことです、朝鮮を統治した(白人国家は搾取する物がないので日本に押し付けた)日本のおかげで今の朝鮮があるのです。)
第3章「それでも日本を愛しています」―パラオ
産経新聞平成25年8月14日
「日本人みんな親切だった」
統治時代を知るサイパン男性
「サイパンでは日本人と(現地の)チャモロ人は仲良く暮らしていた」サイパンで生まれ、市議会議長も努めたヴィセンテ・カマチョさん(84)は、流暢(りゅうちょう)な日本語でかつての日本統治時代を振り返った。
サイパンの中心街ガラパンには、日本の商店が立ち並び、にぎわっていた。「多くの日本人が暮らしていたけれど、みんな親切だった」。
カマチョさんは小学校に入学すると、当時の現地の子供がみなそうだったように日本語を学び、日本人の友達とよく遊んだ。
やがて島でも戦が始まり、家族とともに郊外に避難した。
米軍の雨のような砲撃に生きた心地がしなかった。
「何もかもなくなってしまった。戦争は本当に怖い」
戦後、島から日本人はいなくなったが、今も「日の丸の旗」の唱歌を歌える。
「スギヤマ先生、ミヤオ先生、スガヌマ先生・・・」と当時の先生との思い出も尽きない。
特に「嘘をついてはいけない」という教えが強くのこっているという。
カマチョさんは言う。
「日本人は勤勉で実直だった。だからこそ、日本の先生に教えてもらったことは忘れられない」。
とあります。
日本パラオ友好の橋
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1977年に韓国建設(SOCIO)が作った橋が完成直後から中央部が凹み、崩落の可能性が高かった。
そして1996年9月26日に、橋は真っ二つに折れて崩壊した。
補償を求めようにも、韓国企業はすでに解散している。
1997年日本の無償援助で鹿島建設が請け負い、低品質コンクリートを使用した韓国製の旧橋の残存土台など一切使わず工事が始まる。
2002年完成。
第4章「自分の子供たちは、必ず日本へ留学させる」―ミャンマー
第5章「日本人のように頑張れば、必ず豊かになれると信じている」―ネパール
第6章「オッチャン、学校を造ってくれてありがとう」―ラオス
第2部 日本人はなぜアジアの国々から愛されるのか
第7章「アジアの人たちから尊敬される日本」
<日本人が知らない日本の偉人 ①>
第8章「なぜ日本人は『アジアから嫌われている』と思うのか?」
日本はアジアを侵略した「白人国家」と戦った
世界で初めて「すべての人間は平等である」と宣言した日本
<日本人が知らない日本の偉人 ②>
第9章「日本人って何ですか?」
第10章仁義ある戦い―東日本大震災と自衛隊
台湾の善意と中国、韓国の振る舞い
<日本人が知らない日本の偉人>
塙保己一と中村久子―へレン・ケラーを支えた日本人
第11章日本国民のために―天皇
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世界を驚かせた昭和天皇の巡幸
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天皇皇后両陛下が沖縄に来てくれた!
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中高生のだけでなく日教組に洗脳された方たちもお読み下さい。
この大東亜戦争は百年戦争であったという、藤原正彦先生、西部邁先生。
藤原先生はペリー来航の1853年からサンフランシスコ講和条約が発効する1952年までの百年を「百年戦争」としてとらえないと歴史の真実は見えてこないと私は考えています。としています。
そしてマッカーサーは日本軍が共産勢力の南下を防いでいたことを朝鮮戦争の頃にやっと気付きました。
正論2011・7月号東京裁判史観を突き破れ・藤原正彦