昭和の時代、日本人は家にテレビがなかったころ、近所のテレビがある家にテレビを見に行っていたそうだ。テレビが家に来ると今度はみんなが見に来るようになったようだ。
子供はみんな正義の味方が好きだ。白昼夢のように夢と希望で現実を作ってしまう。それがなんで悪いんだ。ハリマオのおじさんはいつも僕たちの味方をしてくれる人だった。ハリマオはブラウン管を飛び出して僕らの仲間になっていた。
僕は驚いた。すぐ近くの出身じゃないか。近くの実在の理髪店一家じゃないか。こんなところに正義の味方がいるのか。
マレーに移住したハリマオ一家を悲劇が襲う。支那人ゲリラが満州事変の復讐にこの日本人を襲う。ハリマオ自身は日本の徴兵検査に不合格となっていた。マレー語の方が日本語より堪能なほど努力してマレー語の習得に努め、本人もマレー人として生きていこうとする矢先だった。だが中国人には日本からの侵略者に映ったのだ。
支那人はハリマオの妹の首を切り持ち去ったのだ。さらにハリマオを失望させたのはどこに訴えても相手にしてもらえなかったことだ。英国はむしろ妹の悲劇を訴えるハリマオを投獄した。
それならおれが仇をとってやる。こう考えるのは当然の流れではないだろうか。もともと親分肌で部下の面倒見がいい彼の周りにはたちまち多くの反中国反英国の感情を持った不満分子が集まった。
千人近くの部下を従え華僑や英国人の邸宅を襲った。列車爆破まで行うようになった彼はもうマレー全土を手中にしていた。部下は3000人となり一つの街を形成した。谷豊という日本名を捨て完全にハリマオとして通した。
庶民のものには手をかけないいわゆる義賊として彼の噂は広がった。
はたしてそうであったのかは分からない。確実なのは日本陸軍が彼を利用することを思いついたことだ。帝国の策略は巧妙だ。ハリマオこと谷は日本の徴兵検査に身長が足りなくて不合格になったことを心の底で気にしていた。俺は帝国軍人にはなれないのか。
そのかれのこころのすきまにきりこんできたのが藤原岩市のF機関である。藤原は戦後陸将にまで上り詰める。彼は言葉巧みにマレー作戦に先鋒としてハリマオを利用する。ハリマオの組織は粉骨砕身日本軍に協力し道案内から共産党の討伐まで活躍する。
マレー作戦は思いのほか順調に推移するが、ハリマオは重篤なマラリアにかかってしまう。ハリマオは没する。
ハリマオの影響を受けた労働者は、ハリマオの呼びかけの呼応して大英帝国に対する大規模なストライキを行う。日本軍の進撃が速かったのは十分にその影響があったと考えられる。ところが占領をすました日本軍とタイミングを合わせるかのようにハリマオは病死する。利用価値がなくなった者は消される。どんなに貢献しても。
僕らの英雄はいなかった。