先月末に宮沢賢治の詩集を買いました。
高校時代に国語の教科書に載っていた「永訣の朝」という詩がずーっと忘れられなくて、およそ20年(!?)たって読み返してみたくなったのです。
「永訣の朝」は賢治が病で亡くなる妹トシのことを書いた詩です。
高校時代、あの頃のわたしに、何がそんなに印象に残ったのか…
表現がすごく峻烈だったのかな。
今、改めて読んで泣けました。
やっぱりそれはK君の最期を見届けたからだと思います。
いつがK君との「最期の日」になるか分からなくて、毎日怖くて仕方がなかったあの頃。
夜中に何度も呼吸しているか確かめていたあの頃。
K君の最期の「食べもの」は、くちびるを湿らす程度の冷たい葡萄ジュースでした。
そんなことを思い出しながら何度も読み返してしまいました。
そんなわけないかもしれないけど
過去のわたしを振り返ってみると
こうなるべくしてこうなったのかな、とK君と一緒になったのも納得できる気がします。
だからK君もわたしと出会ってよかったね、と今さらながらに言いたいな…なんて。
やっぱり毎日毎日K君のことを考えてしまいます。