凄いね、〇〇語ができるんですね。
と問いかけられた時。さて、この「〇〇」にドイツ語が入った場合。はい、と答えると大抵、「すごいですね」と続く。
ドイツではバカでもドイツ語を話しているといっても納得しない。「難しいんでしょう?」とかちょっと尊敬したようなまなざし。
で、「〇〇」に韓国語が入った場合、100%続く言葉は、「どうして韓国語を?」。
これは無意識の差別感だろうか、先入観だろうか。
両者の反応には、とにかくどんなに否定しても絶対何らかの違いがある。
皆さん違いますか?
最初にドイツ語がどうのこうのと出てきたので、「なんだこいつ」と思ったでしょ。「なんか自慢ばかりしやがって」とか。「ほう、どの程度やるのかい?」と純粋に興味を持つ人は少ない。
韓国語の場合、純粋に興味を持ったりする人も増えた。韓流ドラマが字幕なしでとかうらやましいとか思ってくださる人も。
しかし、在日韓国人かとか、何をわざわざ反日国の言葉をとか思う人もいる。とくに年配の方。ま、最近はめんどくさいから、在日ということにしている。
いずれにせよ、話すのは簡単なのだ。最近は「なんちゃって語学留学」が増えてバカ話をべらべら、さも自慢げにするやつが増えた。どの言語でもバカがしゃべるのは嫌だ。
問題は、「読解力」だ。AIも会話程度はできても翻訳能力は全然低い。あと20年、人間の翻訳者は失業しない。
言いたかったのはここから。
その「読解力」。
その人の母国語の国語力以上に外国語能力が増すことはありえない。だから、バカはバカなりの外国語しか話さない。さらに小説や時事問題など広く教養を積んでないといけない。どんな翻訳の依頼があるかもしれない。
つまり、日本語の新聞を読めもしないで東亜日報やNeues Deutschland は絶対読めない。オールラウンドな能力が求められる。
そういう僕はいまだに誤訳が多くてクレームが多い。だが、つねにあらゆることに気を配っていることは脳が活性化している気がして気持ちいい。
一度免許をとると死ぬまでその恩恵にあずかる医師免許とは違うのだ。努力のし甲斐があるお薦めの職業だ。