か ら け ん


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広島夫婦殺害に無期判決 「計画性なし」死刑回避

2013年03月19日 | 裁判

2011年8月に広島市中区のお好み焼き店舗兼住居で夫婦が殺害された事件で、強盗殺人などの罪に問われ、死刑を求刑された住所不定、無職竹中誠司被告(25)の裁判員裁判の判決公判が13日、広島地裁であった。伊名波宏仁裁判長は「強盗も殺人も計画性はなく、更生可能性がないといえない」として無期懲役を言い渡した。 平成13年3月14日 中国新聞

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このようなことが起きると、世論はまず二人も殺しておきながらと激昂し一週間もたてば忘れる。思考はすべて一過性でせつな的で軽薄だ。こんなバカにはパチンコがお似合いだ。きっと楽しかろう。

① 量刑は正当であったか。
② 裁判員裁判に適合する事件であったか。

①について。僕はいまさら刑罰としての死刑の是非を論じるものではない。問題は刑罰の階段において、喧嘩で相手を殴り殺し死刑判決を受け、刑罰の最高の階段に登って刑死したものもある。あるいは二人で一人の金持ちを襲い、協力して首を切り落とし、その二人は死刑になった。それらの人殺したちと今回の広島二人殺しを比較する。従業員として働き顔見知り以上の親しさがあったはずなのに、残忍性および悔悛の情のありえないことにおいて情状を酌む点は全くない。「強盗も殺人も計画性はない」と裁判長は言いきっているが、背中から何十回も包丁を突き立てる残忍性は到底更生の余地はないと見るべきだ。しかも二人。

ところが、刑罰の階段は一段低いところに決まった。無期だ。そのうち仮釈放がある。恩赦がある。とにかくそのうち世の中に出すので更生に期待したんだろう。ばか。

これ以上にむごい犯罪があろうか。夫婦でお好み焼き店をつましく営んでいるのに何の罪があろうか。何十年もこうしてお好み焼きを焼き、苦しみや喜びを経ながら老後に差しかかった夫婦がこんな人生の終わり方をしなければならない理由はない。

裁判官は何十回も包丁で刺されて死ぬむごさを知っているのか。

確かに日本の裁判は多くの冤罪を生んできた。統計的に明らかなように冤罪は増えている。こういう間違った裁判によって間違って死刑にされた人も多い。再審の門を開くことによって司法が恐れているのは再審請求の増加による司法行政の混乱である。

しかしそれは論理的に矛盾している。正当な裁判が行われ高裁や最高裁の差し戻し審が機能しているなら再審の必要性はない。差し戻し審はある程度機能しているが、耳を疑う違法な捜査、思い込みによる明らかな誤判。これらは後を絶たない。

そうでないというなら検察庁での取り調べに可視化がどうして必要か。そこに誘導、脅迫、規定以上の長時間の取り調べが行われるからだ。人間は長時間の拘束には耐えられないようにできている。すなはち、何でも自白する。

検察に無知なモノはこういう、『だったら自白しなければいいじゃないか』。 ばか。お前留置されてみろよ。

それら一切を差し引いても、事実関係を争っていない以上死刑相当事件だった。

②については後日書きます。

Posted at 2013/03/15

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