か ら け ん


ずっと走り続けてきました。一休みしてまわりを見ます。
そしてまた走ります。

呻(うめ)くコンベア

2015年10月17日 | クルマ

世の中は偉くならないとだめなようだ。

うすうす分かってはいても、偉くなる競争だけが人生を決めるなんて面白くない。もちろん組織を飛び出した人間が組織にいたとき以上の収入と地位と時間と充実感を得ることは皆無である。

ところが僕は悲しくなる。勲章を下げた社長の誇らしげな顔、外面(そとづら)をよくしようとおかれたおもちゃの兵隊、すなはち運動部。

皆そいつらはまやかしじゃないか。管理職が一日でもゆびをすりきらしシートを縫ったか。

心を痛め(うつ)になる労働者がなんと多いことか僕は知っている。

 

色違いの同じ径、長さのボルトでさえ、位置を間違うとお前のせいで日本の自動車工業がだめになったかのように叱責する。その労働者が派遣であろうものなら便所に連れ込んで暴行するときいた。

僕らはこうしてできた車に乗っているのか。僕はもうそんなクルマ要らない。

労働者はほとんど意識朦朧としたなかでタダの機械と化しノルマを果たしている。

 

こんな工場も外見はとても清潔で平和な植栽に満ちている。重役の頭の鋭さ、変則的な事態に対する対応力、どの指示はどう通したほうがいいか、プロジェクトを立ち上げるか否か、役所との関係はどう裁くか・・・

これらの指示にダラダラ思考していてはならない。間髪入れず指示、命令、指導をし、短く会議をする。

彼らが優れているのはよく分かる。高校のときからその人間性と求心力は群を抜いていた。

 

僕が言いたいのはここからだ。

だからといって100倍の給料に値するのか。だからといって工場内のユートピアで読書しつつ転寝(うたたね)ができるのか。一方で労働者は気違いになってはたらいているじゃないか。

神でもないのに人を秒単位で管理できるのか。

これが資本主義だといわれそうだ。そのとおり。だから僕は工場を見学し次の投資に備える。ただし、それは資本側からの見方だ。人のきつさを数字や時間や金額で見ている。そこで心を痛めても労災になったためしはない。それどころか労働者が実際に大きな怪我をしてもごまかしてしまう。

資本からは労働者なんて遠くにいるアリさんに見えていることだろう。

しかし、労働者にとってはマインドコントロールされて与えられた工程をこなし遅れずミスなく、かぶせ、止め、確かめることを繰り返す地獄の場所だ。

従来、僕はこの会社の株価が上がらないことが不思議だった。

分かった。理由のない存在はない。元来、投資家は会社の利益が上がればいいのだが、

ところが、呻ききしむコンベアの中で人を廃人にしてまで儲けなくても良いと思うはずだ。僕はそう思った。

 

 

 

 

 

 


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