日韓議員連盟(にっかんぎいんれんめい)は日本の超党派の議員連盟。1975~ by Wikipedia
1975年といえば朴正煕権力全盛の時期で、韓国では店という店に自分の顔写真を掲げさせた。大韓民国は反共を国是としている。この反共産主義という思想で北に対峙しようと本気で考えていた点では李承晩と大差ない。
ただ重要な違いもある。李承晩には共産主義に反対する理念がなく知識もなかった。ただやみくもに暴力をふるい右手に反共、左手に反日の旗を握りつづけた。
朴正煕は満州国軍将校になると民衆の統治にはアプリオリに力が必要であり、その次あたりにある程度のエサを与えることが必要だと学んだ。
彼は右手に反共の旗は掲げていても、左手に反日の旗は持っていなかった。ただ国民は、李承晩の失政の後遺症により戦死者に餓死者が続いた。大韓民国はその名に「大」の文字を冠しつつも世界最貧国にあえいでいた。
つまり、『共産主義が攻めてきたらどうする、欲しがりません勝つまでは。』と、カビの生えたウソで国民をだまし飢餓線上をさまよわせた。
このアホな議論に盲目的に便乗した日本の議員達の連盟が日韓議員連盟だ。すかさず韓国は日本に対して、だれのおかげで豊かになったと思っているのか、韓国が共産主義の防波堤になってやっているからだ。カネを払えと来た。
この考えには真顔で賛成する右翼や日韓議員連盟の議員達がいる。朴正煕の時代に、朝鮮語を研究しているというと日本のヘナチョコ左翼は僕を右翼とみなした。世界を席巻している冷戦が国内の小物達同士へも対立を持ち込んだ。
問題は、反共性だけを盾にした政治は、李承晩の時代に誤りであることが証明されつつも、低脳はいまだに反共にこだわっていることだ。
そのこだわりの馬鹿らしさからいち早く脱出したのは当の韓国だ。かろうじて育ってきた韓国の官僚はあの手この手を編み出して竹島をとった気でいる。正確に言うととった気にさせている。ホントはただの政治ショウなんだがな。
日本政府よ。今まで放置して、思い出したように抗議しても戻ってくるはずないだろ。アホな時代遅れの議員連盟はよせ。
完全なアメリカの傀儡大統領李承晩と、あいまいなアメリカの傀儡大統領朴正煕についてはシリーズ化して書きます。