か ら け ん


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光市母子殺害事件 死刑死刑の大合唱はいやだ

2012年12月01日 | ニュース

テレビ報道より

99年に山口・光市で母子2人が殺害された事件の裁判で、最高裁は20日、殺人などの罪の問われていた元少年(当時18)の上告を退けた。

本村さんの立派な態度に尊敬する。僕だったら一刻も早く犯人が釈放されることをのぞむ。この手で殺したいからだ。本村さんも若いころはそういう発言をしたようだが、概して彼の発言は冷静で論理的でポイントをおさえ多くの人の共感を得た。

本村さんの感じた理不尽さはいかほどであったろう。犯人は被害者遺族から隔離され身の安全が保たれるのに対し被害者は頭の悪い人たちの心ない発言に耐えていかねばならない。

僕は本村さんに殺させてやりたかったと考えるくらいだから死刑でも足りないという感情は極めて同意するところだ。

ただあまりにも死刑死刑の大合唱が起こると少し気持ち悪い。上告が棄却された主文の中に注目すべき少数意見がある。

大月被告の精神的成熟度が18歳を相当下回っていれば死刑を回避する理由になると述べた裁判官がいる。この意見が大月被告に該当するかどうかが今ここで問題なのではない。むしろ該当するというのは困難かもしれない。この少数意見の趣旨は機械的な18歳という年齢だけでは死刑判決に慎重であるべきですよと主張している。

そもそも一二審は無期の判決だった。それをわざわざ絶対に通らない主張で死刑判決を招いたのはまさに大月被告の弁護団だった。裁判官の心証を害する私信も公にした。弁護団は大月被告の死刑には関心がなく目的は死刑制度の廃止にあった。

さて、無期判決を喜ぶ被告のふざけた私信、あるいは「ドラえもん」証言により精神の未発達さをアピールしようとした弁護団の下手な小細工。私信が公開されたことにより国民の心証は著しく悪化した。まさに笑止千万なことだが、未熟であるが故にそのような発言をしたと信じろというほうが無理がある。問題はここからだ。下手な弁護より重大な問題が隠れている。

よく考えると「ドラえもん」証言には不可解なことが見えてくる。被告が弁護団の言いなりだったことが十分推察される。そうでなければわざわざ死刑になる証言をしたりしない。これは本当の意味で被告の未熟さ幼稚さを意味しないか。言わせられている。被告は弁護団の狂言回しの猿になった。

(「ドラえもん」証言:幼女の死体を押し入れに入れておくとドラえもんが復活させてくれると思いました)

だからと言って強姦殺人が許されるのか、とかいう人は読解力が足りません。

死姦については弁護団から教えられたシナリオ通りに証言しているふしがある。途中で発言を変えたのも解せない。彼の発言はどんどん合理性を失っていく。ひたすら死刑を避けたかったからの演技とみられてしまう。ところが、無期判決が続いた一審、控訴審で死刑を恐れる必要はなかった。わざわざ死刑判決を導くような言動に変化していき、死刑廃止派の弁護団に戦いの場を提供する。

友人にあてたという裁判を茶化したような私信。これを弁護団が公開するというのが信じられないが、おおよそ内容はこうだ。「日本の司法制度のもとでは無期と言われれば10年前後でシャバに出る。」しかし、実際そうではないか。自分だったらあと何年で出るぞと計算しないでひたすら被害者の冥福をいのり続けると何人の人が言いきれるか。

殺した後パチンコをしたのは残虐性からか。状況把握の甘さから人は突飛な行動をとったりする。落ち着こうと必死だったのかもしれぬ。

被告には糾弾されるべき決定的な物証があるが、積み上げられた状況証拠に対し、すべてを悪意に解釈した時とその逆の場合とに死刑判断を揺るがす判断はありえなかったのか。地裁高裁の裁判官は被告の若さのみを恐れて無期判決を出したのではない。

Posted at 2012/02/22

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