男は「Z」を売り続けた。DATSUN あるいは NISSANの Fair Lady。当時の新車価格は100万。
とてもそこらのセールスマンが、手の届くものではなかった。ただ、男はほしかったのだ。L20は、くそガキも含めてあらゆる男の垂涎のエンジンだった。L20を抱いて寝たいぐらいだ。
それから50年経ったのだ。今の基準で論じるのは車をまったく知らない松任谷ぐらいだ。たった130馬力に当時の男は気絶した。
だが、なめてはいけない。たしかに公害撒き散らし、有鉛で人は本当に発狂し死んだ。それでも有鉛は必要だったのだ。オクタン価は140。10㌔/hからトップギアで加速した。ただ踏み込むだけでホイルスピンした。Zは、よく研がれたナイフだったのだ。
おまいらよく働いたからカローラをローンで買える賃金やろうか。そうして資本は世にも陳腐なくるまを庶民に買いあたえる。
くやしかったらZに乗ってみろ、といわんばかりだ。100万とは今の1千万だ。今はレクサスなんて誰でも買えるし品の悪いのまで乗っている。そうなるとレクサスに価値は宿らない。
どうせおまいらは買えんのだ、パブリカに乗れ、サニーに乗れ。そういわんばかりの車格、価格。
悔しいじゃないか。男は、もみ手すり手で横柄な客に愛想笑いをし、セールストークをする自分がいやだったのだ。
隅から隅まで知り、惚れ込んだZ。ところが、あぶく銭を握った無知な客に愛想笑いをしてZのキーを渡す。そんなことは死んでもいやだ。
40年。こうして男は生きた。
僕は彼を車に乗せると200キロ/hで走った。ストレス発散だ。疫病神どもを吹き払おう。
こらえにこらえる人生を強いているという自覚が日産にはあるのか。ただみたいなカネで人を使うことの犯罪性が分かるか。人生を奪うことだぞ。
「会社を辞めるよ。」 男は言った。
「Zはどうする。」と、僕。
「ほしがるだけで俺は終わったよ。」 やがて彼は病気になった。 Zに乗ってから死んでほしい。彼とは連絡が取れなくなった。