か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

インチとミリのハイブリッド  2

2014年10月06日 | クルマ

SYLPHYに試乗した。かくれた名車といわれるだけあって、日産らしく商売下手なクルマだった。

なんといいクルマだろう。しかも、200万から300万ぐらいで来る。吸気よりもきれいな排気を出す。オカマハイブリッドではなく、エンジンで勝負する。

FFだのCVTは嫌いだがそれは僕の好みであり、客観的に言って安く良い車になった。そこで、僕は思う。誰もがクルマに乗ることはいいことか。

田舎では必需品だとかよく言われるが、そういう限界集落をあちこちに作り日本の95%が過疎に悩むようになったのは、偶然とか、いつの間にか、とかいう問題ではない。農村が元気だった頃から若者は都市に流れ続けた。そしたらいつか村は空(カラ)になるだろう。

つまり偶然ではなくて当然の帰結だ。自民党の無作為は田舎を犠牲にした。経済と握手をしたこの政党は日本に過疎と過密の両極端を残した。

だから、クルマが田舎で必需品になったのは、別に原因があることだから、頭ごなしに(アプリオリに)クルマに乗る理由に田舎を持ち出してはいけない。

同様に、都会は地下鉄やバスがあり駐車場もなくクルマは不要だ、と決め付けるのも頭がよくない人のすることだ。ある人にとって面白いものを他人がとやかく言うのは犯罪だ。

つまり、どこに住んでいても、産業用のクルマは別にして乗用車に限れば(SUVもVANもあるぞとか屁理屈を言うなよ、アホ)、なければ即死するほどのものではない。

通勤。買い物。そんなもんバイクで行け。60キロ/リットルだ。おまいらの好きなエコだろ。

僕は覚えている。親父が決死の思いで家より高価なブルーバードを買ったころ、スカイラインのGTXですら198万円もした。田舎では家が3軒買えたが、それは117の最低のグレードの価格だった。

ピニンファリーナを自慢しジウジアローにあこがれた。カネをケチり出たばかりのカップヌードルをすすり、自販機コーナーで地元のおつむの弱いチンピラとけんかしたり仲良くなったり、一緒にガソリン泥棒をしたり・・・

悪いか。悪くない。今はバイク泥棒も見逃され、人によっては自動車学校はタダじゃないか。

言いたいのは、車を家族ドライブだ、通勤だ、コンサートに行くんだ、と、実用のみに貶(おとし)めてはならないということだ。

キャブの構造を知り、変速機を勉強し、デフの絶妙なギアの配置に技術者を尊敬する生き方をなくしてはならない。どうしてこんなことを思いついたのだろう、どうしてこんなところまで配慮しているのだろう、と。

機械音痴を自慢する乗りっぱなしのアホ。人生を怠惰に生きる自分の低脳を、声高に叫んではいけない。

こともあろうに、その大切にしていたエンジン用のインチのスパナを工具箱ごと盗られた。僕の車庫は狭く、縦に車やバイクが並んでいる。整備をしていたが、工具箱を入り口の門において昼飯を食いに家に入り、出てくるとなかった。

僕は最初に車をもらったときうれしくて工具箱を木で作った。その木製工具箱ごと消えた。インチにも特殊工具にも傷をつけたくなかったから木製にした。買えばわずかな金額だが、45年の苦労が詰まったものだ。

何もあえて僕から盗ることはないのに。どうか返さないで。顔を見たら僕は何をするだろう。







 

最新の画像もっと見る