か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

ウソはしきりと絶叫する 100

2023年02月20日 | 韓国
<前回のつづき> (毎月20日発行)

一世紀前ハワイと朝鮮に住んでいた住民の生活水準に違いはなかったとは言えないが、大同小異であった。ところが、今日比較するならば韓国はハワイに比べて約30年、北朝鮮は60年以上の格差があると思える。今日ハワイではアメリカから分離しようという独立運動はなく、過去においてアメリカとの合邦を拒否したルッリ女王を恋しがる人もいない。そのわけは今日ハワイの市民が守旧派の陰謀を阻止し革命を通してアメリカとの合併を推進した勢力の路線が正しかったと判断したためである。そうして革命と合併運動が成功したので今日豊かで繁栄するハワイが存在できたのだ。


今日韓国では過去日本との合併をとおして近代化を成し遂げ民族の前途を開拓しようとした先覚者たちを親日派だと罵倒しつつかえって閔妃とか高宗をはじめとする反動守旧派を愛国者であると慕っている。こういうことがまともな考えなのか真剣に検討する必要がある。我々が歴史を冷静な目で反省することができることによってのみ歴史は教訓を示し我々の前途を明るく照らす灯台になるのだ。今回はハワイと似てはいるが今だに反米独立運動がくり広げられているプエルトリコの場合を見てみよう。


プエルトリコはカリブ海に浮かぶ比較的大きな島で面積は韓国の10分の1程度で400万の住民が住んでいるアメリカの自治領である。ほかの中南米地方と同様にここでもスペイン語を使っていて宗教はカトリックが圧倒的に優勢である。ここの住民の約80%がスペイン系は奇人で残りは奴隷として連れてこられた黒人とインディアン原住民で構成されている。


プエルトリコに人が住むようになったのは9世紀ごろ原住民であるアラワクインディアンが南米から移住してきてからだ。そののち平和だったこの島に1493年11月コロンブスが上陸しここをスペイン女王の領土だと宣言して島の名前を「サン-フアン」と命名した。1508年からプエルトリコ港が廃初されこの島の代表的な年になった。だが、いつの間にか島の名前はプエルトリコ、港の名前はサンファンに代わってしまったという。1511年にはアラワクインディアンたちはスペインの支配から脱するために反乱を起こしたが失敗した。


その後この島で金鉱が発見されるとスペイン人は金鉱を開発するためにアメリカから黒人奴隷を輸入し始めた。しかし金鉱はほどなく採掘されてしまった。こののちスペインの支配者たちは暖かい気候を利用してこの島でサトウキビ栽培を始めた。19世紀初めになると中南米地域では独立の熱風が吹きスペインの植民地は一つ二つと独立し始めた。状況がこうなるとスペインに忠誠を尽くす一鉢はみんな中南米を離れプエルトリコに逃れてきた。プエルトリコは長い間中南米で唯一の軍事基地となった。


<つづく>


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