しかもソロ。
昔から人嫌いだったのではない。むしろ高校のころは用もなく天神(西日本一の福岡の繁華街)をうろついた。
電車賃が30円だったのを覚えている。歩いても行けたが、西鉄電車に乗ると都会にいる気がした。
そこではまず、「丸善」で本を買う。「とうじ」で文房具を買う。約束した友達と「サテン(喫茶店=カフェ)」で話し込む。
なんか大学生気分だった。なんせ僕の学校の校章には人間を誘引する力があったようだ。福岡中央、城南高校の女子、ありがとう。
自由な学校で、土足で教室まで行けたし教室に自転車を持ち込めた。掃除用具入れからトンネルを掘り隣の校舎に達した。気分はもう大脱走。
「もうかり」というのがあって先生に言うと午後は放課にしてくれる。
しかあし、それは100の努力に対する1の気休めの時間。毎日30の英単語を確実に暗記する必要があったし、僕ら理系は1年の2学期ですでに数Ⅲを終えていないとバカにされた。
僕は数学以外は必死についていく状態で、落ちこぼれだった。そのうえバイクの魅力、家庭の不幸、体調不良、貧困などのせいで奈落の底に沈んだのだ。
ところがどっこい、不幸を凌駕できるものが必ずあると信じ続けていた。そう信じるしか生きていけない。信じたのは、
努力。努力こそが状況を改善できる、と。
がけっぷちにいる自分を自覚し、後ろからナイフで刺されるような恐怖のもとこの絶望の環境からの脱出を試みた。
三途の川が見えるところまで頑張った。
結果、ある試験に合格し再びエリートの楽園に戻ったのだ。
ところがそこもはたから見る限りの楽園で、みんなが僕にペコペコしたが。サザンの歌にあるように、弱肉強食というか弱肉悪食。
「サザンオールスターズ – 闘う戦士(もの)たちへ愛を込めて」をぜひ聞いてください。
すべてを捨てた。
そしたら、
精神的にはもちろん、経済的にもむしろ豊かになった。正しい貧乏生活は心も体も頭脳も健康だ。
それが今。
山の中の一人飯。至福の時間。読書、料理、食事、サザン、あいみょん、昼寝、数学、手紙。
熱源。とか、で、こうなる。
道具はこれだけ。自転車だから、ね。
森の中で食うと何でもおいしい。
バカは孤独に対する耐性が小さい。だから群れる。目の前の些事におぼれ、
Lost life!
先進国では、こう考える。教育とは自己の内面の陶冶でありそれは集団の中では得られない。まず自我の確立がなされたうえで「他」と対峙せよと。
バカ国ではこう教える。みんな仲良く楽しく政治に目を向けず、その場をごまかし同じバカを見つけて楽しみましょう、と。
悪に満ちた街より一人が楽しい。