先日お中元をいただいた。
桃やグレープフルーツに見立てた容器の中に、それらのゼリーが入っていた。糖尿病の方には悪魔のお中元だ。
このゼリー容器がよくで来ていてちょっと見には本物の桃と区別がつかない。精巧だ。もったいないので食べたあとも何に使うか思案中。
蓋をずらした写真。
数十年前、
艱難辛苦の末、やっと仕事にありついた僕は、まずこの「お中元」という風習に驚いた。
先輩が言う。A部長にはお中元しとけよ。B参事には奥さんにやったほうがよい。Bは威張りたがるが奥さんには頭が上がらない。… いろいろ各方面から情報をいただいた。
なかなか新鮮な経験だった。ちょっと前まで学生だったのに突然10年、20年勤めた人と対等の地位を得た僕に。
教えるほうとしては、見るからに世間知らずのぼくに思わず言った言葉だ。親切心と友情からのことだ
しかし、ちょっと待て。言われたとおりにお中元をしていたら僕は破産する。所詮初任給なんて知れている。
給料の1/3はそれに割かなければならない。これにお歳暮年始が加わったら破産する。
もらう側は天国だ。公務員の上級管理職。もともと大した仕事はない。給料は5倍、お中元は合計100万を超える。
これは低開発独裁国家の因習と同じだ。
まっぴらごめんだ。自分の僅かなカネを豊かな人に施すなんて、対価も不確実な中でやれるものか。
と、考えていたが、自分が年を取ってくると自動的にもらう側になる。
その頃はバブルのころで、もはや季節の挨拶の範疇を超えた立派な賄賂の性質のものだ。僕はどんどんもらった。ありがたい話だ。知らない人が肉や酒や商品券仕立券をくれるんだから。
「私の息子は先生の大学の後輩です」とかひどい時には「私も先輩と同じ中学を出ました」とか。
知ったことか、アホ。
こうして無理やり関連付けて利益誘導を図るのを何というか。
それは、因縁をつけるという。
知ったことか。
お中元には嫌な思い出が多かった。もちろんいただくブツは大変家計に寄与した。
そんな現場を離れて20年目にして心あったまるお中元をいただいた。
金銭の絡まぬあるサークルで、親しくなった人から思いがけなくいただいた。
荒れる天候の中、お相手の健康を願い慰労の気持ちを込めて、少しの間でもほっとしてくださいね、と送るお中元はなんと素敵なものだろう。