まだまだThe Mandarinについては書き足りない。僕の子供達は幼稚園前から中学生になるまで香港に通っていたことになる。
マンダリンホテル
子供は、あまり旅行やホテルのことなんて覚えていない。ビクトリアパークで蝉を採ったのが面白かったとかいう。ほう。そうか。なかなかイライラさせるなあ。
香港まで行って蝉取りの想い出か。警固公園で出来たじゃないか。1匹50万の蝉になるぞ。
とか思っちゃあいけない。義務だとか言うからやむなく学校に行かせているが、僕の子は行けば行くほど薄汚く笑わない子になっていった。人になじまなくていいじゃないか。おおぜいと遊ぶのが嫌いな子もいる。意地悪な貧乏人と机を並べたくない。・・・これは僕と子供と一致した感情だった。
僕が最高の教養を仕込んでやるから、いやなときは学校なんか行くな。行きたくないときに学校に行ったら病気になる。
何よりも僕の子は可愛かった。いまだにうちの子より可愛い子を見たことがない。そして人生で一番楽しかったことは子育てだ。貧乏を理由にわが子を保育園に毎日捨て子する親がいるが、決してろくな子にはならない。
社会性はバカにまみれることで形成されるのではなく、まみれないことでつくのだ。
正義感が強くイケメンで、まるで僕を30年若くしたような好青年になった。
Mandarinがあるチュンワンから二階建て電車でコーズウェイベイあたりにつく。ヨットクラブがある。返還前だったので場違いな支那人がいなく空気が良かった。
ここは残念ながらクラブであるから家が2,3軒建つような会費が必要だが、日本で船に乗っているというと入り口のシーク教徒はだめだといったが奥のレストランにいたBritishが手招きした。
貴族というものは僕らの想像を絶するほど勉強をしている。日本のチンピラコガネモチが資本家になったつもりで自民党の政策をわがことのように唱えるのは極貧の幼少期の裏返しだ。
絵の話になった。日本ではその絵のすばらしさについて薀蓄を語るのが通例だ。ここのBritishというかしたたかなアングロサクソンは、「さあ、あったかなあ」といった。
しかし一枚二枚の絵についてはがたがた言わないがユトリロ、マチス・・・についての全体的把握については際限なく話した。が、聞き手がついて来てないとか興味をなくしていると見るとさっと止めた。僕が一番楽しかったのは、このために香港に行っていいと思うことである。それはBritishの上流階級は決して相手がいい終わるまで話を始めないということ。これはじつにさわやかだった。
グッズを買っていい気分で帰った。