か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

柳川 夜明け茶屋 お雛様 さげもん flying baby 

2020年02月22日 | 旅行

柳川はその昔、柳河と書いていて小学校の名前にもこの「河」の字が残っている。柳河小学校。

このあたり、広く言えば柳川だが沖の端(おきのはた)と柳河に分かれる。

 

柳河

高度経済成長のころ、柳河はひじょうに栄えその時沖の端はただの寒村にすぎなかった。もしも太っ腹の賢い有力者が柳河にいたら今日ほど寂れることはなかった。5件の映画館、都市銀行の支店、500mのmain streetには400軒の商店が並びすべてそろった。人があふれまっすぐ歩くことは困難なほどだった。

やがて、他の町とおなじく自営業者たちは、地域ボスの意向に逆らうことなく思考停止し目先の利益にしがみつきだんだん地盤沈下し商店街は消えた。衰退の原因は、中央資本のポチ=自民党が能率だけを論拠に地方文化破壊をしたからだ。

ところが、一番の被害者=商店主たちは、己を鞭打つご主人様をあがめやがて食いっぱぐれる。定番の自業自得。

 

沖の端

一方で、沖の端は元気だ。今や柳川の中心といってよい。新しい発想で町おこしをし、有史以来の活況を呈している。

自民党による地方切り捨て政策のなか、地方が息を吹き返すことは極めて難しい。

そんな中、創意工夫と伝統という背反するような命題に果敢にチャレンジし成功してきた食堂がある。創業明治22年。まだ西南の役のほとぼりが冷めぬころ夜明け茶屋は産声を上げた。

人は本能的に食っているところを他人から見られるのは嫌だ。小学校の先生は楽しい給食と簡単に言うが、人間の顎関節は話しながら食うようにはできていない。のどに詰まる。

ちょっと、ひそかに、路地の奥にある定食屋。何の変哲もないテーブルとイス。静かに演歌が流れる。何事かうまくいかなかった男がうらぶれて刺身をつまむ。顔見知りの女給がそっとビールを注いでくれる。…そのイメージ通りの店内。

このちょっと入り込んだ感満載の食堂内。

まずは一日目、夜明け定食

舌平目は靴底に似ている。この地方では「くっぞこ」と発音する。江戸時代以来人の移動が少なく閉鎖的な社会であったこの地方には、文字では表せない発音の単語が多く残る。[n]と[ng]音の違いとか、文法でいえば劣等比較、「おろよか」less good など。言語学の人。ちゃんとした体系的な研究論文はまだないので学位論文が書けるよ。

 

くっぞこという高級魚を家庭の味付けでいただける。コリコリした分厚い刺身。毒舌のからけんが自信を持って薦める。食は美にあらず、素材と味付けにある。当たり前だ。

料理の名前は店がつけたものではなく一般の家庭料理での呼称である。

 

この地方の用言の活用

下二段活用が普段の会話にあふれる。時が止まっている。300年ほど。

ね+ん(寝ぬの音便)=寝ない ね=寝ます ぬ=寝る ぬっ(ぬるの音便)+とき=寝る+とき ぬれ+ど=寝ても ね=寝ろ

ね、ね、ぬ、ぬる、ぬれ、ねよ、の下二段 いやな古文の時間を思い出すようなことはここまで。体言についても多くの古語がここの方言には残っている。

 

次の日は海鮮丼。丼が深く腹いっぱいになった。なかなか豪華だ。定食も海鮮丼も1200円ぐらい。ぼくが行くところだから値段は心配ない。ぼくがいままで食った海鮮丼の中で最も新鮮な海鮮丼。

 

お店の中にも「さげもん」があった」。

お店の裏に回ると北島家がある。一般開放されている。無料。そこのおひなさまはすごい。1000体ぐらいある。昔のほうが豊かだったようだ。お武家様でも豪商でもない。普通の庶民のうちだが、そこの子供は幸せだったろう。ここも穏やかな空気だ。

絶対、わが子を殺すなんてこと、あり得ない。聞いただけでも心が砂漠になる。今の時代が子供は不幸だ。

入り口

これはさげもんに登場する、Flying Baby。

説明は明日。お雛様が好きな人、乞うご期待。

 



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