うさぎとかえるの里

鳥獣戯画をこよなく愛する自分の日本文化や日常に関する想いをつづります。

エッセイ。

2016-12-27 22:44:35 | 読書


昨日はK君が星になって百日目。

この頃には季節も変わって悲しみから立ち直る時…とあるけれど、そんな風にはならなくてまだずっとK君のことばかり考えています。

この「悲しみの秘義」は、友人からのクリスマスプレゼントで、さっそく読みました。



昨日、スタバで読んでいたのだけど、読んでいたら涙が出て来てしまって慌てて帰りました(>_<)

悲しいとか、淋しいとか、そういうのを乗り越えなくていいよね。

まわりの人は、わたしを励まそうと、元気づけようと、今までのことを忘れて第二の人生楽しまなきゃ!とか、今まで頑張った分幸せになって欲しい!とか言ってくれるけど

そんな風にはあまり考えられなくて

今までのK君との生活があるから今のわたしがあるわけだから

やっぱりK君と出会って結婚して一緒に闘病して喜んだり悲しんだりして、そういう数年間があってよかった

だからK君は過去のひとになんて絶対にならないし

毎日思い出してK君を近くに感じたりしている

ただ会話したり触ったりできないだけで

K君がいなくなってからいろんなことを考えたり、いろんな言葉や詩に共感することが前より増えた気がする

冲方丁さんの小説
清少納言が定子の栄華とその後の一族の没落を回顧する「はなとゆめ」では、花は枯れてしまうから咲き誇った姿など知らない方がよかった、と比喩表現ででてくるけど

わたしもやっぱりどんなに淋しくて思い出すのが悲しくても、K君との楽しい思い出や結婚生活は経験しないほうがよかった、とは思えないから。

言葉って、文字ってすごいな、と今さらまた気づかされた。

心に寄り添ってくれる。

「悲しみの秘義」を読んでわたしの中でまた世界がすこし変わった。

K君は、一緒にいるときも、そしていまも私に絶えず新しい何かを与え続けてくれている。

ありがとう。
コメント
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